国を守る意識というものは、日本においては明治維新前後に発生したといっていいと思います。それまで、国といえば、藩のことでした。「お国はどちらです?」といえばその「お国」とは都道府県を指しました。今ではこの質問、ほとんど死語ですね。
閑話休題。
それまで、日本には”国家”という概念がありませんでした。では、国はなかったのか、というとそういうことではありません。近代の国家という概念、いわゆる、西洋的な国家の概念がなかっただけです。
その昔、元が来襲したときは、日本全土、一致団結して国難に当たりました。鎖国していたときは日本全土が鎖国していました。本当は樺太まで日本の領土のつもりだったのですが、「ここは日本です」という立て札をしっかり立てていなかったので(これも西洋的な考え方)、うかうかしてロシアにとられてしまいました。だって、シベリアをはさんでこの最果ての北海道の北にある島がロシアのものだなんて、どう考えてもおかしいでしょう。(catmouseは民間人なので、何を言ってもいい)
またまた脱線してしまいましたね。つまり、日本が近代国家として意識した明治維新。国事に奔走して斃れた戦士を祀った最初の神社が靖国神社だったわけです。
日本が近代国家として立ったとき、何を中心として国づくりをはじめたか、それは民主主義でも独裁者でも軍でもなかったのです。霊的には建国以来戴いてきた民族神を中心として国づくりをはじめたのです。
そこにおける靖国の意義とは、生前、命をかけて国を守った人々に感謝の意を込めてお祀りするものであり、また、死して後あの世からなお、日本を守護する守護神であるように願いを込めてお祀りするというようなものなのです。
たかが神社、と思いますか?例えば、郵政民営化するのと、靖国を切り捨てるというのと、どちらが国益を損なうかという点ですが、たしかに郵政の問題は経済問題ですから、直ちに目に見える形で影響が出てくるでしょう。でも靖国を切り捨てると、当面はなにも起こりません。
でも、はっきり言いましょう。日本という国体の核の部分が崩壊するのです。
日本がなくなると思わなければなりません。
閑話休題。
それまで、日本には”国家”という概念がありませんでした。では、国はなかったのか、というとそういうことではありません。近代の国家という概念、いわゆる、西洋的な国家の概念がなかっただけです。
その昔、元が来襲したときは、日本全土、一致団結して国難に当たりました。鎖国していたときは日本全土が鎖国していました。本当は樺太まで日本の領土のつもりだったのですが、「ここは日本です」という立て札をしっかり立てていなかったので(これも西洋的な考え方)、うかうかしてロシアにとられてしまいました。だって、シベリアをはさんでこの最果ての北海道の北にある島がロシアのものだなんて、どう考えてもおかしいでしょう。(catmouseは民間人なので、何を言ってもいい)
またまた脱線してしまいましたね。つまり、日本が近代国家として意識した明治維新。国事に奔走して斃れた戦士を祀った最初の神社が靖国神社だったわけです。
日本が近代国家として立ったとき、何を中心として国づくりをはじめたか、それは民主主義でも独裁者でも軍でもなかったのです。霊的には建国以来戴いてきた民族神を中心として国づくりをはじめたのです。
そこにおける靖国の意義とは、生前、命をかけて国を守った人々に感謝の意を込めてお祀りするものであり、また、死して後あの世からなお、日本を守護する守護神であるように願いを込めてお祀りするというようなものなのです。
たかが神社、と思いますか?例えば、郵政民営化するのと、靖国を切り捨てるというのと、どちらが国益を損なうかという点ですが、たしかに郵政の問題は経済問題ですから、直ちに目に見える形で影響が出てくるでしょう。でも靖国を切り捨てると、当面はなにも起こりません。
でも、はっきり言いましょう。日本という国体の核の部分が崩壊するのです。
日本がなくなると思わなければなりません。