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6-1-1 唐の大乱の主役

2023-05-28 01:49:19 | 世界史
『宋朝とモンゴル 世界の歴史6』社会思想社、1974年
1 唐の大乱の主役
1  街頭の講談

挿絵は黄巣、唐の滅亡に繋がる反乱を起こす
 「三七(さんひち)二十一、由の字の頭が出ず、脚は八方の地をふみしめる。果の頭には三つの屈折。」

 高座の上で、尹常売(いんじょうばい)という講談師が語りはじめると、聴衆はどよめいた。
 ときは宋代、ところは都の開封(かいほう)の盛り場のなかである。
 盛り場では、いつも民衆のよろこびそうな娯楽がもよおされ、たいへんなにぎわいを見せていた。
 そうした催しものの一つに講談があった。
 尹常売(いじょうばい)は、その講談のなかで歴史ものを語った。
 歴史といっても、古い時代の話ではない。
 宋代のすぐ前、五つの王朝が興亡した時代、つまり五代の話である。
 さて「三七、二十一、由の宇の頭が出ず、脚は八方の地を……」というのは、「黄」という字を分解したものである。
 つぎの「果の頭には三つの屈折」というのは、「巣」という字をしめしている。
 つまり、いわくありげな語り出しは、「黄巣(こうそう)」という人物の名をあげたわけなのであった。
 「貝辺戎(ばいへんじゅ)、中国を乱す。青にあらず、白にあらず、赤にあらず、黒にあらず。」
 これもまた、クイズのような語り口である。
 貝ヘンに戎のツクリといえば、それは「賊(ぞく)」という字になろう。
 青でも白でも、赤でも黒でもない、というのは、昔からの五行の思想にもとづいている。
 五行の思想では、さまざまの現象がとりあげられ、それぞれ、東西南北および中央に配される。
 相撲(すもう)の四本柱(房)の色も、これによったものであった。
 ところで「五色」のなかから、青白赤黒をとってしまえば、のこるのは「黄」である。
 そして黄色の方角は「中央」である。

 こう考えてくれば、さきの「貝辺戎……」は、つぎのように解されるであろう。
 賊が中国をみだした。
 それは黄、つまり黄巣(こうそう)であった。
 しかも黄は中央の配色なるゆえ、やがて中国の中央にいることになる。
 そのころの中国は、唐の時代であった。
 中央つまり都は長安である。
 黄巣はやがて長安の都を占領する、

 こうして尹常売の講談は、ふくみをもたせた表現をつかいつつ、たくみに聴衆の関心をひきよせ、唐末の動乱から五代へと話をすすめていったのであった。
 ここにあらわれた黄巣(こうそう)は、唐末に大反乱をおこした主人公である。
 歴史をみると、なにも皇帝や宰相だけが主役を演じてきたわけではない。
 皇帝や宰相でなくとも、その何人分もの、あるいは何十人分もの活躍をしめし、後世に大きな影響をあたえた入物がすくなくない。
 黄巣は、まさしくそうした人物であった。
 「金色の蝦蟆(がま)が目をむいて、曹州(そうしゅう)で反乱をおこしたら、天下がひっくりかえった。」
 長安の都の子どもたちは、わらべ歌のようにして、こんな歌をうたっていたという。
 金色は黄に通ずる。金色のガマとは、黄巣のことである。
 それが反乱をおこして、天下がびっくりかえった。
 まさしく唐の天下は、くつがえったのであった。
 それでは、このような大乱は、なぜおこったのだろうか。




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