3次元紀行

手ぶらで地球にやって来ました。生きていくのはたいへん。そんな日々を標本にしてみました。

物置部屋

2008-05-24 12:55:30 | ほら、ホラーだよ
ほら、ホラーだよpart.15

丸モジャ眼鏡はガラスケースから“ぼく”に変身したモルモットをつまみ出すと、先ほどまで猫が寝そべっていた机の上に置いた。
その“ぼく”は“ぼく”の姿をしているのだけれど、いかにもモルモット的な動き方で、逃げ出す経路を探すためにテーブルの端にそってセコセコと動き回っていた。下に落ちそうになるので手で押し戻すと、おびえて背をまるめうずくまった。そして、手を引っ込めるとまたもぞもぞと動き出し、ということを繰り返した。そのみじめったらしい姿をみていたら、ぼくはものすごく不愉快になった。こういうのやめてくれないかな、と言おうとするのだけれど、丸モジャ眼鏡はなおも笑いつづけており、
「わしゃ、天才じゃな、うん、わしゃ天才じゃ」などと得意満面だった。
さすがのぼくも腹に据えかねた。
「おじさん」
「ん?なんじゃらほい」
「なんなのこれ」
「見てわからんか?立体コピーじゃよ。忙しくて体が二つ必要なんてときに便利じゃぞ」
「モルモットにコピーしたって何の役にもたたないよ。ただ逃げ出そうとしてるだけじゃない」
「坊やと同じぐらいの子供にコピーすればいいがな」
簡単そうに言うけど、そんな子どうやって探せばいいのさ。“ぼく”のコピーになって嬉しいやつなんているのか?しかもぼくの変わりになってぼくがしてほしいことをしてくれるやつなんて。そりゃ、ぼくの代りに学校行ってくれたり、掃除当番やってくれたりするやつがいれば便利だよな。それからぼくの場合はさ、例えば八木沢由美子が近寄ってきたら、ぼくはそいつに身代わりをさせて逃げるなんてこともできる。
しかし待てよ。
その後どうなるんだろう。そいつが勝手に八木沢由美子と仲良くなった後で、そいつが消えてしまったとしたら、前よりいっそうぼくが八木沢由美子に付きまとわれることになるのかな?
それはまずい。それはさけたい。
ではこうしたらどうだろう。そいつに、八木沢由美子にさんざ嫌われるようなことを言うようにたのむ。
いや、だめだな。やっぱりそいつが消えたあと、さんざん悪口を言ったとかで学活でつるし上げられるのはこのぼくだ。この前みたいに。やっぱ使えない。
しかし待てよ。
ぼくの知らないところで、そのコピーが現れて、勝手にいろんな悪いことをしでかした後で消えてしまったとしたら、ぼくがその悪いことの全責任をとらされるんじゃないか?ぼくは全く、何にも知らないし、してないのに。それって、めちゃめちゃ迷惑じゃないか。
しかし待てよ。
そいつはいつまでぼくのままでいるのだろう。コピーすればぼくができるということは、ふやそうと思えば、ぼくが何人でもできるということじゃないか?
そうだよな。コピーするのはものの5分とかからなかった。コピー用紙ならぬコピー要員さえいればうじゃうじゃぼくが出現する可能性だってあるってわけだ。
すると、本物のぼくはどれ?ということになって、パパとママが選ぶことになったとして、「うちの息子はこれです!」って言った子が、ぼくではなかったとしたら、いったいぼくはどうなるんだろう?
考えれば考えるほど、まずいこと山積みではないか。
「おじさん、やめてよ。これ、消してよ」
「もうすぐ消えるよ」
丸モジャ眼鏡は先ほどのハイテンションとうってかわってなぜかすっかり沈み込んで言った。
そういえばモルモットの“ぼく”の様子が変だ。なんかどんどん形がくずれていく。モルモットの“ぼく”の部分が生えかわっていく抜け毛みたいにまだらにはげ落ちていき、ごちゃまぜ生物みたいというか、薄気味悪い姿というか、目をこすってもはっきりしないというような不可思議な見え方をしてきて、やがてそれはすっかりモルモットの姿に戻った。
「昼間はせいぜい持っても3~4分といったところだ。夜、薄暗い部屋なら3~4時間くらいもつんだが…太陽光線に負けて消えてしまうんだ…どうすればいいかわからん。限界じゃ…おてあげじゃ…わしゃまったく能無しじゃ」
丸モジャ眼鏡はがっくり肩を落としてモルモットをもとの篭にしまうと、モルモットの“ぼく”がセコセコ動き回っていた机の前に座り込み、頭をかかえてさめざめと泣き出した。
今度は泣くのかよ。さっきは天才とはしゃいでいたくせに、今度は能無しと自分で言って落ち込むなんて。落ち込むことないじゃないか。立体コピーができることだけでもすごいんだから。そして、これでいいのさ。立体コピーかなんか知らないが、そんなコピーが明るい太陽の下、町中を動き回られたんじゃかなわない。
ぼくは泣きじゃくっている丸モジャ眼鏡を後に残し、部屋を出て、先ほど通ってきた道筋を取って返した。
アパートを出ると玄関先でお手伝いさんとこの子と白鳥明日香ちゃんが遊んでいた。ぼくは白鳥明日香ちゃんに声をかけようと思って近づいたが、その時、その女の子が白鳥明日香ちゃんではなくて、似てはいるけれども全くの別人であることに気付いた。顔をよく見ると、目のくっきりしたラインとか唇の端の持ち上がり方など細かい部分がちょっと違う。というより、全体の感じが全く違っていた。白鳥明日香ちゃんはもっと姿勢がいいというか、さっそうとした雰囲気を持っていて、瞳ももっと深く澄んだ感じなんだ。
目の前にいる女の子には、そうした自信とか知性とかいった、いい香りのする空気が感じられなかった。
形が似ていても、持ってる中身が違うとこんなに違うんだ。ぼくは先ほどの、モルモットの“ぼく”を思い出しながらそう思った。

