3次元紀行

手ぶらで地球にやって来ました。生きていくのはたいへん。そんな日々を標本にしてみました。

歌劇「アルチーナ」感想文

2007-10-28 09:41:35 | コンサート
7月のある日、ヘンデルのオペラ、「アルチーナ」を聴きにいった。
ヘンデルがどんな作曲家かすぐに答えられない人でも、メサイアと言えば、「ああ」といい、「メサイア」で思い出さなくとも「ハレルヤコーラス」といえば歌ったことのある人がいくらでもいるだろう。くわしくはウィキペディアに解説をゆずろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB

さて、ヘンデルのバロック・オペラ、アルチーナの初演は1735年の4月。当時はそのシーズンだけで18回も上演される人気作だったそうだ。日本では初演なのかな?プログラムをひっくり返してみたけれど、そうとは書いていない。でもほとんど初演くさいな。
そして、このオペラ、東京室内歌劇場39期116回定期公演、平成19年度文化庁芸術創造活動重点支援事業、第23回<東京の夏>音楽祭2007参加公演。という長たらしい肩書きがつく。
しかし、長たらしいだけのことはあった。
Catmouseが聴いた15日の出演者は出口正子、小畑朱美、幸田浩子、背戸裕子、近藤政伸、春日保人、丹藤麻砂美。こう書けば、知る人ぞ知る、実力者ばかり。
でも、catmouseはあまり知らなかった。知らなかったので驚いた。
すごい!
出口正子さんは今、ひっぱりだこの人気者だそうだが、何しろ、オペラ歌手というのは、劇場に足を運ばなきゃ聴くことができないので、はじめて聴いた。
声はドラマティコといっていいのかな、そう軽い声じゃないのに、よくころがるのだ。
役柄は女王でしかも魔女。男をたぶらかし、恋をし、怒り、罰を与えるというどぎつい役どころ。声はお腹のそこから湧き出るような強い、はりのある声で、それなのにバロックの特徴でもあるメリスマをよくころがり、そしていくつもの音階を飛び越える。(プログラムには10度を飛び越えるとあった)
一曲歌い終わるごとに、拍手、拍手だった。
幸田浩子さんはレッジェーロかな。高音がすきとおるようなコロラトゥーラ。ものすごく、かわいい。役どころのモルガーナは女王の妹。自由でわがまま。ちょっといい男が現れるとふらふらと浮気をし、前々からの恋人をあっさりとふってしまう。ふられたオロンテという恋人は、「もどりたい、といっても許さないぞ。おんなじことをいって仕返ししてやろう」とひそかに思い、その時がやってくるのだが、かねてのもくろみどおり「もどりたいだなんて、許すものか」と歌うが、もういつまでもその意地ははれないというのが手に取るように伝わってきた。
歌を一曲、一曲楽しむうち、あっというまにオペラは終わってしまった。

アルチーナ。再演はそうそうないだろう。だって、このオペラ、歌うのが相当むつかしそうだもの。下手な人が歌うと、まったく面白くないオペラになってしまうと思う。
出口正子さんのあとを歌うのはちょっとおそろしいぞ。


映画「フラガール」感想文4

2007-10-09 00:04:05 | 映画
 ここにある若者が登場する。
この若者は体が小さく、それまでは紀美子の兄ちゃんの弟分だったと思われる。
紀美子の兄ちゃんが、フラの先生の家にマーキングをしにいったとき、一緒にくっついていった若者だ。
この若者が、いつのまにかハワイアンセンターの仕事を手伝うようになっていた。
ある日、紀美子の兄ちゃんの洋二朗が自転車で走っていると、椰子の木をつんだ自動車とすれ違った。洋二朗はトラックの助手席にいるその若者を見咎め、「おめ、いつからハワイアンセンターに寝返ったんだ?」と若者を車から引きずり出し、若者が「時代が変わるんだ」と口答えをすると、今度は「椰子の木だなんて、こんなもの」と荷台に積んであった椰子の木の葉っぱをむしり始めた。すると若者は「やめてけれ、やめてけれ」とわめきながらとめようとするが、どうにもとめられないとわかると、洋二朗に殴りかかったのだ。それまで、おそらくその若者は洋二朗から殴られこそすれ、洋二朗を殴ったことなどなかったのだろう。

