可能性は高いとは言えませんが、もし、万一に万一、いわゆるグレートリセットが悪い方向に働いて、全てが崩壊したら、どうすればいいのでしょうか。
私は専攻の一つがローマ史で、もう一つが中国史古代(後漢末)でした。大学では無理言って、二つのゼミに入っていましたので、専攻も二つあります。ローマ史末期は民族大移動が起きて、古代社会が崩壊し大きく変容する時期でしたし、後漢末においても統計上は人口が激減します。5000万人いた人口が600万人程度にまで統計上は激減していました。その後、短い小康期(晋)の後、異民族が一斉蜂起・侵入し、国土の大半を占領されてしまいます。これは、実際に中国の人口が何割かでも減り、人口的な空白が生まれたせいだと考えると、こうしたことの説明がつきます。
では、こういう時代、人々はどうやって防衛したでしょうか。どうやって生き延びたのでしょうか。
それは、村落レベルでの割拠です。中国では、村や塢と呼ばれる自給自足の共同体を農民たちは築いて、盗賊や異民族、地方政権に対して、武装をして割拠しました。三国志では、許褚などがそういうところの出身者の一例です。そうしたものの中には、やがて移動する大集団となって、国を作ってしまったケース(成漢など)も存在します。また、後漢末の動乱期における村塢の大量発生が、そのまま統計外人口となってしまい、統計上の人口を激減させた一因になっている可能性も指摘されます。
では、古代ローマ末期はどうなっているでしょうか。特に西ローマ帝国の域内では、ヴィッラと呼ばれる豪族の館を中心とした自給自足型の農村共同体が大量発生しました。蛮族の移動や収奪、帝国内の内戦などによって、貿易も流通も壊滅してしまった古代末期、古代ローマの金持ちたちは、過酷な徴税からの忌避も兼ねて地方に移り住み、武装し、城壁を張り巡らせたヴィッラを形成することで、我が身と領民を守ったのでした。やがて、それらの一部は、修道院とその荘園へと発展します。ヴィッラを形成した豪族たちが、自分たちの資産をヴィッラごとカトリック教会に献納して、それらが修道院領となったのです。有名なモンテ・カッシノの修道院は、そうしたヴィッラを利用して形成されたと言われています。
では、今、私たちはどうすべきでしょうか。情勢によりますが、グレートリセットは、ガラケーがスマホに移ったように、単なるテクノロジーや社会の平和的な変容で済む可能性もあります。一方で、ベネズエラやヨルダン、アルゼンチンなどは、破滅的なインフレで苦しんでいますが、やがてそうした経済の混乱は世界規模になり、特に無資源国の国民の多くが飢えたり、ハイパーインフレで資産を失ったりする時代が来る可能性もあります。
私の祖父は、戦時中、軍医(陸軍中尉)として満州に出征し、終戦前年に結核になって帰国し、千葉県から食糧不安のない新潟県に移り、ある農村で医院を建て、終戦後の食糧不安とハイパーインフレの時期を乗り切りましたが、農地を買って帰農するか、少なくとも村落共同体の一員(村医者となった祖父のような例)になるのは、国家や世界が限界を超えて混乱した時に解決策としてきっと有効でしょう。
勿論、こうなる可能性が、今、高いとは言いませんが、国家には必ず盛衰があり、世界にも平和な時期と動乱の時期が必ずあります。それが、数年後に来るのか、数十年後になるか、それとも100年先かはわかりませんが、これからも続くであろう歴史の中で、必ずいつかは発生します。数年後に起きる可能性も、もちろんあります。有効な対処法を今から考えておけば、万一の場合にきっと機敏に動けるしょう。
また、古代末期、ローマ帝国内のカトリック教会はヴィッラを引き継ぎ、維持することで乗り切りましたが、若手の人が多い修道会や信心の会などは、気心の知れた人達で、農園にそうした村落共同体を形成するのも、集団で動乱の時代を乗り切る良い方法になるでしょう。
では、その為には何が必要でしょうか。金(Gold)やビットコイン(これが有効かは諸説あります)などインフレ耐性の強いアセットを持つなどして、自分の資産を一部でも保存することは、非常に大切な条件になってきます。必ず要るとは限りませんが、農業の経験もできればあった方がいいでしょう。農地法3条などにより、日本では農地を購入するには、農業の経験が強く求められるのです。最近では、法が緩和され、空き家バンクで農地付き一軒家を購入した場合は、3条は強くは問われないようですが、これはこれで、そこに引っ越して耕すことが前提になったり、やはり面倒な条件があるようです。 よって、実際に今から農地を購入するのは難しいかもしれませんが、インフレ耐性のある資産だけでも持っておき、いざという時に農地を購入する手はずだけでも整えておけば、有効なサバイバル術になるかもしれません。