家に帰ると、ぼくの部屋にはまたぞろ座敷オヤジとオキビキとアマノジャクに占領されていた。こいつらも迷惑だけれど、先ほどの丸モジャ眼鏡の迷惑度に比べるとまだかわいいものだ。無視すればすむのだから。確かにこういう環境で勉強は出来ない。仕方がないからぼくは机に向かってDSをやることにした。時折、オヤジたちの会談の断片が耳に飛び込んでくる。どうやら飲みにいく相談をしているようだ。
「呑スケのところ」
こいつらの新しい友だちのところだな。
「あいつに案内させて」
なるほど。
「おまえもいつまでもニートじゃな」
え?誰のことを言ってるんだ?
「はい、初仕事をしないとご先祖さまに顔向けが…不平分子を一人でも増やし、現政権に対し反旗をひるがえさねば…」
ああ、ニートってアマノジャクのことか。
「酒飲んでクダを巻いてる連中にそんな気概があるかどうかわかんねえけどな、おいらにとっちゃ稼げる場所だあな。なにしろ酔っ払いは忘れ物、落し物が多いと相場は決まってらあな」
オキビキだ。するとオキビキは人の持ち物を掠め取るために、アマノジャクは人を食うために行くのか?まったく、やっぱりとんでもないやつらだ。
座敷オヤジは何をする気で行くのだろう。
「わしは行かれん。留守を護ってるでな。おまえらだけで行って来い。帰ってきたら首尾を聞かせてくれ」
見るとみんなで寝そべって鼻くそをほじっている。あ、こら、ほじった鼻くそを畳に落とすな。
「じゃ、そういうことで」
とオキビキ。そして、ドロンと3人とも消えた。
「おーい、なにがそういうことで、だよ。鼻くそ、掃除していけよ」
とぼくは言ったが、もう遅かった。
向こうがその気のないときは呼べど叫べど絶対出てこない。出たい時は向こうの都合だけで出てくるくせに。これって理不尽じゃないか?
やむなくぼくは二階にある納戸に掃除機を取りに行った。すると、いちばん端にある8畳間からお手伝いさんの声が聞こえた。
その部屋は、もともと客間だったが、長いことそこにお客さんが泊まることはなく、お歳暮やらお中元やらの贈答品や、ストーブや扇風機といった季節道具の物置になっていた。 
そこからお手伝いさんの声が聞こえたので、ははあ、今はその部屋の掃除と荷物の整理をママから頼まれているなとは思ったが、しかしいったい誰と話しているのだろう。
「これは捨てられませんね。ずっと大事に持ってなきゃね。はい、だから、この押入れの隅のほうにね。ええと掃除機」
そこで襖がガラリと開いて、お手伝いさんが出てきた。
「あれ、坊ちゃま」
「ごめん、掃除機、ぼくの方はすぐすむからちょっと先に使わせて。ところで誰と話してたの?」
「え?い、いえ、誰とも。ひとり言ですよ。奥さんにね、品物を検めて、リストを作ってくれって言われたものですから…」
ぼくはちょっとだけ首を伸ばして8畳をうかがった。確かに誰もいなかった。