 若者がその椰子の木にどれだけ愛情を注いだかがさらに描かれる。
ハワイアンセンターの大きなドームのなかに椰子の木を植え替えた若者は、南国育ちの椰子の木が寒くないかと自分の上着を脱いで、その椰子の木にかけてやるのだ。
でっかい椰子の木。その若者の小さい上着なんぞ、ほとんど役にたたないと思われるのだが、若者はそうしてやって、さらにやさしく椰子の木に語りかける。
「寒くないかい? おれが守ってやるからな」
そして、冬が近づき、ハワイアンセンターの暖房装置の敷設工事が遅れると知るや、若者は各家々のストーブを椰子の木のために貸してくれないかと土下座してたのんだ。

【この若者をみていて、とても日本的だと感じた。日本人は自分の仕事に一途で、木という異種の生き物にも自分と同等の愛情を感じる。catmouseは日本人のそういうところがとっても好きだ。】

 閑話休題。
もう一人若者がいる。
紀美子の兄ちゃんだ。
実はフラの先生、平山まどかには多額の借金があった。どうやら母親がつくった借金らしかったが、金貸しのヤクザがまどかに取り付いて、うまい汁を吸い続けていた。
その借金取りが一度常磐くんだりまでやってきて、まどか先生の居室を散々荒らしまわった挙句、有り金をさらって持っていった。
そいつら、いよいよ常磐ハワイアンセンターがオープンという時にまたやってきた。
このめでたい時に、まどか先生からばかりでなく、まわりからも“ご祝儀”をせしめようという魂胆なのだろう。
しかし、金貸しヤクザは今度ばかりは目的地に辿り着けなかった。
彼らは東京から、黒塗りの高そうな車に乗ってやってきたが、ゆく手を自転車に阻まれた。自転車をバックに、車の前に立ちはだかったのは、つるはしを持った一人の男。
紀美子の兄ちゃんだ。
「ここからは一歩も通さねえぜ」
なんていい男なんだ。

ハワイアンセンターではフラダンスが始まっていた。
超満員の観客。兄ちゃんのたった一人の妹紀美子が、勘当するといって反対していた母親も見守る中、あでやかにソロを舞う。

一方、町の入り口でヤクザを倒した兄ちゃんが向かった先はハワイアンセンターではなく、炭鉱の入り口。ふん、と鼻で笑って上着を脱ぎ、つるはしをかついで走り出したトロッコに飛び乗った。時代がどう動こうと「おれは炭鉱夫だ」とその姿は物語っていた。
なんていい男なんだ。
俳優は豊川悦司。
ドラマの中の男に、久方ぶりにぐっと来た。

映画「フラガール」感想文3

2007-10-08 21:27:00 | 映画
親の死に目か、仕事か。
男なら、「親の死に目にも仕事を続けていた」というのが自慢の種になることもある。
が、炭鉱の町は事情が違ったのだろうか?

