Casa de Celia

iHasta la victoria siempre!

根性の人/フィデル・カストロ

2004-11-12 | Cuba(きゅーば)

2004年10月、世界を揺るがしたカストロ議長の転倒事故の翌々日、骨折したカストロ議長からだされた声明
(Granma Internacional 2004/10/22号より引用)

親愛なる同胞へ
 昨日10月20日、サンタクララでのスピーチの後、事故で転倒した。幾つかのメディアはそのシーンを捉え公表しており、それらの目撃者が何が起きたのかを説明してくれる。
 昨夜10時頃私が美術大学の卒業式にてスピーチした後にいつもの事で党幹部や政権幹部が私に挨拶しに壇上に上がった。その中にはエリアン少年もいた。その後に壇上から下りて再集結する為に、壇上に上がった時と同じ木製の階段を下り、花崗岩で舗装された道を卒業生や先生、また集まった25000名ビジャ・クララ州民に挨拶しながら歩いていった。最初の椅子の列から15-20メートル程行った辺り、コンクリートで舗装された地帯に達した所に聴衆と舗装通路との間に比較的に高くなっている部分がある事に気付かなかった。
 私の左足は完全に開いている部分に達し、高さの違いから聴衆がそれぞれ座っている場所の方に、ニュートンの重力の法則に従って間違った方向に完全に倒れるまで投げ出された。そして殆ど本能的に舗装通路への衝撃を和らげるために右腕が出されたのだが、にもかかわらず顔と頭を地面に叩き付けた。
 誰のせいでもない、全て責任は私にあった。私の不注意がこの日思い起こされる結果になった。しかし私の最大の痛みは、卒業生と集まってくれたビジャ・クララ州民に与えた感傷的痛みだ。
 ようやく動けるようになり、悲嘆の中で手配したジープとは別の車両後部に座り、負傷を調べる為に手配した場所へ移動した。もう少しで到着する所で救急車が参上し、それに移る事を決めた。当然の事ながら痛みと症状は早急な検査と外科治療が必要な事を示していた。担架で救急車に移され、優秀な医者と側近のカルロス君(カルロス・ラヘ・ダビラ国家評議会副議長)が救急車に同乗し、席の穴を埋め、快適に移動できた。幾つかの鎮痛剤が患部に施され、痛みを軽減した。
 移動の間も、次々に変わる国際情勢に対応する為に、執務室に連絡したり、側近に連絡を受けたり指示を出した。事故を知ったウゴ・チャべス大統領からも連絡を受け、フェリペ(フェリペ・ラモン・ペレス・ロケ外務大臣)に繋ぐように指示した。無線のお陰で会話できたが、会話が途切れて非常に難しかった。サンタ・クララの無線局には、式典後のパーティーを絶対に中止にしないように指示をだした。後に携帯電話を使って式場に直接メッセージを送った。
 サンタ・クララを経ったのは11時頃だった。そのまま国立宮殿に到着し、側近に付き添われながら救急室に入った。そこにある装備で直に検査が行われ、検診、レントゲン検査、血液検査が行われた。
 重要なのは左膝とヒビの入った右上腕だが、左膝はお皿が8個に粉々になっていた。私もその状況を見ることが出来た。医師は直に手術の必要があるとして、まず右上腕を包帯で止めて手術に入った。手術は3時間15分続いたが、手術医は粉々になった骨を錆びない針金で一つ一つ裁縫職人のように繋ぎ合わせた。医者は全身麻酔を打つ事と、座った状態にならない事を勧めたが、全身麻酔を打つと重要な出来事に指示が出せないので拒否した。執務室長も消毒処理された服を着て手術に携わり、指示を出しつづけ、このようにして全てが過ぎた。予期せぬ事故による報告と経過を伝え、最終的には膝はギブスで固められ、右腕も包帯で固められた。
 患者か側から見て、同胞や専門家達がそれぞれに全力う尽くしてやるべき事をやっている事を確信した。この瞬間にこの転倒が私に同志達が非常によくやっている事を印象付けた。
 一夜が過ぎ報道されているが、経過も良く皆さんと会話も出来る。そしてこの瞬間皆さんに受けた優しさと団結力に最高の感謝を述べさせて頂きます。
 全てのキューバ人革命家は何をすべきか知っている。やるべき事をやろう!このような長文をお許しください。
                   フィデル・カストロ
                   2004年10月21日午後7時35分

(引用おわり)

 すっごく長いんですけど、転倒した様子や手術の様子を事細かに国民に説明するカストロ議長の真摯な姿勢と併せて、彼の「タダモンじゃない」雰囲気がよく出ている手紙なので、引用してみちゃいました。
 また、フィデルと並んで写っているチャベス大統領も、一時はアメリカが裏で糸を引くクーデターによって命の危険に晒されつつ「たとえ殺されても辞任はしない」と抵抗を続け、国民の圧倒的な支持の力で死地から復活した男。「ここで殺されるのだ」と覚悟したとき、真っ先に頭に浮かんだのはチェ・ゲバラだったとか。
 今、中南米は密かに熱く燃えています。


最新の画像もっと見る