その夜、床について意識が遠のき、心地よいまどろみが訪れたとき、何故か急に胸のあたりが重苦しくなった。それだけではない。身体が押さえつけられたみたいに身動きが取れなくなった。いわゆる、金縛りと言いうヤツではないかとぼくは思ったが、こうした金縛りに合うのは実はこれが初めてだった。


松風荘

2008-05-20 08:59:09 | ほら、ホラーだよ
ほら、ホラーだよpart.14

ぼくはひょんなことから、あるアパートの前に立っていた。
 というのも、きのうのこと、ぼくは誰かに後をつけられていると感じたんだ。
小学校一年生くらいの、見慣れない男の子がぼくの30メートルくらい後ろを歩いていた。
下校時に見知らぬ子が後を歩いていたなんてことはよくあることなので、始めはあまり気にもとめなかった。けれどそのうち、ぼくが立ち止まるとその子も立ち止まるということに気付いた。ためしに、角を曲がったところですぐ振り返ってのぞいたら、その子はあわてて電柱の影に隠れ、そっとそこから首をだして、こちらをうかがった。
なんて下手くそな尾行なんだ。
結局ぼくのうちまでついてきて、ぼくが二階に上がって窓の外を覗いた時も、まだ家の前の電柱の影に隠れて立っていた。二階からは丸見えなんだけどね。ずーっと立っていた。
ぼくを見張っているのかな。なんのために?と思っているうち、夕方になってお手伝いさんが帰り仕度をして出て行くと、その子は飛び出してきてお手伝いさんに抱きついた。
なーんだ。お手伝いさんとこの子供だったのか。それならそう言えばいいのに。とは言え、そう言われても困ったとは思うけど。

翌日、その子のことはすっかり忘れていたんだけど、下校の時、その子を校庭で見かけた。ぼくの後をつけてきたくらいだから、その子はぼくのことを知ってるはずなんだけれど、ぼくに気付かなかったのか、気付かなかったふりをしたのか、その子は後門を出てスタスタ歩き出した。
今日は自分の家にまっすぐ帰るのかな?そうだ、今日は逆にあの子のうちまでつけていってみようかな、という気になった。
ぼくは昨日のその子よりもまずいやり方で後をつけた。電信柱にはターンをしながら隠れた。その子が気付いて駆け出すと、ぼくも駆け足をした。その子は一度おびえたようなタレ目をぼくに向け、そのまま全速力で走って、とあるアパートのドアの中に姿を消した。

