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ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ 12

2023-03-23 09:55:25 | ウゴ・ラッタンツィ神父
『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、12

 ローマ教皇立大学には世界中か優秀な神学生が集まっています。ここで、素晴らしい進歩をとげていたウゴ・ラッタンツィは、この国際的環境を利用しないではいられません。まもなく、彼は、国語であるイタリア語と、教会語であるラテン語、聖書の言葉となっているギリシア語とヘブライ語はいうにおよばず、フランス語、ドイツ語、英語、スペイン語にも通じるようになりました。ただわかるだけでなく、その文学までも広く研究していたのです。そのうえさらに、ロシア語までマスターするようになり、こうして、8つか9つもの言語知識を得るようになりました。しかも、これら言蘂の知識を信仰を守るために、立派に利用したのです。

 学問の点からいえば、彼は、神学校の校長に対する約束を完全以上に果たしました。彼が、聖書学博士号、哲学博士.号、教義神学博士号、教会法博士号を次々と受けたのは、まだ司祭になる以前だったのです。

 あとではさらに、ミラノの聖心大学に通って、文学博士号を受けると、あれほど彼を助けていたノガラ司教のはからいで、ウゴ神父は、あちこちの神学校で教壇に立つようになりました。

 人々は、ウゴ神父のこの素晴らしい博識に魅せられるあまり、彼を学者としてしか見ていませんでした。その隠れた霊的生活があらわれて、みんなの心を打ったのは、その死後のことです。彼の書き残したものが、世に出たときからです。

 ウゴ神父は、小さなノートに、自分の心の秘密を打ち明けていました。それは、霊的日記とも言えるものです。

 この日記は、神学生のときに書きはじめられていますが、いかにこれを実行しようとしたかは、何回となく読み返したそのあとにしのばれます。


(写真:ウゴが、フェルモ市の大神学校に、中学生として入学したときのフェルモ市の大司教カルロ・カステリ司教。この大司教のおかげで、ウゴ神学生は、ローマの教皇立力プラニカ神学院に行き、司祭となってからも、経済的に助けられた。)

















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