ネチラタ事件

2011-01-17 10:55:15 | 人 numbers

細川俊之さん逝く



1940/12/15 - 2011/01/14

最近テレビで見ないと思っていたら、もう70才だったんですね。



タモリさんと。
同じ福岡出身なので屈託なく話せる感じ。

で、何と云っても「ネチラタ事件」
原作はSF作家の星新一さんだ。

外国のソースのみで、字幕なしで見られるとは不思議な感じ。


青木隆治さん、美空ひばりさんとデュエットする

2010-12-21 19:35:56 | 人 numbers

テレビは食事の時と早朝のCS放送のCNNをたまに見るだけなので、物まね番組はあまり見たことがない。
あまり、というのはずーっと前1回だけ、なんとかなおみさんという女性が全く似ていないのに優勝したのを見てこんなもんかと思ったからだ。
ところが偶然YouTubeで青木隆治さんと言う人が美空ひばりさんの物まねをしているのを見て「びっくり仰天」した。
CGの使い方も秀逸で、本当にまれに見る「テレビの良さ」だった。


 

 


星野哲朗さん 逝く

2010-11-17 06:48:11 | 人 numbers



作詞家(1925/09/30 - 2010/11/15)

「千曲川」を作詞した山口洋子さんは、猪俣公章さんの作曲したこの曲を聴き、すでにレコードに収録されていてにも関わらず
土下座してこの曲をもらったと話していた。
作詞していたのが星野さんとは知らず、知ったのは後になってからとのこと。
星野先生と知っていたらとてもそんなことは出来なかった、と。
一方星野さんは、穏やかにほほえみを浮かべながら、ものを書く人はこういう風に書くものなのか、と感性に感心したようなことを
話していて闊達な性格に感心した。

「雪椿」から
・・・
そんな男に惚れたのだから
私がその分がんばりますと
背(せな)をかがめて ほほえみ返す

背をかがめて  ほほえみ返す
ちょと出ない表現だなぁ、とおこがましくも感心した記憶がある。

子どもの頃、柳うた子さんという一発屋の歌手が歌った「さいはての唄」を聞いてずっと耳に残っていた。
そして数年前ネットで検索して、中野だったかな、中古レコード店でLPを購入。
「温故知新」というタイトルで全曲星野哲朗さんの作詞になる歌が2枚組で収録されていた。
「さいはての唄」はアリューシャン小唄にタイトルが変わっていた。
昔のまんまの曲が流れてきて感動した。

柳うたこさんの唄はネット上どこにもないのでこまどり姉妹で、歌詞は同じ。

 

 

 




浅川マキさん、逝く

2010-03-01 06:13:30 | 人 numbers
浅川マキさんが、亡くなっていた。
1月19日の事、知ったのは今日偶然覗いた人のブログで。



知ったのはテレビでドラマかドキュメンタリー番組に使われた「赤い橋」だった。
それからすべてのレコードを買い、昔はよく聞いていたものだ。
レコードをまったくかけなくなってから長い時間がたち、ふと立ち寄ったレコード店でCDを1枚買った。
しかし昔のような感慨はなく、すっかり忘れていた。




1942/01/27 - 2010/01/17 石川県美川町出身
彼女もまた、オギンスキーと同様生まれた月と亡くなった月が一緒なんだね。

一番好きなのは「山河ありき」
それからこの「夕凪のとき」




久しぶりにレコードをだして、彼女を偲んで聞きましょう。

平安時代のトイレ

2010-01-16 23:19:55 | 人 numbers

「餓鬼草紙」を見ていたら、平安時代のトイレの様子が出てきました。
背景は朽ちた壁になっているので、廃屋の前とかでやっていたのでしょう。
少し前の(あるいは今も?)インドと同じですね。 しかしインドは乾燥した所だからうんちもすぐからからになるでしょうが・・・
バングラデシュでは川原で朝、一斉にトイレする人たちの様子をテレビで見たことがあります。


(クリックすると大きなサイズに)
で、「病草紙」にも出てきますが、用を足す時は高下駄をはくようです。
小さな子供が大きな下駄を履いて用足しいている絵もあります。
あちこウンチがあるわけですから、下駄を履く必要があったでしょうが、それぞれの家にトイレ用の下駄があったのでしょうかね?
ハイヒールはイギリスで窓から捨てていたオマルのウンチを踏まないために発明されたという話ですが、本当でしょうか?

で、絵の手前をよく見るとウンチとまわりにヘラ、それから紙切れか布きれのようなものが見えます。
これで拭いていたんですね。
学校ではヘラでぬぐっていたと教わりましたが、想像していたものよりはるかに小さいものです。
考えてみれば使い捨てで毎日使うものですから、小さいはずなんですよね。


大倉百人(おおくらもんど)

2009-02-13 23:12:26 | 人 numbers
大倉百人
TVを付けるとタイミング良く新沼謙治が歌う所だった。
タイトルは「津軽恋女」。
「津軽には七つの雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪 みず雪 かた雪 春待つこおり雪」
なかなか印象的な歌詞とメロディだったので調べると
作詞は久仁京介
作曲は大倉百人
まず津軽の七つの雪は1941年発行された東奥年間に載っているようだ。
太宰がこれを「津軽」に書いているそうなので作詞のヒントになったのかな。
ちなみに太宰には全く興味がないので1冊も読んだことはない。
教科書で「走れメロス」を読んだことはある。
後年,どうして彼は「走れメロス」なんか書いたんだろうね,と聞いたら,その場にいた太宰に詳しい人が,その頃彼は誰かに不義理をしていて,自責の念を表現したんだろうと答えてくれた事がある。


久仁京介。生年月日不明。
Wikipediaに掲載されている中で知っているのは他に「男と女のお話」だけだった。

大倉百人
いやぁ,この人も知らなかった。
自身の一行紹介は「負け組オヤジの旗頭」とあるが,いやいやどうしてどうして。
バイタリティと人脈にただただ驚きまする。
1948年,東京生まれ。
1969年21才の頃は、
「MENS CLUB」「男子専科」などの雑誌でモデルとしても活躍
おー,だからこんないい年の取り方をしているんだね。


(sorry, unauthorized borrowing)

1972年24才の時「スター誕生」に出場し、第3回グランドチャンピオンとなる。
そして翌年「鷲と鷹」でデビュー


(知誕Wiki)
多分右側が彼だろうが,「鷲と鷹」なんて最初からコケルに決まってるようなもの。
このころ作曲家としてもデビューしている。
いろいろな分野に才能があるようでうらやましいが,
1989年41才
モデルスクール米バービゾンアカデミー原宿校の初代学長に就任するも、開校当日に辞任。