それが、今、目の前にあるアパートだ。
松風荘と書いてある。
今にも壊れそうなアパートだった。かたわらに大きなケヤキの木があって、そのアパートに圧しかからんばかりに立っていた。
そんな古めかしいアパートの前にいつまで突っ立っていてもしょうがないなと思ったので、帰ろうとした時、松風荘の扉がギーっと開いた。
思わずのぞいてしまった。
共有らしい広い玄関のたたきに、乱雑に複数の靴が置かれ、さきほどの子供が履いていたらしい靴も、片方ひっくり返ったまま脱ぎ散らされていた。そこから板敷きの広い廊下が真っ直ぐ続いており、左右に各部屋があるらしかった。
その時、奥の廊下を横切った人影があった。ぼくはその姿を見て自分の目を疑った。
 白鳥明日香ちゃんじゃない?!
 まさか…
 明日香ちゃんのお父さんは銀行員だって聞いている。だから、銀行寮に住んでいるはずなんだ。こんな安アパートに住んでいるはずはない。いや、ひょっとしてリストラされちゃったんだろうか?そして、こんな安アパートにこっそり引っ越してきて、それをみんなにはだまっているのかな?
 次から次へ、妄想が膨らんできた。
 困っている明日香ちゃん。涙にぬれた明日香ちゃんの顔が三次元ディスプレイのようにぼくの頭の中で1回転した。
 ぼくは靴を脱いでそっと板敷きの上に足をおろした。と、再び明日香ちゃんが現れた。今度は誰かの手をとっている。その手の先にはなんとあのチビ、お手伝いさんとこの子がいるじゃないか。ぼくが驚くまもなく、そのチビは親しげに片手をあげてにっこりした。
「やあ、お兄ちゃん」
やあ、お兄ちゃんじゃないよ。さっきはさもおびえているといった様子でぼくから逃げていったくせに。
それより明日香ちゃん、何でここに?と心の中に湧いた疑問をどういう言葉であらわそうかと考えているうち、明日香ちゃんとチビは 「おいで」と、ぼくに手招きをし、そのまま後を向いて、さらに奥にと歩き出した。ぼくはあわてて後につづいた。
行き止まりと思った廊下は突き当たりまでいくと左右にわたっていた。そこを左に曲がり、すぐ右に折れると扉があった。それは別棟に続く渡り廊下への扉だった。
渡り廊下を通って次の建物の中に入ると、さらに扉があった。その、前で明日香ちゃんとチビは立ち止まり、ぼくを振り返って中へどうぞ、というしぐさをした。
ぼくはつられるようにして、明日香ちゃんとチビの間を通り抜け、自動ドアのように開いた扉の中に入った。
部屋は学校の理科室くらいの広さだった。
部屋の様子も理科室みたいだった。
窓際にはハムスターがいそうなカゴが2~3あり、金魚の水槽もあった。奥のテーブルには計器類が並んでおり、その真ん中に人がいた。
「え?」
あのおじさんは誰?というより、振り返ったら一緒にいたはずのチビと明日香ちゃんがいなかった。ぼくは慌てて入り口のドアに戻ろうとしたら、すぐ脇の机の上からポトリと何かが落ちた。足元を見ると、でっかい毛もじゃのネコがのっそり歩いて窓際まで移動し、棚に飛び乗って空いているところに長々と寝そべった。
「ああ、きみちょっと」
計器類の間にいた人物が声を発した。
呼ばれたのはぼくなのか、それとも他の誰かなのか半信半疑でいると、その人物は再び声を発した。
「ちょっときみ」
ぼくは自分の鼻を指さした。
「そうそう、きみだよ、きみ」
ぼくのことらしかった。
「きみ、ちょっと、その台の上に立ってくれないか」
台?それはどうやら2メートル程先にある高さ20センチばかりの円形の台のことらしかった。ぼくは言われるまま直径2メートルほどの円形のステージに立った。
するといきなり何かのスイッチが入ったような音がして、ステージの上は光に包まれた。まぶしさに思わず両腕で顔を覆うと、その声の主は言った。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫、動いてもいいから、ちょっと台の上にいてね。すぐすむから」
目も馴れてきたので声の主をあらてめて観察した。もじゃもじゃの髪と無精ひげが丸眼鏡を埋め込んでいるといった顔だった。このおじさん、いったい何をしているんだろう?
「これって、なにをしてるの?」
ぼくは聞いてみた。
「立体写真を撮ろうとしてるんだよ。さあて、うまくいきますか、細工は隆々仕上げをごろうじろ…と」  
ぼくはちょうど天井からステージまでの光の筒の中に納まっているような感じだった。そして時折、光の輪がスキャンするようにぼくのまわりを上下した。
しばらくして光は総て消え、その人物が言った。
「はーい、終わり。お疲れさん。もういいよ」
ぼくは不思議な気分で台から降りると、その人物のところまで行き、その人物がずっと覗き込んでいるディスプレイを覗いた。
「おじさん。ぼくの立体写真、どうなったの?」
「ああ?うまくいっとるよ。見るかね?」
ディスプレイにはまぎれもないぼくが写っていた。だけどいったいどこいらへんが立体写真なんだろう。ぼくにはディスプレイに普通に人が写っているとしか見えなかった。
「疑っておるな、わしの研究の成果を」
丸モジャ眼鏡のおじさんはそう言うとどこやらのスイッチを入れ、あちこちのパネルのボタンを操作した。すると、先ほどぼくが立っていた台の上に、ぼくが現れたではないか。
「どんなもんじゃ、わはははは」
丸モジャ眼鏡のおじさんは得意そうに高笑いをした。しかし、ぼくはSF映画などで立体写真を見ていたから、さほど驚かなかった。本当はすごいことなんだろうと思うんだけれど、ぼくはもともとあまり表情を表に出さないタチだもんだから、それも加わっていた。
そしたら丸モジャ眼鏡のおじさんは、ぼくのそんな様子に不満だったらしい。
「驚かんのか?しかし、これはほんの序の口じゃ。これを見ておどろくな」
丸モジャ眼鏡のおじさんは立ち上がると窓際に置いてある籠に歩み寄った。そして中にいた動物を取り出すと、円筒形のガラスケースの中に入れた。やはりあの籠にはハムスターが入っていたのか、と思ったら、丸モジャ眼鏡をおじさんは、「こりゃモルモットじゃ」と言った。そしてモルモットを入れたガラスケースを先ほどの台の上に置いた。
「いいか、見てろ!」
丸モジャ眼鏡のおじさんは人差し指で念をおすと、再び計器類にうずまり、あちこちのスイッチを押した。
ウィーン…。
と、見る間にガラスケースの中のモルモットがぼくに変身しではないか!
「どんなもんじゃ!わははははは」
丸モジャ眼鏡のおじさんの高笑いが理科室みたいな部屋にえんえんと響き、ぼくの目と口は開きっぱなしになった。