炭鉱の男たちが白い目で見るなか、フラガールとして一人だけ父親に連れてこられた少女がいた。
「うぢの娘は、めんこいんだ」と父親がつれてきたのは図体ばかりデカいぼさっとした娘。
それが南海キャンディーズのしずちゃん扮する小百合。ダンスなんか踊れるのかと第三者的にはそう思えるような娘だが、父親は目の中にいれても痛くないという風情で、時折練習を見に来ては目を細めていた。
その父親が落盤事故に遭い危篤状態に陥った。
事故当時、娘達はキャラバンに出かけていた。巡業先で落盤事故の一報を聞くが、当事者の小百合が「仕事を続けましょう。続けたいんです。続けさせてください」と率先してたのむので、公演は続行された。
しかし、夜、町にもどってみると、小百合の父は亡くなっていた。
小百合の帰りを今か今かと待っていた親類縁者が「父ちゃんは最後までおめェの名を何度も何度も呼んでいたぞ」というと、小百合は泣き崩れてほとんど立っていられない状態になったのを、親類の人たちが「はやく、はやく」と抱きかかえるようにして父親のなきがらのところに連れて行った。
この様子をみたハワイアンセンター建設の反対派の人たちはフラの先生に詰め寄り、「よそ者なんかにおらだの気持ちがわかっか。東京さかえってけろ」と罵声をあびせる。
荷物をまとめて帰り支度をする平山まどか先生。来たときとはうってかわってもの思いにしずみ、その様子が乗り込んだ夜汽車の車窓に映る。
とその車窓に、まどか先生の教え子たちの姿が映った。
まどか先生をひきとめようとやってきた教え子たちの姿だ。教え子達はプラットホームでまどか先生が全霊をこめて教えたフラの手話で気持ちを伝えはじめる。

(先生が行ってしまうと、悲しくて胸が張り裂けそうです。涙が流れてとまりません。わたしはあなたを愛しています)
しかし、汽車はホームを離れていく……と見せかけて、バックしてきた。そして、ドアが開いて先生がプラットホームに降り立った。戻ってきてくれたのだ!
(きっと先生は運転手の首でもしめて、「汽車を止めて!あたし降りる!」とでも叫んだのだろう。かって、バスをそうして止めたように

映画「フラガール」感想文2

2007-10-08 15:25:08 | 映画
 【この映画のよさは実話に基づいているというところにあるだろう。
時代は石炭から石油の時代へ、戦後の復興から高度経済成長の時代へという転換期だった。
炭鉱では閉山が相次ぎ、多くの炭鉱労働者が行き場を失った。
常磐ハワイアンセンターを計画したのは常磐興産という会社。この会社が何億という費用をハワイアンセンターの開発にかけた(と映画で言っていた)。
何億もの金をハワイアンセンターなどという海のものとも山のものともつかぬ事業にかけるということを知った当時の炭鉱労働者達は怒ったに違いない。その対立のもようが映画にわずかだが描かれていた。当時、常磐ハワイアンセンターが成功するという保証はどこにもなかったに違いない。今から考えてもこの成功は奇跡としか思えないのだから。
ウィキペディアを検索してみると、常磐地域の成功はハワイアンセンターだけでなく、「大企業である日立製作所関連企業が石炭産業従事者の大部分を吸収し、自治体としての基盤の維持に貢献した」とある。
ともあれ、あの時代、常磐に奇跡の風が吹いた。】

 【常磐に奇跡の風を呼んだのは誰だったのか。
名も無い大勢の人の情熱だったのだろう。
“フラダンスは常磐娘で”という考え方が、このプロジェクト全体を貫いていたと思う。
企業が金だけを出して、他から呼んで来るのでなく、地場産業として地元民の手で育てていこうとしたところに奇跡の風を呼んだ秘訣があったにちがいない。
長岡の“米100表”の思想と相通じるものがあると思う。】

