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公教要理図解:第36図 天主の十戒 第4戒(続き)なんじ父母を敬うべし

2022-01-08 20:42:54 | 要理(カテキズム)
「第36図 天主の十戒 第4戒(続き)なんじ父母を敬うべし」『公教要理図解』ワグネル神父

第4戒 (続き) なんじ父母を尊敬すべし(子女に対する両親の義務)

◎両親の子どもに対する義務


両親には、次の義務がある。
(1)子女に、必要のものを供給(あてがう)こと。
(2)キリストの旨に従って子女を教育すること。
(3)子女の悪い行為を矯正すること。
(4)正しい模範を示すこと
である。


両親の、子女に対する第1の義務は、キリスト教的慈愛をもって、わけへだてなく子女を愛し、そして、欠点があれば、直ちに容赦なく子女を戒めることである。


両親は、その子女を天主から依托された一種の宝物のようにみなして、子女を取り扱わなければならない。天主の御前に出るときは、子女の取り扱いについて厳重なる裁判を受けるのである。


子女の為に必要なものを供給(あてがう)とは、つまり、子女を養い、子女に衣服をあたえ、子女を教育し、身分に応じて、子女の行く末を計ることである。


子女をキリスト教の旨に従って教育することは、つまり、
第一、彼らに大切な信仰上のことがらと、祈祷のことを教えること、
第二、公教要理を教える教会にその子女を遣り、そしてできるだけ、宗教教育を施す学校に遣ること
第三、天主を愛し、罪を避けるように勧め諭すこと
第四、子女が物の道理をわきまえるようになれば、すぐに悔悛の秘跡をうけさせ、
   その子女が天職に背かないようにすることである。


職を選ぶ前に、天主のおぼしめしにを認めるように祈り、かつ、善き教えを子女に授けねばならない。なお、子女が天主のおぼしめしに従う為に、場合によっては霊父になるとか、
あるいは修道士的生活をなすとかいう場合には、その自由を一切任せねばならないのである。


両親はその子女の身の上については、天主のおぼしめしに従うより外のことを望んではいけない。それについて主キリストが、ヤコボ及びヨハネの母に答えられたところのみことばを思わなければならない。

「時にゼベデオの子等の母、その子等と共にイエズスに近づき、礼拝して何事をか願おうとしたので、イエズスは、何を望むのかとおっしゃいました。彼らが言うには、 この吾が二人の子を御国において、一人はあなたの右に、一人はあなたの左に座すように命じてください。
 イエズスは答えておっしゃいました。
 あなたがたは、願っていることがわかっていない。あなたがたは、わたしが飲もうとしている杯を 飲むことができるのか。
 彼らは、できます と答えた。
 イエズスは、彼らにおっしゃいました。あなたがたは、実にわたしの杯を飲むであろう。しかし、わたしの右、左に座することは、わたしがあなたがたに与えるのではない、 わたしの父が用意された人に与えることとなっている。 こうして、10人の弟子がこれを聞いて、 二人の兄弟に怒りました。イエズスは、彼らを呼び寄せて言いました。 異邦人の君主が人を司り、大いなる者の上に権力をふるうのは、あなたがたよく知っていることである。
 あなたがたは、そうであってはならない。
 あなたがたの中で、大いなる者になりたい者は、かえってあなたがたのしもべとならなければならない。
 また、あなたがたのうちで第一の者になりたい者は、あなたがたの奴隷とならなければならない。これは、人の子が来たのは、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、
 また、すべての人のあがないとして生命を棄てるためであるとおりである。」


父母には、折檻の義務があるから、子女の教育に注意して、かれらを訓戒し、そして、もし、悪をしたときには、怒らずしてただ、子女を善良たる者にする目的をもって罰しなければならない。


また、父母は善き模範を示す義務があるから、宗教上の義務を自分から完全に尽さねばならない。すなわち、祈祷をし、ミサ聖祭を拝聴し、秘跡を受けて、そして、自分の子女を悪に導くような冒涜の話や、誹謗話、また、宗教に反する冗談、嘲弄(あざけり)などの言葉を避けねばならないのである。

◎絵の説明

10
この絵の中央には、少女聖マリアに、おかあさまの聖アンナが本を教えておられ、また、そのうしろには、おとうさまの聖ヨアキムが立っておられる。

11
絵の上部の右は、王妃ブランシュ、ド、カスチユが、聖ルイスに祈祷を教え、また、聖ルイスに「我が子よ、わたしはおまえが大罪を犯すのを見るよりむしろ目の前におまえの頓死を見るほうが 遥かに忍びやすいのである」と、戒めておられるところである。

12
上部の左の方は、ある王が、貧民を尊敬しなかった王子を、その貧民に謝罪させているところである。

13
また、この下部は、大司祭ヘリの上に、親である者が、その子女の罪悪を矯正することをなおざりにした為に、恐るべき罰があったという例を示したのである。
すなわち、ヘリは、天主から、人民を背かせた二人の子、オフニとフィネエスとをもっていて、この二人の子に、あまりにも甘かったので、二人の子と共に、天主の御怒を蒙った。

ある日ヘリは、その二人の子が3万のイスラエル人と共に、フヒリステオ人と戦って死に、かつ聖櫃をも敵の手に奪われたことを聞き、椅子から倒れて頭が砕け、そのまま死んだというのである。(サムエル前書第2章及び第4章参照)






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