ひかがみ(膕)

2008-05-15 08:36:24 | 20世紀という梨があった

「ひかがみ」とは膝の後のことをいう。
この言葉の存在を最近まで知らなかった。
梟おじさんが何気なく使ったのを「それってなに?」と聞いたら、梟おじさんはcatmouseが「ひかがみ」という言葉を知らなかったことに驚いていた。

そして梟おじさんは「竹のソノオ」という言葉を取り出してきた。
「ぼくは知らなかった。でもお年寄りなら、小学校も出てないような人でも皆知っていた言葉だった」
いつ頃のはなしなのか? 知ってから大分たつのだから、「ぼくは知らなかった」もないものだが、自分が知らなかったことへの驚き、そして無学でも近所のおばあちゃんやおじいちゃんなら誰でも知っていたという驚きが、今でも「ぼくは知らなかった」につながっているのだろう。

しかしてその意味は?
天皇の住んでいらっしゃる所、なんだそうだ。
きっと、明治維新以前、すめらみことは竹藪の生い茂った草深いところに住んでいらしたのだろう。陛下の境遇の変化によって、「竹のソノオ」は事実上の死語になったと思われる。

いつの新聞だったかな。読売新聞の編集手帳に、「数え日」という言葉が載っていた。
「数え日」とは新年を迎えるまでの、暮れの数日のことだという。幸田露伴の娘、幸田文の文章にその言葉が使われているそうだが、今は使われなくなった、と編集手帳氏は書いていた。
そういえば子供の歌で「もういくつ寝るとお正月」という歌があった。
あれは「数え日」の歌なんだ。認識を新たにした。

ところで、若い諸君は「もういくつ寝るとお正月」という歌を知ってる?
ねえ、ねえ、これは?
「猪口才」
ちょこざい と読む。生意気だ、という意味。
こんなふうに使うんだ。「猪口才なり!田宮坊太郎(注1)!敵討ちとは片腹痛し!」

※注1:田宮坊太郎は、かつて曽我兄弟とならんで子供達に愛読された敵討ち話の主人公


母の日によせて

2008-05-10 17:27:58 | 3次元紀行論
母の日に何を贈られたらうれしいか?というアンケートに一番多かったのは花だったそうな。
「なんにもいらない」この答えも多かったという。

母は子供の懐具合を思う。
「無駄遣いしないで、貯金しなさい」
これが多分、本音だ。
値段があまり張らないお花ならば、気持ちを頂いたと思い、喜んで頂きましょう。
そう考えているお母さんは多いだろう。
それが、何を贈られたらうれしいか、の一番に花が躍り出た理由だと思われる。

5月10日の読売新聞・編集手帳は貧乏時代のビリー・ワイルダーを取り上げた。
食えなくて、10キロやせたが、母親と会うとき、首周りの小さいシャツを着て頬を真っ赤にし、栄養満点を装ったのだそうだ。
この文を書いた編集手帳氏は母親の墓参りをするとき、メタボをカムフラージュするために縦じまのシャツを着ていこうとしている。

