
アロイジオ・デルコル神父『信仰の道 ー 秘跡について』
◆17、洗礼の秘跡
洗礼は、すべてのキリスト教生活の土台であり、聖霊による霊的生活の入り口です。
洗礼によって、わたしたちは先祖伝来の源の罪から解放されて神の子どもとして新たに生まれ、キリストの神秘的な体のメンバーとなり、教会に属するようになって、教会の使命にあずかるです。洗礼は、み言葉による水を通じて行われる再生の秘跡なのです。
この秘跡は洗礼と呼ばれ、聖書の表現を使えば、洗礼を受ける人は、キリストの死のうちに葬られ、キリストと共に新しい被造物として生まれかわるのです。この秘跡はまた、再生の洗いとも呼ばれ、聖霊によって新たにされる洗いとも呼ばれます。なぜなら、水と聖霊による新しい誕生を意味するだけではなく、それを実現させるからです。この新しい誕生なしには誰も天の国には入れません。
この秘跡はまだ照らしの秘跡とも呼ばれていてます。
この教えを受ける人の心が照らされるからです。
ナツィアンツの聖グレゴリオは、次のように説明しています「たまものといわれるのは、何も功徳のない人にも、ただで与えられるからです。恵みともよばれます。罪人にさえも与えられるからです。またこれは注油ともいわれています。それは、聖香油をもってキリストの司祭職にあずかるようになるからです。あるいは、照らしとも呼ばれます。それは、かがやかしい光だからです。礼服ともよばれます。なぜなら罪の恥をかくすからです。
また、洗いともいわれます。それは、わたしたちのはん罪を洗うからです。印ともよばれます。これによって、わたしたちが、神のものとなるからです。
このためにイエズスは、ご復活ののち、使徒たちに使命を与えて、「あなたたちは、諸国に弟子をつくりに行き、父と子と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ、わたしが、あなたたちに命じたことを守るように教えよ」(マタイ28:19-20)とおっしゃいました。
こうして教会は、聖霊ご降臨ののち、すぐイエズスのこの命令に従い、〃改心するように、そして罪のゆるしを受けるように、イエズスがおさだめになった洗礼を受けるように"と教えはじめ、そのとおりにしました。
使徒聖パウロは、こういっています。
「わたしたちは、イエズスの死における洗礼によって、イエズスと共に葬られた。それはおん父の光栄によってキリストが死者の中からよみがえったように、わたしたちもまた、〃いのち〃に歩むためである」(ローマ6:3-4)これによると、洗礼は、わたしたちの未来における復活の保証ともなります(コロサイ2:12も参照)。
是非、フェイスブックのカトリックグループにもお越しください。当該グループには、このブログの少なくとも倍量の良質な定期投稿があります。ここと異なり、連載が途切れることもありません。
◆17、洗礼の秘跡
洗礼は、すべてのキリスト教生活の土台であり、聖霊による霊的生活の入り口です。
洗礼によって、わたしたちは先祖伝来の源の罪から解放されて神の子どもとして新たに生まれ、キリストの神秘的な体のメンバーとなり、教会に属するようになって、教会の使命にあずかるです。洗礼は、み言葉による水を通じて行われる再生の秘跡なのです。
この秘跡は洗礼と呼ばれ、聖書の表現を使えば、洗礼を受ける人は、キリストの死のうちに葬られ、キリストと共に新しい被造物として生まれかわるのです。この秘跡はまた、再生の洗いとも呼ばれ、聖霊によって新たにされる洗いとも呼ばれます。なぜなら、水と聖霊による新しい誕生を意味するだけではなく、それを実現させるからです。この新しい誕生なしには誰も天の国には入れません。
この秘跡はまだ照らしの秘跡とも呼ばれていてます。
この教えを受ける人の心が照らされるからです。
ナツィアンツの聖グレゴリオは、次のように説明しています「たまものといわれるのは、何も功徳のない人にも、ただで与えられるからです。恵みともよばれます。罪人にさえも与えられるからです。またこれは注油ともいわれています。それは、聖香油をもってキリストの司祭職にあずかるようになるからです。あるいは、照らしとも呼ばれます。それは、かがやかしい光だからです。礼服ともよばれます。なぜなら罪の恥をかくすからです。
また、洗いともいわれます。それは、わたしたちのはん罪を洗うからです。印ともよばれます。これによって、わたしたちが、神のものとなるからです。
このためにイエズスは、ご復活ののち、使徒たちに使命を与えて、「あなたたちは、諸国に弟子をつくりに行き、父と子と聖霊とのみ名によって洗礼をさずけ、わたしが、あなたたちに命じたことを守るように教えよ」(マタイ28:19-20)とおっしゃいました。
こうして教会は、聖霊ご降臨ののち、すぐイエズスのこの命令に従い、〃改心するように、そして罪のゆるしを受けるように、イエズスがおさだめになった洗礼を受けるように"と教えはじめ、そのとおりにしました。
使徒聖パウロは、こういっています。
「わたしたちは、イエズスの死における洗礼によって、イエズスと共に葬られた。それはおん父の光栄によってキリストが死者の中からよみがえったように、わたしたちもまた、〃いのち〃に歩むためである」(ローマ6:3-4)これによると、洗礼は、わたしたちの未来における復活の保証ともなります(コロサイ2:12も参照)。
是非、フェイスブックのカトリックグループにもお越しください。当該グループには、このブログの少なくとも倍量の良質な定期投稿があります。ここと異なり、連載が途切れることもありません。