3次元紀行

手ぶらで地球にやって来ました。生きていくのはたいへん。そんな日々を標本にしてみました。

今日、エリカ混声合唱団公演

2007-12-21 12:59:10 | Weblog
エリカ混声合唱団とは首都大学東京の合唱同好会です。
そのエリカ混声合唱団が、本日南大沢の文化会館で「エリカ混声合唱団演奏会2007」を開催します。
開催時間は18:30.
実は、このエリカ混声合唱団と世田谷区民合唱団は、浅からぬ関係があります。
合唱団員同士はさほどお互いを認識していませんが、世田谷区民合唱団の音楽監督で常任指揮者の金川明裕先生のお弟子さんである津久井康明氏がエリカ混声合唱団の指揮者なのです。そして、世田谷区民合唱団のヴォイストレーナーで、定期演奏会の時にはソリストを務める神谷明美先生がエリカ混声合唱団のヴォイストレーナーも勤めているのです。
そんなわけで、catmouseは今日、八王子くんだりまで出かけようと思っております。なんかすっごくおもしろいらしいですよ。詳しくは…
http://erikachor.fc2web.com/tokusetsu.html

ある新聞の切り抜き

2007-12-21 11:01:14 | コラム
起き上がる。とにかく朝にすることをする。
体を動かしているあいだ、総ての後ろめたさが消える。私は働いていると思えるから。だから病気は辛かった。自分を責める思いばかりが浮かんでくるからだ。
とりあえず起き出して、未処理の郵便物をかたずけた。そのなかからすっかり忘れていた新聞の切抜きを見つけた。切り抜きに日付がなかった。資料には日付を必ず書くものだということは充分わきまえ、実行もしていたのだが、その切り抜きは日付を書くまでもないとでも思ったのか。
切り抜きは詩人高野喜久雄さんの訃報が書かれていた。
「今月1日」とある。今年であることは間違いないと思うが、何月だったんだろう。ある日の読売新聞の編集手帳である。
記事を読み進んだ。作曲家高田三郎さんの合唱曲「水のいのち」の作詞家だとある。私も歌ったことがある。歌ったことがあるどころではない。大好きな歌だ。今もそらんじることができる。確か、高田三郎さんも故人ではなかったか。ところで、私は作曲家は覚えるが、あまり作詞家は覚えない。覚えている作詞家は谷川俊太郎、星野富弘、くらいだ。星野富弘さんは作詞家というより、画家と言ったほうがいいかもしれない。富弘美術館が群馬県みどり市にある。だが、星野富弘作詞・新実徳英作曲の合唱曲「花に寄せて」も好きな歌の一つだ。そういえば「さっちゃん」「犬のおまわりさん」をコンサートで歌ったことがあるが、その直後だかなんかどなたかが故人になったなと思い出した。覚えていたのは大中恩さんという名前のほう。この方はやっぱり作曲家で、いまだご健在。亡くなったのは作詞家のほう。阪田 寛夫さんのほうだった。
話がそれたが記事を読み進む「数年前から、日本で少年たちに向けた作品集を出したいと考えていた」が、詩集はあまり売れないと、扱う出版社が少ないことを悲しんでいたという。
「おお ふり注ぐ、燦々と降り注ぐ 何処にいても 私の上に あなたは私の道の行く手に」記事は高野喜久雄さんの詩を一部引用し、「今日は『母の日』だ」と続く。
そうか、高野喜久雄さんは5月1日に亡くなった。この新聞は5月1日のものなんだ。と思い、試しにウィキペディアをひいてみた。
没年は2006年(平成18年)5月1日。
昨年だったんだ。その切抜きは今年ではなく昨年のものだった。
宇都宮農林学校卒(現在宇都宮大学)。神奈川県立の高等学校で数学を教えていた。ご子息は国立情報学研究所教授。次世代への責務も立派に果たされている。
私はその高野喜久雄さんのことを書かれた記事に心ひかれ、切り抜いたまではよかったが、惹かれた心は毎日の中に埋没し、忘れられていた。
それが、今日、うずもれた紙束のなかから、ぽろりとこぼれ出た。


せつくもの

2007-12-21 09:00:51 | Weblog
明け方、自然に目が覚めた。頭は痛くなかった。
風邪がなおったらしい。体力も回復してきた。慢性的だった睡眠不足も解消してきたようだ。しっかりしなきゃ、と、寝床の中で繰り返し思った。昨日、ちらりと新聞の中に知人を見たのだ。そして昨日まるまる一日、こしかたを思い浮かべその知人とのへだたりを感じていた。そのことが私の中に多少のあせりを生じさせた。
この十数年、「今はまだそのときにあらず」と自分をあまり磨かなかった。今も「まだそのときにあらず」と着手を控えている。
「そんなこと言ってる場合か?」私の中で何者かが言う。
ところが別のやつが言うのだ。
「今まで過ごしてきた年月より少ない年月で、おまえは総てのものを手放し、行かなければならないところに行く。おまえのあせりなど笑止ではないか?」
時は覆いかぶさる。松柏くだかれ薪となり、旧墳すかれて畑となる。
「でも」
と先述の何者かが言う。
「その消えてなくなるまでの時間、精一杯自分を輝かせているやつって、美しくないかい?」




今はまだ

2007-12-21 08:08:01 | Weblog
今はまだ、老いを語ることはできない。
直面したばっかりだから。
その人は日本人としては体の大きい人だった。一見、外国人のような風貌もしていた。
この人には四国徳島・阿波女の血が流れている。
四国松山出身の軍人・秋山好古も時折日本人には見えないといわれた。
土佐の坂本竜馬は身長が高く、背中にたてがみの様な体毛があったといわれる。
四国人にはどんな血が混ざっているのだろう。

その人のワイシャツは大きくて、丈は当時、私のワンピースより長かった。
「がしんたれだなあ。好き嫌いばかりするからだ」
その人は愛情表現のつもりで言ったのかもしれない。
だが、万事記憶はあまり良くない、“がしんたれ”の私の心に不満とともに深く残った。
「そんなことがあったかなあ」
もし、その話を持ち出したら、少し前のその人なら、苦笑しながら「忘れた。覚えていない」とでも言ったろう。
が、今、その人は、そんな普通の会話も出来ないほど、病んで、老いている。
その人は誤飲性の肺炎で先週入院した。みるみる老いは深まり、言葉もあまり明瞭でなくなった。痰の吸引に苦痛をあらわし、「かえろう」とつぶやくような声で訴える。
しかし、私になにができるだろう。
入院の2~3日前は食事もほとんど進まなくなり、のまなければならない薬も飲み込めず、手でつまんで出した。私は脱水症状を心配した。
病院にいれば、とりあえず点滴で水分が補給される。酸素吸入で呼吸も確保されている。
かつて、私を育て、励まし、困っているときは助けてくれたこの力強いかいなを持っていた人に、今、私はいったいなにができるのだろう。