Catmouseはどうしようかな。

梟おじさんの49日がすんだら、ママと梟おじさんのお墓参りをする予定だけれど、その時、何を着ていこう。
多分、季節は6月になる。雨と紫陽花とくちなしの香りがするに違いない。
ママは、catmouseがいいというのに時々、着るものを買ってくれた。半分迷惑だったんだけれど、というのは、ママが思っているcatmouseは子供の時のcatmouseで小さいのさ。
ところが、catmouseはもう大人だからね。
諸君!可愛い子猫も飼って数年たつと、どのようになるか、ご存知だろうね?
この、したたかにふくれたドテ猫に小さなかわいいドレスは似合うと思うか?

しゃあない。この日ばかりは可愛いcatmouseを演じようかな。
思いっきり、かわいこぶりっこして行こうかにゃあ。
え?気持ち悪いって?
あ~あ、グランド・ミーティングで会っちゃった人もいるからにゃあ・・・
でもね、親孝行ですよ。親孝行。


梟おじさんのラスト・エイティーン

2008-05-03 12:34:33 | メモリアル

平成2年5月12日。
梟おじさんの最終講義が行われた。
レセプションであるから、誰が拝聴してもいいことになっていたので、catmouseも出かけた。
catmouseは工学については門外漢だから、理解できたのはざっとした経緯だけである。
それはこんな話だった。
昔、梟おじさんは戦車砲をつくっていた。その砲身をつくるには20~30メートルの竪穴溶鉱炉をつくらなければならなかった。なぜなら、横に寝かせて砲身をつくると、必ずひずみが出来るからだ。縦に吊るしてつくると、地球の重力によって、まっすぐな砲身が出来上がる。
砲身が出来上がったら、それを発射試験場へ持っていって弾道実験を行った。弾道実験を行ったとき、同時に被弾試験も行った。
それはどういうことかというと、弾道実験は、いかに計算どうりに狙ったところへ着弾するかという実験であり、被弾試験は戦車のどういうところに被弾すると、戦車にどのようなダメージを受けるかという試験であった。
難しかったのは、少しづつ位置をずらしていかに同じ戦車の屋根に着弾させるかということだった。
そんな話だったと思う。
それに付随する砲内弾道について、服座バネについて、弾薬の構成部分について、などはまったくちんぷんかんぷんだった。

梟おじさんは、このとき第一線から引退し、隠遁生活にはいった。
そして、かねてから憧れていた「温泉のある館」の建設にとりかかった。
館が完成すると、まずはじめに、昔の友達を館に招待した。
やってきたのはチョウゲンボウさん、ハヤブサさん、ノスリさん、イヌワシさん、オオタカさん、クマタカさん、トビさん。大学の同期生たちだった。
catmouseはこのとき、賄婦として、運転手として働いた。
トヨタのタウンエースに客人を満載して伊豆の急坂を登ろうとしたら、登れず、アクセルを吹かしても後じさりするばかり。
catmouseはブレーキを踏んで、いったん全員にお降りを願った。
あの時、catmouseがパニクったら全員が谷底に落ちていたかと思うと、今でも冷汗が噴出す。
客人たちは第二次世界大戦当時、大学を出たての若者として国を守り、戦後は復興の中心的な担い手として日本を支えてきた方たちであった。あやうくその方たちをあっという間に谷底に落とすところだった。

それが皮切りだったのか、その前から始まっていたのか、この、リタイアした友人達は連れ立って、毎年のように旅行に行ったり、ことあるごとに会食したりしたという。
その話をしてくれたのは、チョウゲンボウさんで、お悔やみにいらしてくださったときに始めて聞いた。
「あの頃は楽しかった」
とチョウゲンボウさんは懐かしんだ。
リタイアしたとはいえ、まだ気力も体力も充実していたことだろう。
「梟おじさんは頑固でねえ、自分がこうと計画したら変えないんだ」
そんなことも話してくれた。
「三軒茶屋の中華料理店によく呼び出された。新宿も中華料理店だったかな。そうだ、新宿の中華料理店で会食したとき、足をひきずってやっとの思いで来たという感じだった。梟おじさんとの会食はあれが最後だったかな」

