『宋朝とモンゴル 世界の歴史6』社会思想社、1974年
2 武人の天下
2 梁から唐へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/6d/b95f5986311853ab22eba3b0cb13f78f.jpg)
朱全忠の「後梁」にとって、もっとも恐るべき強敵は、やはり李克用(りこくよう)であった。
李克用は、晋陽(いまの太原)によって晋王を称している。
朱全忠の帝位には、まっこうから反対し、これに同調する節度使もすくなくなかった。
ところで朱全忠も、李克用も、ほかの節度使たちも、実子のほかに仮子(かし)というものをつくっていた。
かれらにとって、いちばん頼りになるものは、親子の血縁にちがいない。
しかし実子となれば、その数は限られてしまう。
そこで唐末から五代にかけて、有力な節度使たちは、部下のなかから有能なものをえらんで、父子の関係をむすぶようになった。
血のつながりのない父子のむすびつきであるから、一般に仮父子とよばれている。
仮子は、一人や二人をおいたのではない。
前蜀の王建などは、百二十人もの仮子をおいていた。
これほどの数になれに、有能な部下はほとんど仮子ということになろう。
節度使にしてみれば、たとえ長男にしろ、自分をたすけて活躍できるようになるには、すくなくとも二十年ぐらいは待たなければならない。
そのために仮子をつくって、勢力のささえとした。
仮父と仮子との年齢のちがいも四つ、五つ、なかには一つなどということさえあった。
多数おかれたことや、年齢の接近などからわかるように、仮子は養子ではなかった。
仮父の家の相続権はない。仮父が皇帝となっても、帝位の継承権はなかった。
いわば仮子は、主君たる節度使と部下との間を、いっそう緊密にしようとしてあらわれた主従関係の変形であった。
そこから、ときとして深刻な問題がおこってくる。
朱全忠は皇帝(太祖)となってから、実子よりも、仮子の朱友文のほうに目をかけた。
というのも、朱友文の妻がたいへん美人で、これを朱全忠はつねに侍(はべ)らせていたのである。
ついに実子の朱友珪(けい)は、父と朱友文を殺して位をうばった。しかし朱友珪も弟の朱友貞に殺されてしまう。
朱全忠は皇帝たること五年であった。
いっぽう李克用は、朱全忠にさきだって死んでいる(九〇八)。
そのあとをついで晋王となったのは、実子の李存勗(りそんきょく)であった。
ところが仮子の数名が、李克用の弟で軍民いっさいの実権をにぎっていた李克寧のもとにあつまる。
これをかついで反乱をおこした。
この反乱はしずめられたけれども、仮子というものの性格を、はっきりと示した。
仮父と仮子とは、主君と部下との、まったく個人的なむすびつきにすぎない。
仮父が権力をにぎっていればこそ、仮子たちは要職や地位があたえられるのである。
ところが、ひとたび仮父が死んでしまうと、仮父の実子と仮子とのあいだには、何の関係もない。
私的な関係によるむすびつかは、このようなもろさを持っていた。
さて李存勗は仮子の反乱をおざえたのち、ちゃくちゃくと地盤をかためる。
そこにおこったのは、後梁の帝室の内紛であった。
後梁は、はやくも内部からくずれはじめた。
後梁と晋と、たたかうこと十年あまり、ついに晋が勝利をおさめた。
李存勗は開封にのりこんで後梁をほろぼす。
ときに九二三年であった。
いまや晋も、中原に君臨する王朝である。
国号も「後漢」と袮した。
その姓が李氏で、かって唐朝からたまわったものだったからである。
都も、唐朝の東都であった洛陽にうつした。
李存勗を、後唐の荘宗という。
ところが洛陽に都をうつしたことは、荘宗の失敗であった。
洛陽はふるい都にはちがいなかったが、すでに経済の中心は開封にうつってしまっている。
都市としての価値では、けるかに開封には及ばなくなっていた。
まして当代は、戦乱の世である。強力な軍隊を維持しなければならない。
軍隊といっても傭兵であるから費用はかかるし、待遇もよくしなければならない。
そのためには経済の中心にいる必要があった。
破局は、まもなくおそってきた。
荘宗は天下をとると、気がゆるんだ。政治もおろそかになった。
軍隊に対する給与も、とどこおりがちになった。
不平がつのった将兵は、ついに反乱をおこす。
そのとき反乱軍にまつりあげられたのが、李克用の仮子てあった李嗣源(りいげん)である。
李嗣源のひきいた軍は、いちはやく開封を占領した。たちまちにして戦局は決した。
皇帝たること三年にして、荘宗は陣中で殺された(九二六)。
代って帝位についたのが、李嗣源であった。これを明宗という。
李克用の部下であり、仮子であったが、後唐の李氏とは血のつながりのない者が、あとをついだのである。
