3次元紀行

手ぶらで地球にやって来ました。生きていくのはたいへん。そんな日々を標本にしてみました。

ダステン様へ『永遠の0』

2013-02-23 10:09:34 | Weblog
ダステン様

ブログもメアドも存じ上げないので、ここからメッセージを送ります。

『永遠の0』購入しました。

まだ読み途中です。


コメントに"戦機もの"とあったのに、

0戦の0だと思いつきませんでした。


読み途中ですが、ちょっと感想を述べます。


catmouseはずっと不思議に思っていたことがありました。

大東亜戦争に対する日本人としての反省についてです。

なんかもう、catmouseの育った環境というのは、

「戦争はいけない。絶対してはいけない。軍備反対」でした。


純粋な疑問です。

先の大東亜戦争を考えるとき、

なんで日本人は思考停止なのだろうか?

つまり、

戦争をしたこと、そのことのみを反省し

どこが間違っていたために負けてしまったのかという視点での反省すら、

全くできなかったことです。


もう一つ。

日本だけが侵略戦争をしたことになっているということ。

だって、

アジア諸国は西欧列強が植民地にしてたじゃないですか。

大東亜戦争後、なんでアジア諸国が解放されたのでしょうか?

その答えとして

日本が負けたから、アジア諸国が解放されたというのが与えられていましたが、

おかしいじゃないですか。

日本が負けたら、アジア諸国は未だ西欧列強の植民地であったはず。


で、

この『永遠の0』を読み始めて思ったのです。

なにがダメで戦争に負けたのか。

catmouseと同じ意見が書かれているらしい、と。


catmouseが戦時中のはなしで、一番腹がたったことは

「おまえらは一銭五厘でいくらでも集められる」という台詞です。

この台詞はブラックジョークですよね。


一銭五厘で、人が作れるわけはないのです。

鉄砲よりも、飛行機よりも、お金がかかっているのです。

鉄砲や飛行機は数日間で作れますが、

人間が成人するには20年かかります。

ましてや、熟練工となると、それから何年もかかるわけです。


こういう、当たり前の普通のことがわからないというのは、

想像力の欠如というか頭が悪いというか

これを、

当時、旧制の高校や大学を出た人が本当にわからなかったのだろうか?

まあ、これが不思議でなりませんでした。


こうした、普通の、単純計算ができていなかった。

これが戦争に負けたことの一因ではないだろうかと

catmouseはずっと思っていたのです。


主人公のおじいさん、宮部さんという人は、

そのことがわかっていた人ですね。

残念なことに、そういう頭のよい人が指揮系統にいなかったということです。


これは日本人の「のり」に関係することなのですが、

日本人がもつ「空気を読む性格」

これは長所でもあれば短所でもあると思います。


「一銭五厘」で兵隊は集められる。

この台詞はジョークとしては面白いです。

まるで、このジョークは、今で言えば

テレビの朝ズバとかバラエティ番組の「のり」です。

自嘲的で、悪意があって、影響力もある。

しかし、短絡的で社会にとって益などないものです。


時々、思うのです。

日本は物量に負けたのではなく

ものの考え方で負けたのではないか?と

それならば、負けるのは当然であり、

負けてよかったのだ、と。

負けなければ、間違いに気付きませんから。


しかし、

戦争したことそのものが悪いということで思考停止し、

なんで戦争に突入したか、

なんで戦争に負けたのかに関しての考察が無ければ

負けてよかったとはとても言えません。



『永遠の0』では、そのことに触れている。

まだ読み途中ですが、

catmouseはそう感じました。


そう、ここで口のすべりついでに


ワタミの社長は政治家になるべきではありません。

あの社長は「一銭五厘」で兵隊が集められると思っている口です。

従業員に無理をさせて、

できたら「できたから無理ではなかった」という人です。

こんな人に国の舵取りは任せられません。

また同じ間違いをすると思います。



またまたついでに

catmouseが幹事をするなら、和民には絶対行きません。





書けなくなったからなのか、そのために書けなくなったのか

2013-02-02 20:29:39 | Weblog
なぜか、最近音楽三昧なんです

もともと世田谷区民合唱団で合唱はやっていたのですが、

最近、シベリウスファウストなるものを入手し、

簡単な編曲もするようになりました


というのも、

必要に迫られて……

クイーンズという女性コーラスアンサンブルをつくったのです

伴奏のピアノがないところで、

発表をすることが主なので、

それでは伴奏をヴァイオリンでしようということになり

ヴァイオリン譜をつくるようになったのですね。

YOU TUBE などを聞き、

ピアノ譜などもアレンジして

今度、

ヴェルディのレクイエムの後の打ち上げで、

クイーンズは坂の上の雲の主題歌

STAND ALONE を演奏します。

伴奏はcatmouseのヴァイオリン


そうそう、

明日、友だちが出演する第九を聞くために

両国のシアターX(カイ)に出かけます。

その前の11時30分、弓の毛がえをしてもらいに

経堂のヤマハへ。


あさっては、

もう一つ参加しているアンサンブルグループ

ハーツ&ヴォイセス の練習に行きます。


小説のことは書けなくなったけど

音楽のことは書き出したら止まらない?