こうしたことが杞憂に終わることを願っています。願ってはいますが、「備えよ常に」も、また大事でしょう。
私は専攻の一つがローマ史で、もう一つが中国史古代(後漢末)でした。大学では無理言って、二つのゼミに入っていましたので、専攻も二つあります。ローマ史末期は民族大移動が起きて、古代社会が崩壊し大きく変容する時期でしたし、後漢末においても統計上は人口が激減します。5000万人いた人口が600万人程度にまで統計上は激減していました。その後、短い小康期(晋)の後、異民族が一斉蜂起・侵入し、国土の大半を占領されてしまいます。これは、実際に中国の人口が何割かでも減り、人口的な空白が生まれたせいだと考えると、こうしたことの説明がつきます。
では、こういう時代、人々はどうやって防衛したでしょうか。どうやって生き延びたのでしょうか。
それは、村落レベルでの割拠です。中国では、村や塢と呼ばれる自給自足の共同体を農民たちは築いて、盗賊や異民族、地方政権に対して、武装をして割拠しました。三国志では、許褚などがそういうところの出身者の一例です。そうしたものの中には、やがて移動する大集団となって、国を作ってしまったケース(成漢など)も存在します。また、後漢末の動乱期における村塢の大量発生が、そのまま統計外人口となってしまい、統計上の人口を激減させた一因になっている可能性も指摘されます。
では、古代ローマ末期はどうなっているでしょうか。特に西ローマ帝国の域内では、ヴィッラと呼ばれる豪族の館を中心とした自給自足型の農村共同体が大量発生しました。蛮族の移動や収奪、帝国内の内戦などによって、貿易も流通も壊滅してしまった古代末期、古代ローマの金持ちたちは、過酷な徴税からの忌避も兼ねて地方に移り住み、武装し、城壁を張り巡らせたヴィッラを形成することで、我が身と領民を守ったのでした。やがて、それらの一部は、修道院とその荘園へと発展します。ヴィッラを形成した豪族たちが、自分たちの資産をヴィッラごとカトリック教会に献納して、それらが修道院領となったのです。有名なモンテ・カッシノの修道院は、そうしたヴィッラを利用して形成されたと言われています。
では、今、私たちはどうすべきでしょうか。情勢によりますが、グレートリセットは、ガラケーがスマホに移ったように、単なるテクノロジーや社会の平和的な変容で済む可能性もあります。一方で、ベネズエラやヨルダン、アルゼンチンなどは、破滅的なインフレで苦しんでいますが、やがてそうした経済の混乱は世界規模になり、特に無資源国の国民の多くが飢えたり、ハイパーインフレで資産を失ったりする時代が来る可能性もあります。
私の祖父は、戦時中、軍医(陸軍中尉)として満州に出征し、終戦前年に結核になって帰国し、千葉県から食糧不安のない新潟県に移り、ある農村で医院を建て、終戦後の食糧不安とハイパーインフレの時期を乗り切りましたが、農地を買って帰農するか、少なくとも村落共同体の一員(村医者となった祖父のような例)になるのは、国家や世界が限界を超えて混乱した時に解決策としてきっと有効でしょう。
勿論、こうなる可能性が、今、高いとは言いませんが、国家には必ず盛衰があり、世界にも平和な時期と動乱の時期が必ずあります。それが、数年後に来るのか、数十年後になるか、それとも100年先かはわかりませんが、これからも続くであろう歴史の中で、必ずいつかは発生します。数年後に起きる可能性も、もちろんあります。有効な対処法を今から考えておけば、万一の場合にきっと機敏に動けるしょう。
また、古代末期、ローマ帝国内のカトリック教会はヴィッラを引き継ぎ、維持することで乗り切りましたが、若手の人が多い修道会や信心の会などは、気心の知れた人達で、農園にそうした村落共同体を形成するのも、集団で動乱の時代を乗り切る良い方法になるでしょう。
では、その為には何が必要でしょうか。金(Gold)やビットコイン(これが有効かは諸説あります)などインフレ耐性の強いアセットを持つなどして、自分の資産を一部でも保存することは、非常に大切な条件になってきます。必ず要るとは限りませんが、農業の経験もできればあった方がいいでしょう。農地法3条などにより、日本では農地を購入するには、農業の経験が強く求められるのです。最近では、法が緩和され、空き家バンクで農地付き一軒家を購入した場合は、3条は強くは問われないようですが、これはこれで、そこに引っ越して耕すことが前提になったり、やはり面倒な条件があるようです。 よって、実際に今から農地を購入するのは難しいかもしれませんが、インフレ耐性のある資産だけでも持っておき、いざという時に農地を購入する手はずだけでも整えておけば、有効なサバイバル術になるかもしれません。
こうしたことが杞憂に終わることを願っています。願ってはいますが、「備えよ常に」も、また大事でしょう。