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その後

2019-05-22 08:36:36 | 聖カジミロ
『リトアニアの英雄 聖カジミロ』アロイジオ・デルコル神父著

◆11、その後

 聖カジミロのあのおびただしい奇跡には、どんな意味がかくされているだろうか。この聖人の聖徳の証明のためだろうか。あるいは、かれの手本によって、その国民を神の道に導く役わりだったのだろうか。

 神があるきまった聖人をお与えになるときは、そこには確かに一つの目的がある。その目的は、あるときは、すぐ理解されないかもしれないか、時期がくればその目的は明らかに現われてくる。

 では、聖カジミロの使命は、何だったろうか。かれには、全世界に通用する使命もあったが、おもに、リトアニアの国民に対する使命であったといわねばならない。

 では、聖カジミロが帰天した頃のことを考えてみよう。その頃はリトアニア人がキリスト教になって約100周年記念にあたっていた。かれの祖父ヨガイラと大ビタウタスが洗礼を受けたのは、1387年だったか、国民は君主の手本に従ったとはいえ、信仰生活はまだ浅かった。国の西部にあたるツェマイティア地方にキリストが入ったのは、さらにおそく、1413年頃からである。そしてその後も、まだ異教徒当時の習慣がそのままつづいていた。それで、リトアニアをキリスト教化する手はじめとして、まずたくさんの十字架像を立てることにした。十字路に、丘に、畑に、野原に、などなど。

 人々は、この十字架像を見るたびに、人間の救いが十字架につけられたイエズス・キリストによることをさとされていた。

 聖堂も少しずつ町に建てはしたが、まだその数は少なかった。まして、小さな村や、中心部から遠く離れた村には、聖堂はなかったので、一度も教会に行ったことのない人も少なくなかったのである。

 もちろん、聖カジミロもその父も聖堂を建てるのに全力をつくしたが、その数はまだまだであった。

 さて、聖カジミロの帰天後、その墓の前で、たくさんの奇跡が行なわれ、これにはげまされて国民の信仰生活は、大いに向上していった。



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