なにやってるんだcatmouseは……

最近、書いていません

2012-11-26 22:51:46 | Weblog
最近の事件ですが、

愛知の信用金庫に立てこもった32歳の男

現在、動機などを取調べ中だと思うのですが……

……務所に入りたかったんじゃないかな?

泊まるところも無く、

所持金も無かったそうで……

いや、なぜ、こんなことを言い出したかといえば、


生きていくのは、なかなかたいへんだなと思うのです。


と言っても、catmouseには住む家もあり、

仕事もあります。

今日のように、激しい雨の日は、

こんなボロ屋でも家があるということは本当にありがたいこと、と

つくづく思ったわけでありますが……


しかし、

3年位前、

小説を書きたいと思って、

未熟なりにいろいろ書き綴ってきたのですが、

ここ半年ほど、

なんか、書けなくなりました。


原因は、

「ビブリア古書堂」とか

「三匹のおっさん」をはじめとする有川浩の小説、

今年の書店大賞をとった「舟を編む」等を読み、


おもしろい作品、

人が感動する作品、

そんなものを考え込んでしまったからでした。


人の目を吸いつけて離さないもの、

人が感銘をうけて、読後暫く席を立てないようなもの

そこには共通して

生きていくのにたいへんな世の中で

地道にがんばった結果、まずまずの成果を出したというような、

そうしたことが描かれていると

思いました。


catmouseの人生に、

そうしたものがあっただろうか?

まあ、

そこそこに、あったとして、

catmouseの書いたものに、

そうしたものがあったろうか?


そして、

これから書くとして、

じゃあ、どんな話をピックアップできるか?

と、考え込んで、

まだ、思いつきません。


要するに、ネタが浮かばないのですね。



で、


なぜ、愛知の信用金庫の立てこもり犯の話を最初にだしたかというと、


彼は、行き詰ってしまった。

心の中に、悲しみがいっぱいつまっているだろう、と思われるのです。

彼のこれからの人生を思っても

起死回生の逆転ホームラン…とまではいかなくとも

出塁のヒットを打つのは、

さぞかし難しいだろうな、と、本人自身も

思っていると思うのです。

小説でも、というより

小説こそ、ここから成功話しを引き出すのは難しいでしょう。

あまりにも嘘臭いと感じられるでしょうから。


実話なら、あるかもしれません。

時たま、小説より、事実の方がありえないことが起きますからね。


小説は、実話のなかから極端な例を切り捨てて、

真ん中の部分から普遍性を取り出す作業をしなければならないんじゃないか?

そんなことを考えます。


で、

依然として書けないという状況が続いているわけですが……


先日、

越谷レイクタウンというところに行ってきました。
(冒頭の写真)

