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遺産  永井隆

2017-07-14 23:32:12 | 格言・みことば
 妻が亡くなった当時、私がなにかにつけて不自由な暮らしを続けているのを見るに見かね、後妻をもらえ、とすすめる友人が多く、また具体的な縁談も、いくつか持ちこまれた。まだそのころは病人といっても講義や診療のできる私だったから、再縁をすすめられるだけの力はもっていた。また実際の話が、妻にぽっくり先立たれ、二入の幼子をかかえ、敗戦後のすさまじい世相の中で、忙しい公職についたまま生き抜くことは並々ならず難しかった。生活という面から考えると後妻をもらう必要が確かにあった。浦上一帯の掘っ立て小屋には、未亡人や孤児が小屋ごとにいた。彼らは神の祝福を受け、それぞれ良縁を結んで新しい家庭をつくった。再婚するとたちまち表情は明るくなり、男女おのおのその所を得て生活がひきしまり、いちじるしく再建の力を増すものだ。傍らから見ていてそれがよくわかった。

 いい人があったら来ていただこうかな、と私は時に思わぬでもなかった。日常生活において私は、困るとか、不自由とかの程度でなく、まったく途方に暮れることがしばしばあった。それ配給、それ申告書提出、それ共同作業、などと触れが回ってくるたびに、隣近所の小母さん方に代理をお願いせねばならぬ心苦しさ。近所の再婚した人の子供がきちんとした身なりをしているのに比べて、わが子の着たきりの一枚の夏衣のむさくるしさを見るにつけ、新しいお母さんを迎えて世話をしてもらうのが善いのではなかろうかと、深く考えこむこともあった。いわしの配給があっても、そこらに生えた菜っ葉をちぎってきてのお汁に決まっていて、これをぬた、酢のもの、てんぷらなどに料理して食わせたら、どんなに悦ぶだろう、と思うばかり。お芋もちょっと手を入れて、茶巾しぼりにして与えれば、いいおやつになるんだがと、これまた思うばかり。焼け跡から徳利を拾ってそれに何か布を巻きつけ、ササノ、ササノと呼んで、だっこしたり、おんぶしたりひとり遊んでいるカヤノを見ると、この小屋に女手がありさえすれば、人形らしい人形を作ってくれるだろうに・・・。カヤノも妹のササノが生きていたら、こんなにさみしがりもすまいものを、と私さえ過ぎた日を思い出しては、くちびるをかむのみであった。夕べともなれば、ちらりほらり小屋小屋にたき火が燃え、そこらに女のはしゃいだ声もまじり、子供たちの声も浮き立ち、がやがや談笑するのが聞こえた。そこには涙の谷が希望の丘に変わろうとする空気があった。ひとり私の小屋だけが夕飯がすむとすぐ火を消し、病人の私の両わきに幼い子がぴったりくっついて、早く夜が明ければいいのにと、寒々と目をつむっているのであった。口にこそ出さねど、お母さんがいてくれたら・・・と、この子たちは絶えず思っているにちがいなかった。

 だが、ほんとうの縁談がもちこまれると、すぐにむかついて、私はどうしても耳を傾ける気になれなかった。それは熱病のとき、果物がほしいと思うくせに、いざ目の前に出されると、とたんに食欲がなくなって、見るのもいやだと突き返すのに似ていた。

 再婚はいいことである、再婚しないですめば、しないほうがより一層いいが、再婚しなかったために都合の悪いことを引き起こしそうだったら、したらいい、とパウロも教えた。この世で夫婦だったものが来世でもまた夫婦になるのではない。夫婦の関係は一方の死によって断たれるのである。次々と夫に死に別れ、ついに七入の男と死に別れ、のちに自分も死んだ女は、死んでから次に復活したとき、いったいだれの妻になるのか?とサドカイ人が問うたのに答えてイエズスは「現世の子らは嫁いだり、めとったりするけれども、来世では、嫁ぐこともめとることもない」と言った。

 子供の養育のために再婚なさい、とは多くの友の言葉であった。心のやさしい女性であれば、たとえ継母であっても、真の母と同じ情愛をそそいでくれるであろう。私の病気が絶望的な性質のものであるにしても、まだ少なくとも三年ばかりは大丈夫だろうから、今のうちに新しい家庭を固め、継母と子を仲よくするようにしつけてゆけば、たとえ私がおらなくなっても、そのまま親しみ合いむつみ合いつつ末ながく暮らしてゆくのではあるまいか?世間にはそんなふうにしてうまくいった例もたくさんある。

 子供のためにも、私のためにもいろいろの点から考えてみて、再婚するほうが得策のように思われた。私が妻を迎えるということは万事便利な結果を約束していた。けれども、その妻が同時に子供たちの母となる、という点に私の心はひっかかるのであった。子供の目先の便宜主義をさておき、遠い将来のことを考えるとき、私はどうしても子供たちに新しい母を迎える気になれなかった、そのわけはー

 私はこの二人の子にのこす遺産を何ひとつ持っていない。私には財産が無い、いま住んでいる家も土地もばあさんの所有を借りている。家具も着物も焼けてしまった。わずかばかりの貯金は使い果たした。私の死んだ後、二人の孤児が持つものはー思い出である。思い出だけである。父の思い出と母の思い出と。

 美しい思い出をのこしてやりたい。潔い思い出をのこしてやりたい。ゆかしい思い出をのこしてやりたい。ひとりの父と、ひとりの母ーこの純粋な親の思い出を・・・。

永井隆『この子を残して』(著者はカトリックの医師・医学者、長崎で被曝)

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