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リマの聖ローザおとめ     St. Rosa de Lima V.

2024-08-23 00:00:05 | 聖人伝
リマの聖ローザおとめ     St. Rosa de Lima V.         記念日 8月 23日


 1492年アメリカを発見したクリストファー・コロンブスから、その地の珍しい話の数々を伝え聞いたスペインの人々の中には、新大陸をさながら無限の宝に充たされた楽土の如く考え、我こそはその富を先取しようと希望に燃えつつ故国を船出した者も少なくなかった。殊にそれから40年ほどして南米ペルーを征服したスペイン人達は土着民等を圧迫虐使して時にはほしいままにその生命を奪う暴挙をも敢えてし、宣教師達が彼等の非キリスト教的行為を厳しく戒めたにも拘わらず更に意に介しなかった。さればかような大罪を先ず十分に償わねば天主の聖寵の慈雨は決してこの国をうるおさなかったであろうが、幸いにもか弱い女性の身を以て雄々しい犠牲の生活を送り、神の国をその地に建てる礎石となった人があった、それは聖ローザ童貞に他ならない。
 彼女は1586年ペルーの都リマに呱々の声を挙げた。受洗の際の霊名はイザベラ(小さきエリザベト)であったが、生来至って器量がよく、顔のあでやかさは薔薇の花をも欺くという所から、後にはローザ(薔薇)と名付けられるに至った。
 彼女の両親は共に立派な心がけの人で、始めは相当な財産もあったけれど、不運続きでこれを失い、次第に貧しくなった。しかし彼等の信仰はその為に決して動揺せず、却って益々深く厚くなりゆくばかりであった。子宝は10人の多数を恵まれたが、ローザはその中で長女であったらしい。
 彼女は漸く物心つくほどの年頃から、既に天主の不思議な御指導を受けて、贖罪、犠牲、愛苦の崇高な精神をわきまえていたようであった。それは例えば子供に似気なく、大手術を受けた時甚だしい苦痛を歯を食いしばって忍耐し、一言も泣き言を漏らさなかったり、毎週三日は少量のパンと水で過ごしたり、寝台の代わりに堅い板の上に休んだりした所にも窺われる。そしてこの傾向は長ずるに及んでますます著しくなり、人知れずさまざまの苦行の方法を案出しては実行した。彼女はまた自分の美貌が人の心を迷わすことを懼れ、インド胡椒を顔に擦りこんだり丈なす黒髪を切り落としたりしてその美を損ない、心を乱されぬよう庭の片隅に極く小さい離れを建て、そこに籠もって日に十時間も祈祷や黙想を行い、以て罪人に主の御憐れみを願い求めた。それから他の十時間は織物刺繍等家の働きに用い、睡眠は僅か二時間取るに過ぎなかったというが、勿論かような厳しい償いの生活は、天主特別の思し召しによるもので、主の御扶助がなければ到底人間のよく為し得る所ではない。事実ローザには天主や聖人方が現れて慰安や激励を与えられたことが一再ならずあったのである。
 かくの如く肉身上の苦行に精励した彼女は、またしばしば天主にも棄てられたような孤独感を始め、諸々の耐え難い霊的の悩みにも襲われた。それはいわば主のゲッセマネにおける御苦痛をある程度まで共にしたようなものであった。それに父母も信心深い人ではあったけれど、彼女の精神が理解できず、苦行をやめて早く結婚せよとしきりに勧め、彼女がそれを素直に聴かないといっては、厳しく叱り、時には打擲さえもした。しかしこの難に訴えることも出来ぬ苦痛を、ローザはじっと押しこらえ、少しも悪い顔を見せずいそいそと家庭の仕事に立ち働き、影では親の為に主の御祝福を祈った。そしてつとに天主にたてた純血の誓願を一層固める為に、20歳の時にドミニコ会の第三会に入り、父母の膝下に在りながらも、最も完全な修道女の様な生活を送り、己を全く世の救霊の犠牲として献げた。その狭い離れはローザの敬虔をよみし給う天主の御恵みによってさながらこの世の天国の如く変わり、その周囲には美麗な薔薇の花が咲き乱れ、小鳥共は恐れる色なく室内に飛び入り、愛らしくさえずり交わし、祈祷を献げる聖女と共に天地の創造主を讃美した。
 克己の業を求めて飽くことのないローザは、主にあやかるべく鞭と茨の冠とを作り、これを用いて我が身を懲らし、更に生石灰を以て手を灼き、その苦痛を天主に献げる等なおも苦行を続けたが、もし指導司祭の厳禁がなかったら、どれほどまで峻烈な犠牲を行ったか知れない。
 かような彼女の捨身修徳が豊かな聖寵を招来せぬはずはない。実際彼女は幾度となく幻の中に深い霊界の真理を啓示されたこともあったが、謙遜な彼女はいつもそれを自分の心一つに包んで他人に語らなかった。ただ指導司祭が命令すると、従順の徳を破りたくないばかりに、その消息の一班を打ち明けるに過ぎなかった。
 日頃峻烈な苦行に勉めたせいか、ローザはついに健康を害し極めて苦痛な病気に罹った。それは体内に灼けつくような痛みを感じ、どんな手当をしても、どんな薬を飲んでも、少しも快方に向かわなかった。かくてその苦しみを世の償いとして主に献げること三年、いよいよ最後の間近いことを悟ったローザはゴルゴダにおける主の御受難を黙想し、三日目に主の聖名を三度誦えたと思うと、眠るが如く大往生を遂げた。時に1617年8月24日。その感ずべき犠牲の生涯は天に於いて厚く報いられたことであろう。死後彼女はアメリカ一の聖女、南米の花と讃えられ、その取り次ぎによる奇蹟も数多起こったから、1671年遂に列聖の栄誉をになうに至った。

教訓

 我等はリマの聖ローザ童貞の伝を呼んでその苦行に対する熱意に感嘆すると共に一つの事に注意を呼び起こしたい。それは天主は限りない御憐れみを有し給うが、また限りない正義の御方であるから如何なる罪をも償いなしには看過せられぬと言うことである。故に我等は少なくとも、日々の生活に見いだされるささやかな不快、苦痛等を耐え忍び、自他の罪の償いに献げ、聖女ローザの代祷を願って益々己が犠牲精神を強化するように努めよう。