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『他界からの火花 - 煉獄の霊魂の出現』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ
◆2-8、ひとりの修道女
聖ゲルトルードは、もうひとりの修道女のことを述べている。その修道女は亡くなって、その翌日聖女に現われた。その人は、いつも濤い生活をおくり、信心業もりっぱに果し、会則を忠実に守った人であった。それにしても、つぐなわねばならないことが残っていた。というのは、最後の病気のとき、人間的な慰めやおくりものを必要としないのに、それらを望んだからだった。
この人の霊魂は、栄光の王の玉座の前に入ろうとしているような、かっこうで現われたのである。この人は、どんなに入ろうとして、もがいても、入れなかった。長い服が入り口に釘でとめられているかのようであった。その釘はこの人の小さな愛着を示していた。聖女の祈りで、ついに釘はぬけて、この霊魂は天の喜びに入ることができたのだった。
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