母親の三回忌法要を営ませていただきました。
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どう思い起こしても、親孝行の出来なかった不肖の息子でした。
唯一、それらしいものと言えば… 地元に住んだから、三人の孫の育成を見守ってもらえたことくらいでしょう。
孫(私の息子)たちは 私と異なり、運動が得意だったので、運動会やスポーツ大会では応援し甲斐もあったことでしょう。
それを除けば、親孝行も恩返しも出来なかったことばかりが思い出されました。
ある方から 「父や母の血を命を次世代に繋げていくため子育てをしていると思えば、親不孝の悔やみも少しだけ楽になる」 と伺いました。 その通りですね。 子どもは授かりもので 預かりものです。 願いを込めて磨き上げ、世の中にお返ししなければなりません。
今回は 本当に家族だけの法要。 読経の間、普段は忘れていることが浮かんできます。
『万人幸福の栞』 の最終部分から、抜粋。
死は、これで人がなくなるのではない。 「空」 に入ってまことの命に生きるのである。
「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん。 もし死なば、多くの実を結ぶべし。 己が生命を愛する者は、これを永遠に失い、この世にてその生命を憎む者は、これを保ちて、永遠の生命に至るべし。」 (「ヨハネ伝」)
まことに生きぬいた人は、死によって、いよいよ広く、いよいよ高く生きがえり、生をまことになし得なかった者は、死も亦ほんとうに死にたらしめない。
生は死の仮相であり、死は永遠の生である。
創始者の丸山先生が 生命を削るように書かれた 『万人幸福の栞』 は、この文章で締めくくられました。
母を想い、己が生と死を思う。
合掌
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