巨大なショッピングモールができていました。

イオンとマルエツがありましたが

建物が巨大で、

内部が広くて新しくて、トイレなんかもきれいでした。


catmouseは、

富の集積を、そこに感じました。

日本は、不況、不況というけれど

こんな繁栄の姿もあるのだ、と認識を新たにしたわけです。



しかし、

これが、

客足が思ったようにないとなると、

錦糸町にある、あるビルの8階のように、

テナントが撤退して、

シャッターが閉められた店が増えるんだろうな……

すると、

一挙にゴーストタウン化が進んで、

ますます客足が遠のくんだろうな……

越谷レイクタウンにいった日は

冷たい雨が降ったので、

客もそれ程多くなく、そんなことをふと思いました。



この世は、

何がおこるかわかりません。

と、

そんなことを言っている場合ではありません。


えーと、

catmouseも地道に書く努力をしなくっちゃ……

明けましておめでとうございます

2012-01-01 11:57:59 | Weblog
2012年、元旦

明けましておめでとうございます。

昨年巣立った家族が帰省しまして、

新年にあたり、記念撮影をいたしましたので

ご披露いたします。

残念なことに、

家族全員は揃いませんでした。

一閑人……もとい、

いまや多忙人となったものが約1名、

暮になっても

正月になっても

戻りません。

そんなわけで、記念撮影の中には居りませんが

やつはTigerなので、

いたとしても、ちょっとここには納まりませんでした。

さて、

昨年中は、拙小説のご愛読有難うございました。

今年もまたよろしくお願いいたします。

いや、

ここに小説をUPしているということは、

おちた

ということなので、

あまりめでたいことではないのですが、

今年は

応募作品ではない、

独自の、もっと肩のこらないものを

考えてみようかと思っております。

記事に関係のないことでも

コメント、お便り、お待ちしております。

今年1年、

どうかお健やかで。

catmouse

曽野綾子さんのご意見拝借

2011-01-28 20:23:08 | Weblog
1月27日の読売新聞夕刊に、曽野綾子さんの「老いて得た自由・開放感」という記事が載っていました。


最近、この方のことを考えたりしていました。


曽野綾子さんは周知のごとく、キリスト教徒です。

おどろおどろしいものがもてはやされる昨今、

この方のものはちゃんとしています。


昨年、「老いの才覚」がベストセラーになりました。


catmouseはまだ読んでないけれど。


そのかたが、読売新聞のインタビューに答え、

文は田中秀一という人が書き、

それが27日の夕刊に載ったのです。


そこに、


「電気や水が絶えることなく使えて、


警察や交通機関は責任感があって信用できる。


こんないい国はありません。


日本の悪口を言う人は、どうぞ出て行ってくださいと言いたい」


というくだりがありました。



そうですね。

本当にそのとおりだと思いました。








このところダブルブッキング気味

2011-01-08 11:06:27 | Weblog

1月7日(写真は、その日の東京スカイツリー)

昨日は 第九の歌いぞめだった。

行くつもりをしていた。

14:00から墨田リバーサイドホールで献堂式の全体練習。

19:00から同じ場所で第九の歌い初め。

昨年は歌い初めに行った。

そしたら、ソリストも来て、

アトラクションに、それぞれの持ち歌を歌ってくれた。

そして、帰り際、

「隣の会社からの差し入れです」

一本づつ、缶ビールが配られた。

「来年もいくぞ!」と、その時思い、

そして今年、

「今年もいくぞ!」

と思っていたら・・・・・・

1月23日出演する予定の

オペラ、カヴァレリア・ルスティカーナの特別練習が入ってしまった。

   く~

泣く泣く献堂式の全体練習だけ出て、

「歌い初めに出られるのは、結局わたし一人?!」

という、世田谷区民合唱団には所属していない友達と、

泣きの涙で別れ、

地元、世田谷に戻って行ったのでした。



(出るはずだった第九の歌い初め会場。献堂式の練習中、会場に運び込まれた花)

 

ところが、もうひとつ、ダブルブッキング

1月15日、新宿文化センターで

献堂式の全体練習。

指揮者の松尾葉子先生もいらっしゃる。

行くつもりをしていた。

新宿は墨田リバーサイドホールよりずっと家から近い。

所要時間も距離もだいたい半分程度。

ところが、

講談社の「本格ミステリー、『ベテラン新人』発掘プロジェクト」

というのに申し込んでしまった。

まだ返事はきていない。

今年にはいったら返事をくれるというのに、

まだきていない。

その説明会日時が1月15日14時~

みごとにかぶっている。

でも、今よくみると

※日時は変更になることもございます。

変更にならないかな。

このベテラン新人発掘プロジェクトは

読売新聞に載っていた。

全国紙に出ちゃったから、応募が多かったと思われる。

あまり多いと抽選なのかな?

・・・・・・・・・・・

思い悩む日々であります。


2011年、六所神社に初詣

2011-01-02 10:13:34 | Weblog

1日、2日と、

東京方面、穏やかな日よりでした。

1日は初詣に行きました。

二手に分かれて。

我々は近所の六所神社にお参りに行きました。

六所神社

実は

伊勢神宮直系の由緒ある神社です。

なんでも

伊勢神宮は、平成25年が

20年に一度の式年遷宮にあたるとかで

寄付を募っていました。


おみくじをひきました。

おみくじは末吉でしたが、

内容はcatmouseをよろこばせるものでした。

 はなされし
 かごの小鳥の
 とりどりに
 たのしみおおき
 春ののべかな

 解釈
 
 
籠の中にいた小鳥が放されて、
 自由に飛び歩くように
 苦しみを逃れて楽しみの多い身となる運です。
 世の為人の為に尽くしなさい。
 幸福(さいわい)まして名もあがります


昨年あたりから

にゃっちゅにはこの兆候があらわれていました

さすが

霊験あらたかな六所神社であります

 