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2 武人の天下
2 梁から唐へ
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朱全忠の「後梁」にとって、もっとも恐るべき強敵は、やはり李克用(りこくよう)であった。
李克用は、晋陽(いまの太原)によって晋王を称している。
朱全忠の帝位には、まっこうから反対し、これに同調する節度使もすくなくなかった。
ところで朱全忠も、李克用も、ほかの節度使たちも、実子のほかに仮子(かし)というものをつくっていた。
かれらにとって、いちばん頼りになるものは、親子の血縁にちがいない。
しかし実子となれば、その数は限られてしまう。
そこで唐末から五代にかけて、有力な節度使たちは、部下のなかから有能なものをえらんで、父子の関係をむすぶようになった。
血のつながりのない父子のむすびつきであるから、一般に仮父子とよばれている。
仮子は、一人や二人をおいたのではない。
前蜀の王建などは、百二十人もの仮子をおいていた。
これほどの数になれに、有能な部下はほとんど仮子ということになろう。
節度使にしてみれば、たとえ長男にしろ、自分をたすけて活躍できるようになるには、すくなくとも二十年ぐらいは待たなければならない。
そのために仮子をつくって、勢力のささえとした。
仮父と仮子との年齢のちがいも四つ、五つ、なかには一つなどということさえあった。
多数おかれたことや、年齢の接近などからわかるように、仮子は養子ではなかった。
仮父の家の相続権はない。仮父が皇帝となっても、帝位の継承権はなかった。
いわば仮子は、主君たる節度使と部下との間を、いっそう緊密にしようとしてあらわれた主従関係の変形であった。
そこから、ときとして深刻な問題がおこってくる。
朱全忠は皇帝(太祖)となってから、実子よりも、仮子の朱友文のほうに目をかけた。
というのも、朱友文の妻がたいへん美人で、これを朱全忠はつねに侍(はべ)らせていたのである。
ついに実子の朱友珪(けい)は、父と朱友文を殺して位をうばった。しかし朱友珪も弟の朱友貞に殺されてしまう。
朱全忠は皇帝たること五年であった。
いっぽう李克用は、朱全忠にさきだって死んでいる(九〇八)。
そのあとをついで晋王となったのは、実子の李存勗(りそんきょく)であった。
ところが仮子の数名が、李克用の弟で軍民いっさいの実権をにぎっていた李克寧のもとにあつまる。
これをかついで反乱をおこした。
この反乱はしずめられたけれども、仮子というものの性格を、はっきりと示した。
仮父と仮子とは、主君と部下との、まったく個人的なむすびつきにすぎない。
仮父が権力をにぎっていればこそ、仮子たちは要職や地位があたえられるのである。
ところが、ひとたび仮父が死んでしまうと、仮父の実子と仮子とのあいだには、何の関係もない。
私的な関係によるむすびつかは、このようなもろさを持っていた。
さて李存勗は仮子の反乱をおざえたのち、ちゃくちゃくと地盤をかためる。
そこにおこったのは、後梁の帝室の内紛であった。
後梁は、はやくも内部からくずれはじめた。
後梁と晋と、たたかうこと十年あまり、ついに晋が勝利をおさめた。
李存勗は開封にのりこんで後梁をほろぼす。
ときに九二三年であった。
いまや晋も、中原に君臨する王朝である。
国号も「後漢」と袮した。
その姓が李氏で、かって唐朝からたまわったものだったからである。
都も、唐朝の東都であった洛陽にうつした。
李存勗を、後唐の荘宗という。
ところが洛陽に都をうつしたことは、荘宗の失敗であった。
洛陽はふるい都にはちがいなかったが、すでに経済の中心は開封にうつってしまっている。
都市としての価値では、けるかに開封には及ばなくなっていた。
まして当代は、戦乱の世である。強力な軍隊を維持しなければならない。
軍隊といっても傭兵であるから費用はかかるし、待遇もよくしなければならない。
そのためには経済の中心にいる必要があった。
破局は、まもなくおそってきた。
荘宗は天下をとると、気がゆるんだ。政治もおろそかになった。
軍隊に対する給与も、とどこおりがちになった。
不平がつのった将兵は、ついに反乱をおこす。
そのとき反乱軍にまつりあげられたのが、李克用の仮子てあった李嗣源(りいげん)である。
李嗣源のひきいた軍は、いちはやく開封を占領した。たちまちにして戦局は決した。
皇帝たること三年にして、荘宗は陣中で殺された(九二六)。
代って帝位についたのが、李嗣源であった。これを明宗という。
李克用の部下であり、仮子であったが、後唐の李氏とは血のつながりのない者が、あとをついだのである。
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