 閑話休題
「フラガールになろう」早苗が紀美子をさそう。
「ここから抜け出す最初で最後のチャンスでねぇがい?」
その早苗の父がある日解雇通知を手渡される。
会社ではわずかな愚痴で解雇通知を受け取ったその男が、弟や妹にフラダンスの衣装を見せてやろうとした娘の姿を見て、怒を爆発させ、その自分の娘を馬乗りになってぼこぼこに殴りつける。
女が男を軽蔑するのはこういう時だ。その力を弱いものにしかふるえないのかってね。
しかし、この仇はフラの先生、平山まどかがとってくれた。
騒ぎに駆けつけた先生は早苗の真っ赤に腫れあがった顔を見て、怒りを爆発させ、その足で、おやじが向かったという銭湯に向かい、男湯に突入し、湯船につかっているおやじを見つけると着衣で湯船に飛び込んでおやじを湯に沈めたんだ。
Catmouseは溜飲を下げた。
が、このおやじも悪い男ではない。
まだ景気がさほど悪くない夕張炭鉱に職を求めて転居することにした。
そのため、早苗もフラガールになるのを諦めて、おやじについて夕張りにいくのだが、ここが、この映画の一番泣けるところ。
早苗のうちには、まだ幼い弟や妹がいる。そして母ちゃんがいない。もし、母親がいたなら、早苗はきっと残って紀美子とフラガールを続けたろう。
しかし、幼い弟や妹を見捨てて自分だけ夢に生きることは早苗にはできなかったのだ。
また、父親も、常磐炭鉱を解雇されたといって、いつまでもぶらぶらしているわけにはいかなかった。誇りある炭鉱夫として生きていくために、まだ仕事のある夕張に行くことを選んだのだ。
さすがの先生も、こんどばかりは怒りをぶつける相手がいない。
どうすることもできない時代の流れ。
先生は実は熱い血のたぎる女。情熱の人なのだ。
先生は別れ際、早苗の体を抱きしめておいおいと泣いた。

つづく

映画「フラガール」感想文

2007-10-08 11:45:28 | 映画
10月6日、テレビが映画「フラガール」を放送。久しぶりにテレビのある部屋まで出向いてテレビでドラマを見た。

【昭和40年のことだそうだ。
昭和39年は東京オリンピックが開催されている。 映画「フラガール」オフィシャルサイト

女子中学生がフラガール募集のちらしを手にする。昭和初期かと思われるようなロゴが使われたチラシだ。そこにボンネットバスが登場。動いているのが不思議なくらいおんぼろバスで、レトロな雰囲気をぐっと盛り上げる。

 【昭和40年というとベトナム戦争まっさかり。確か路線バスはフラットなバスに切り替わっているんじゃないかと思われるのだが、その後のボンネットバスはその形が愛されて、観光地の人気者となってぴかぴかな姿で各地を走っりまわっている】
 
閑話休題。
東京からフラダンスの先生がやってきた。SKDのトップダンサーというふれこみだ。SKDのトップダンサーというけれど、こんな常磐くんだりまでやってくるような女性はわけありに決まっている。見る人にそう感じさせたのは、女は確かに派手な都会風の服を着ていたが、隙のない装いというわけでなく、どこかくたびれていて、態度はやさぐれていたからだ。

【多分、先生は上野駅から常磐線に乗ってやってきた。当時の常磐線は蒸気かな。ジーゼルかな。いずれにせよ、トイレはタンク式でなくて、しゃがむと線路の上を走っていることがわかるタイプのものだったろう。車窓に白紙をはって窓が何によって汚れるかを調べた大学教授がいた。やっぱり黄色い飛沫がついたそうだ。】

閑話休題。
フラの先生の宿舎の前で、さっそく土地の若い衆が立ちしょんべんをしてマーキングをした。気の強い江戸の女は、その若者たちにバケツの水を挨拶代わりにお見舞いする。
またある夜、先生は一人、村の安食堂でおしんこを肴にいっぱいやっていた。
おしんこをバリバリと奥歯で噛むそのしぐさが、いかにも堂に入っていていい味を出していた。
そこに、先日マーキングしていた若者が近づく。
先生はいかにも(まずいのがきやがった)という表情を見せるが、若者が近寄ったのは案に相違して「妹がフラダンスをやりたいといったために、お袋に勘当されて家を出て行ってしまった。この妹をよろしくたのむ」というものだった。

【フラの先生、平山まどか役を松雪泰子が演じている。松雪泰子はお化粧品の宣伝でしか知らなかったが、こんなにいい役者とは思わなかった。この映画の成功は松雪泰子に負うところが大きいと思う】

つづく