さて、

別働隊は

松蔭神社に繰り出しました。

松蔭神社とは

いうまでもなく

吉田松陰先生をお祭りした神社です。

もともと長州様の下屋敷のあったところで、

国士舘大学、

世田谷区役所

こうしたところが跡地に入っております。


維新前夜、

安政の大獄

松陰先生が小塚っぱらで

刑場の露と消えるや、

高杉晋作他弟子数名が

夜陰に乗じて先生の遺体を掘り出し、

籠に載せ、

長州の下屋敷まで運びました。

もちろん

当時、刑場から

処刑された罪人を運び出すことなどご法度

しかし、大名屋敷は治外法権ですから、

高杉晋作らは

長州の下屋敷まで

籠をとばして先生の遺体を運び込みました。


考えてみれば

高杉晋作というひとは

今で言えばテロリストです。

イギリスの公使館焼き討ち事件などをおこしているんですね。

でも、

現在の彼への評価は、維新の志士、

イギリスと長州が戦闘状態にはいり、

長州が負けて敗戦交渉に入ったとき、

対馬の借地を要求するイギリス人を相手に、

鎧兜で交渉に応じ、

イギリス人を煙に巻いて

対馬を守りきった人です。

その対馬、

今、韓国人に取られようとしていますが、

それでいいのか!


まあ、それはまた別の話として、

つまり、

松陰神社は

維新の志士たちを育てた、

吉田松陰先生を祭った神社

ここも参拝者が行列をなし、

神前に額づくまで小一時間ほど待ったそうです。


catmouseは

「神様、日本をお守り下さい」

とお祈りしましたが、

なんか

「自助努力せよ」

という声が返ってきたような気がしました。

 

 

 


なんじゃもんじゃの木

2010-05-04 22:32:14 | Weblog
近近所でなんじゃもんじゃの花が満開になりました。

なんじゃもんじゃの木は、学名「ひとつばたご」
もくせい科の属する落葉樹だそうです。

この木の持ち主がそんな説明書を塀の外にぶら下げて置いてくれています。

catmouseがわざわざ見に行って、携帯で写真を撮っていると
見物客がもう一組現れました。
なんじゃもんじゃの木のある通りの、
すこし西に行った先のうちの大奥様です。
たしか、少し前まで、民生委員をやってらしたかたじゃないかしら・・・・・・

今年は、4月頭に雪が降るなど、いつまでも寒い日がつづいたりしたけれど、やっと、春めいてきました。
というより、いきなり初夏?

家々の庭にはその家が丹精したいろいろなお花が咲く季節となりました。
いままでちょっとうかうかしていたけれど、デジカメ、持ち歩かなくっちゃ。



一重の白バラ。
軒をつたって二階のベランダまでとどき、蔓にそって、ずっと見事な花を咲かせていました。

しいちゃんとドングリ山 あとがき

2009-06-12 12:01:15 | Weblog
この童話は、もちごめちゃんが小さいとき、
もちごめちゃんを主人公にして語って聞かせた物語りがベースです。

こどもに歯みがきをさせるための
母親のなみだぐましい努力、感じていただけたでしょうか?
ハミガキの会社から感謝状がもらえそうですね?

ところで、歯みがきに使うチューブに入ったものを
ハミガキコと表現しようとして、はっと気付きました。
昔は粉だったんです。
歯磨き粉。
ビンに入っていました。
でも今は粉ではありません。
ペースト状でラミネートチューブに入っています。

じゃあ、今はなんて言うんだろう。
歯みがきペースト?
歯みがき洗浄剤?
疑問に思って、チューブの能書きを確かめて見ました。

「ハミガキ」

って書いてありました。
あるいは「薬用ハミガキ」
2つのメーカーを確かめましたが、どちらもそう書いてありました。
そうか。
粉をとっただけで、文法的には問題ないと言っちゃないですけど、
しっくりきませんね。
「歯磨き粉、きれてるよ。買ってきて」
こんなとき、どう言うんでしょうね。
「ハミガキ、きれてるよ。買ってきて」
・・・わかるからいいのか・・・でも・・・
あ、思い出しました。
ペースト状のが最初に出たとき
「練り歯磨き」って言葉を使っていました。
でも、いまは使わないんですね。
「練り歯磨き」なんてコトバ。

話をもとにもどします。

最初は原稿用紙にすれば10枚足らずの簡単なおはなしでした。
動物のみな様にはお名前がなく、クマさんがもっていたキャンディは
遠足にきた子供たちからもらったものでした。
しかし文章にして残そうと思った時、
キャンディーを子供たちからもらったのでは少量なので、
たぶんそのつど食べてしまい、
虫歯の原因としてしいちゃんが指摘することが
できないだろうと考えました。
お話の必要上、ゴローさんは袋いっぱいのキャンディーを
かくし持っている必要がありました。



クマのゴローさんは、どうやって大量のキャンディーを入手したか?

