『ウゴ・ラッタンツィ神父 教会の忠実なしもべ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、17
◆2、勇敢な司牧者
1935年、彼は、昔、有名な大修道院があったカンポフィロネの主任司祭に任命されました。この小教区には、昔から、相当に大きな財産(畑)がありましたが、27年以上も以前から不正な横領をされていました。
あのことは、単なる噂でないことを確かめたウゴは腹を決めて、説教台に立ちました。それは.1935年3月17日、赴任した最初の主日です。
学識の評判の高い新任司祭をじっと見守る信者の目は尊敬と好意と好奇心に満ちています。でも、ウゴは、はっきりといいました。
「みなさん、どうしたわけか知りませんが、もと、大修道院だったこの小教区、.数年まえから、全村民に、年に4回うどんを買うおかねを配る習慣ができています。この習慣は、みなさんにとっては、一つの権利にみなされ、小教区にとっては、大変な負担になろうとしています」
信者たちは、驚いたように、困ったように顔をみあわせています。でも、ウゴ神父は、構わず続けました。
「本当は、司教事務所のほうで、この習慣を廃止しなければならなかったのです。でも、しなかったので、結局、私がしなければならなくなりました。なぜなら、私は、教会の負担になることを許さないと、教会の前で誓ったからです」
この時には、あのひそひそささやき合っていた声が、はっきりした反感を示すざわめきに変わろうとしていました。でも、ウゴ神父は負けません。かれは言葉を続けました、
「わたしは、この誓いをはじめから実行することに決めました。でも、お金惜しさのためだと誤解しないでいただきたいのです。目的は、本当に貧しい人たちを助けるためです。それに、みなさんの信者としての教養を高める費用にあてるためです。これから、『家庭の天使』という教会月報を発行して、無料で配ることにします」
信者の中には、なるほどと、うなずす者も、いるにはいましたが、反感のほうが強く。先ほどの好意のまなざしは今は、激しい反感さえ示し、中には、手を挙げているものさえいます。
ウゴ神父に、この思いきった大服な決定をさせたのは、彼が大事に考えていたいわゆる慈善の位階制度のためでした。困ってもいない者に、他人の慈善をうける権利も、他人のものを乱用し、むさぼる権利もないというのが、この原則の理論です。
これに対して、あの不正な利益をとりあげられた人たちは、いい気もちがしません。長いあいだ、ウゴ神父に対する反感が続きました。しかし、一方では、教会月報の功で、信者の教餐を高めるという実りが得られ、信仰生活の程度も深くなってきました。
ウゴ神父の熱烈なこの潔癖さと正義は、自分の家族に対してさえ貫かれました。というのは、家族の中にはうん〔やれやれ、俺たちにも運が向いてきたぞ。どうだ、ウゴ神父は、今じゃあんなに大きな教会録をもつ身分だ。家族にもその富を分配するのは、あたりまえだ〕と考える者がいたからです。でも、どんなに言っても、ウゴ神父は聞き入れてくれないので、とうとう業をにやして、裁判ざたにまでしてしまいました。
それでも決してかれは、譲りませんでした。教会のものは、個人のものじゃない、貧しい人を救うためにこそ使うべきものだと、考えていたのですから、彼は、梃子でも動かなかったのです。
◆2、勇敢な司牧者
1935年、彼は、昔、有名な大修道院があったカンポフィロネの主任司祭に任命されました。この小教区には、昔から、相当に大きな財産(畑)がありましたが、27年以上も以前から不正な横領をされていました。
あのことは、単なる噂でないことを確かめたウゴは腹を決めて、説教台に立ちました。それは.1935年3月17日、赴任した最初の主日です。
学識の評判の高い新任司祭をじっと見守る信者の目は尊敬と好意と好奇心に満ちています。でも、ウゴは、はっきりといいました。
「みなさん、どうしたわけか知りませんが、もと、大修道院だったこの小教区、.数年まえから、全村民に、年に4回うどんを買うおかねを配る習慣ができています。この習慣は、みなさんにとっては、一つの権利にみなされ、小教区にとっては、大変な負担になろうとしています」
信者たちは、驚いたように、困ったように顔をみあわせています。でも、ウゴ神父は、構わず続けました。
「本当は、司教事務所のほうで、この習慣を廃止しなければならなかったのです。でも、しなかったので、結局、私がしなければならなくなりました。なぜなら、私は、教会の負担になることを許さないと、教会の前で誓ったからです」
この時には、あのひそひそささやき合っていた声が、はっきりした反感を示すざわめきに変わろうとしていました。でも、ウゴ神父は負けません。かれは言葉を続けました、
「わたしは、この誓いをはじめから実行することに決めました。でも、お金惜しさのためだと誤解しないでいただきたいのです。目的は、本当に貧しい人たちを助けるためです。それに、みなさんの信者としての教養を高める費用にあてるためです。これから、『家庭の天使』という教会月報を発行して、無料で配ることにします」
信者の中には、なるほどと、うなずす者も、いるにはいましたが、反感のほうが強く。先ほどの好意のまなざしは今は、激しい反感さえ示し、中には、手を挙げているものさえいます。
ウゴ神父に、この思いきった大服な決定をさせたのは、彼が大事に考えていたいわゆる慈善の位階制度のためでした。困ってもいない者に、他人の慈善をうける権利も、他人のものを乱用し、むさぼる権利もないというのが、この原則の理論です。
これに対して、あの不正な利益をとりあげられた人たちは、いい気もちがしません。長いあいだ、ウゴ神父に対する反感が続きました。しかし、一方では、教会月報の功で、信者の教餐を高めるという実りが得られ、信仰生活の程度も深くなってきました。
ウゴ神父の熱烈なこの潔癖さと正義は、自分の家族に対してさえ貫かれました。というのは、家族の中にはうん〔やれやれ、俺たちにも運が向いてきたぞ。どうだ、ウゴ神父は、今じゃあんなに大きな教会録をもつ身分だ。家族にもその富を分配するのは、あたりまえだ〕と考える者がいたからです。でも、どんなに言っても、ウゴ神父は聞き入れてくれないので、とうとう業をにやして、裁判ざたにまでしてしまいました。
それでも決してかれは、譲りませんでした。教会のものは、個人のものじゃない、貧しい人を救うためにこそ使うべきものだと、考えていたのですから、彼は、梃子でも動かなかったのです。