この方達の、戦争によって存在しなかったであろう青春時代がcatmouseの頭をかすめた。
梟おじさんたちが仕事上の付き合いでもなく、人脈をつくるためでもなく、ただ純粋に気の合う友と遊び、楽しんだのは、唯一、この時期だけだったのではあるまいか。
そしてその黄金時代は、多分、10年間ほどしか続かなかったと思う。
なせなら、7年ほど前から、梟おじさんは伊豆の館に行くことさえやめてしまったからだ。
それから亡くなるまで、梟おじさんはその姿を友にも見せたくないような、不自由な生活を過ごすこととなった。



梟おじさん逝く

2008-05-03 09:56:17 | メモリアル

平成20年4月22日午後0時34分。
梟おじさんは慢性呼吸不全による急性呼吸不全で還らぬ人となった。

4月23日、玄関のチャイムが鳴った。
出てみると、梟おじさんの古い友達、チョウゲンボウさんが立っていた。
「葬儀に出られないかもしれないから・・・」
杖をついたチョウゲンボウさん。
梟おじさんのお友達とすれば、歩いてここまで来れたことに頭がさがった。

梟おじさんは5年ほど前、脳梗塞でたおれて左半身が不随意になった。
それでもリハビリのかいあって、自力で歩けるまでになっていた。
もう、飛べなくなっていたけれども。
そして、この1年ほどは車椅子での外出もままならなくなっていた。

年々歯が欠けたようになっていく梟おじさんの古い友達。
チョウゲンボウさんが残りわずかな旧交を温めようと訪問を申し出ていたが、梟おじさんは「来てくれるな」とがんとして断りつづけていた。
まだ梟おじさんが多少なりとも元気だったとき、前ぶれもなくチョウゲンボウさんが訪ねてきたことがあった。チョウゲンボウさんは道に迷って、近くを通りかかったアライグマに道をたずねた。
「ここらへんに梟おじさんのうちがあるはずなんですが、ご存知ありませんか?」
そしたらそのアライグマはなんとアラリちゃんだったんだ。
「あ、うちの木のうろです。ご案内します」
そうやって訪ねてくれたチョウゲンボウさんに梟おじさんは何て言ったと思う?
「なんで来たんだ?」

「自分のなさけない姿を見せるのをとてもいやがってましたね」
とチョウゲンボウさんは当時のことを思いだして言った。
「元気なときはね、しょっちゅう、こい、こい、って言ったんですよ。わたしがまだ京都におって、用事で東京に出たときは、帰り必ず伊豆の梟おじさんの家に寄っていきました。
あの頃、梟おじさんは東京と伊豆を行ったり来たりしてたでしょう。伊豆では一人暮らしをしておりましたなあ。実は一人暮らしは淋しかったんでしょうなあ。あのころはよく、こい、こい、って言ったのに、病気で倒れてから来るな、と言うようになりましたな」

それでチョウゲンボウさんと梟おじさんとの付き合いは、手紙のやり取りばかりになった。
それもチョウゲンボウさんが3~4通出すうち、梟おじさんからかえってくるのは1通というありさまだった。
「それでも3~4通に1通はましなほうですわ。まったく返事がかえってこないことのほうが多くなりました。一方通行ですわ」

梟おじさんが無くなる2日ほど前。
「弟のミミズクおじさんに会いたい?」
ときいたら、梟おじさんは、うん、とうなずいた。
もう、言葉をはっすることはできなくなっており、イエスかノーの意思表示しかできなくなっていた。
つづけて「チョウゲンボウさんに会いたい?」
と聞いてみた。
そしたら梟おじさんは、うん、とうなずいた。
「じゃ、チョウゲンボウさんに手紙を書こうかな。梟おじさんが会いたがってるって」
手紙にそう書いたら、チョウゲンボウさんはきっと来てくれるだろう。と思った。
しかし、書かないうちに臨終となった。
その話をしたら、チョウゲンボウさんはものすごく残念そうな顔をした。

チョウゲンボウさんは葬儀にも来てくれた。
杖をついて。
「実はわたし、梟おじさんより二つ歳下なんですわ。」
チョウゲンボウさんは昔の学制で飛び級をしており、梟おじさんは肺の病気で1年遅れていたので二歳違うけれども大学で一緒になったのだ。
「私が結局一番若いから残りましたな。私最後の一人ですわ」
チョウゲンボウさんは淋しそうだった。