以前書いたものをよみかえしてみると、
ゴローさんの持っていたキャンディーは、
荷物を運んでいたトラックが落としたことになっていました。

それが今回、ベルトコンベアーにかわりました。
なぜ、かわったのか?

実は理由はまったくないんです。
というのは、今回リライトするにあたり、
昔書いたものをあまり読まずにリライトし始めました。
「クマさんが持っていたキャンディーは
 どうやって手に入れたことにしよう・・・」
お茶碗を洗いながら、
買い物途中の道を歩きながら、
入手方法をいろいろと考えました。
そんななかで、
ずっと以前のこと。
北海道のお菓子工場にクマがあらわれて、
饅頭を100個食べていったという事件があったのを
思い出しました。
これでいくかな、と思ったわけです。

書き終わって、昔のものも読み直し、
「あっ」と思いました。
キャンディーの入手方法が違っている!
昔のようにトラックが落としたものをひろっただけというなら、
ゴローさん、あまり悪くありませけど
お菓子工場から失敬したというんじゃ
ゴローさん、悪い子になっちゃうじゃないですか。
なんだかゴローさんかわいそうですねえ。

でも、ゴローさんはクマさんですから、
ベルトコンベアに乗っていようが、
川を泳いでいようが、とっていいか悪いかなんてことは
区別がつかないのは当然ですね。
ただちょっと、人間の匂いのするベルトコンベアーは
近寄ると危険なかおりがするくらいのものでしょう。
それで、クマのゴローさんに
「キャンティーの川があるんだよ」と言わせてみました。
お菓子工場からお菓子を失敬するのは悪いことですが、
「川だと思っていた」ならしかたありません。
しいちゃんから
「それは川じゃなくてベルトコンベアでしょう」
と教えてもらってそれでよしとすることにしました。



ところで8回と9回に
「虫歯の治療は免許をもったお医者さんでないとできませんが、これはある女の子の夢の中の話なので、よいこのみなさんはしいちゃんの真似をしないでくださいね。」
というコメントを挿入しました。
これは子供が読んで、弟や妹の歯をいじろうと考えたら困るな、と思ったからです。
よくあるんです。
私のいとこは「わたしが子供の時、遊びで目薬をさしてはいかん、と親から何度も注意されたんだけれど、うっかりそれを自分の子供に言うのをおこたっていた。そしたら、こどもがお医者さんごっこをして、なにかわからないものを目にいれてしまって、大騒ぎしたことがある。幸い大事にいたらなかったからよかったけれど、その時、親がわたしに注意していてくれたことはとても重要なことだったと気付いた」
というようなことを言っていました。

お医者さんごっこというのは子供にとってとても魅力的な遊びです。
たいてい上の子が弟や妹をつかまえてやりたがります。
親として、保護者として、年長者として
「実際にやってはいけません。まねっこだけにしてね」
と言う必要があると、老婆心ながら思ったものですから。
それでも、子供は「美容院」の真似をして
鋏で妹の髪を切ってしまうくらいのことやりますから、
油断が出来ません。

さて、この物語には
もちごめちゃんにたいして、
もうひとつ重要なメッセージがありました。

それは人間のかしこさです。

この童話の最初の題は
「クマさんがフキゲンなそのわけは?」
だったんですが、
みんなはフキゲンなクマさんに大迷惑。
「なんてひどいやつなんだ」って思うのですが、
しいちゃんはどうしてクマさんがフキゲンなのか
そのわけをみんなでかんがえてみましょうという
方向にもっていきます。

世の中には
意地悪なともだち、嫌がらせをするともだちなど、いっぱいいますね。
でも本当は、だれも意地悪だとか嫌なやつとか思われたくないはずです。
だけど、つい意地悪や嫌がらせをしてしまう。
それには、本当はたいてい理由があって、
その理由は自己中心的だったり、
自分勝手な理由だったりもしますが、
そうしている本人が
実は苦しい思いをしてるということも少なくないんですね。

何を悩んでいるか、きいてやって、
できればその苦しみをとってやる。

そして、善悪の判断ができる。

字が読める。

感謝するということを知っていて
おともだちにそれを教えることができる。

みんなの幸せのために未来を計画することが出来る。

そうした人間のもつかしこさを、
メッセージとして伝えたかったのです。

童話に教育論的な解析をしてしまうのは
野暮ではありますが、
この童話のなりたちが、
「ある母親がこどもに語ってきかせた物語」
でありましたので、なにとぞご了承ください。