みさおとふくまる

2012-12-23 21:42:07 | 歴史と科学、Books

みさおとふくまる - 写真集

外国サイトで評判になっていて初めて知った。
ほとんどの猫好きさんは、とうにご存じのことだろう。



千葉で農業をやっているみさおさんとノラの子、ふくまるとの運命的な出会い。



写真家伊原さんの祖母である。
ふくまるはオッド・アイだ。
オッド・アイは白猫か白斑猫にしか発生せず、目が青いと耳が聞こえないというケースが多い。
ふくまる君も耳が聞こえないとのこと。



   

 

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伊原さんの「みさおとふくまる」近況報告のあるブログ
気ままに 猫マンマぶろぐ

 


セシウムと粘土質の土壌

2011-10-14 03:39:36 | 歴史と科学、Books

昨日の夜、サイエンスZEROを見ていたら気になることを言っていた。

福島で農作物と土壌の関係を調査した結果

福島の土地は幸いなことに土壌が粘土質なのでセシウムを吸収し、結果作物がセシウムを吸収する率は、
他の土壌の5分の1である。

ええ? 8月頃同じNHKのBS番組でこんなのがあった。

ウクライナのナロジチとかいう村で不調を訴える住民がいるので、獨協大学の准教授が調べた。
ここの村の人たちは、近くの森で採れるキノコを売って生計をたて、かつ自分たちもよく食べている。
キノコの汚染度が高いのでその森に行って調査すると、畑や牧草地よりも、はるかに土壌汚染度が高かった。
原因は
森の土壌が粘土質のためセシウムは土の中にしみこんで行かない。
土壌のセシウムは根から葉へ、そして土へと循環が25年間繰り返されている。

こういう内容だった。
たしかに粘土質の土壌はセシウムを吸収するが、同時に延々と排出続けることになる。
だから福島の粘土質の土壌は現在確かに他の土壌の5分の1だが、5年後10年後は逆に高くなっている事にならないのかな?

疑問なのは同じNHKの番組なのに・・・

セシウム134は2年で半減
137は30年で半減との事。



ボグのミイラ、トーロン・マンを知っていますか?

2008-05-14 11:04:23 | 歴史と科学、Books

今日も雨で冬の様に寒い日です。
気が滅入っていますね。

さて、1950年5月6日、二人の兄弟と兄(弟かも)の妻がデンマークのボグと呼ばれる泥炭(ピート)に奇妙な物が埋まっているのに気づき、掘り出したのが、The Tollund Man トーロン・マンと呼ばれるミイラだったのです。
詳しく検証している英語サイト
The Tollund Man トーロン人、トーロン・マン、トールン・マン、トルンド・マン
紀元前400年頃、鉄器時代にスカンジナビア地方で暮らしていた人たち
このミイラは2300年前、革紐で首を絞められ池か湖に投げ込まれたもよう。




羊の皮で作った帽子を被っている。
身長は162cm。
年齢は30才ぐらいだが、当時の30才は今の40才位ではないかとこのHPには書いています。
すごい、2000年も前とは思えないリアルさですね。



神へのいけにえ説が多数ですが、、犯罪を犯した者の処罰説が正しいのではと思います。 大体神へのいけにえが30才過ぎた男では、神も喜ばないだろうし、この男の家族だって困るでしょう。
このHPでもここを征服したローマ人が、彼らは臆病者や敵前逃亡者を木に吊した、と記録があると述べています。 ただここでも死後目を閉じたり口を閉めたりしているので神への生け贄だろうと書いてありますが、それぐらいの行為は死んだ者への哀れみでするでしょう。


「今かくあれども」を読む

2005-10-11 07:16:58 | 歴史と科学、Books

メイ・サートン(May Sarton)(1912-1995)の「今かくあれども」(As we are now)は1973年ニューヨークで出版された。61才の時の著書になる。彼女はレズビアンの経験があるらしい。



40年間高校で数学の教師をしていたカーロは、心臓発作を起こしたため兄夫婦の家に同居する。が、兄の若い妻と折り合いが悪く、ニューイングランドの辺鄙な場所の(考え方をかえればのどかな)泥の中に沈みつつあるような個人経営の「nursing home ナーシング・ホーム」に移される。この時76才。このホームでは彼女だけが知識階級に属するため、経営者のハリエットあるいは自身との軋轢で神経を摩耗させていく。カーロは教育のない者、あるいは労働者階級に対して不遜な態度を取る。これが相手との軋轢を生み、結局は自分を苦しめる。当人もわかっているのだがどうしようもない性格なのだ。多分これは作者自身の性格でもあろう。このホームには個室に男性が一人、あと大部屋に何人かの動物のような男たちがいるのだが、個室にいるスタンディッシュを除いては、彼らに関する表現はあまりない。他の作家だったら彼らに対してもっと綿密な表現をし、状況の事実を語り尽くすだろう。
訳本の腰巻きにはカーロの人生最後の反逆が始まる、と書いてあるがこれはである。彼女の頭の中の希望の行為にすぎない(少なくとも小説の終わりまでは)。訳者によるあとがきをまず読むべきである。それによると、ホームの入居者は、財産管理が出来ない、自分の衣服を着られない、手紙を開封される、あるいは投函受け取りが出来ない、薬を強制投与される、電話を自由にかけられない、まさに老人の監獄である。カーロは個室を与えられているが、状況は同じだ。ネコのパンジーが夜ベッドに来ると彼女はその暖かさに触れて涙を流すのだが、そのネコもハリエットによって閉め出されてしまう。愛するものから遠ざかっていくと、しだいに精神を麻痺させていく。これは人ごとではない。日本でも施設に入ると急激に精神と肉体が萎えていくと聞いたことがある。明日の我が身かも知れない。もっとも私は施設を選ばず海を選ぶつもりだが。
このアメリカの「ナーシング・ホーム」のサービス劣悪、入居者虐待は1960年代後半、介護需要が急増したことから始まるという。これからすぐの日本と同じか。結局政府のてこ入れで改善されたのは1990年ちょっと前からになっている。なんと25年もかかっている。アメリカがこうだと緩慢怠慢の日本はどうなるのだろう。
ところで英語タイトルの weはなぜweなのか、原文を読まないとわからない。ただアメリカの作品紹介の一部で想像できる。日本語タイトルは・・・・。


Caro is able to survive by keeping a secret diary for observations, reflections, and interpretations; ultimately, this alone sustains her. While the voice is that of an elderly woman (as we are now), the journal is for us, those still able to manage their lives, but unable to predict or control end-of-life events.

訳本で読んだ。訳は武田尚子氏、進むほど訳がうまくなります。

  (関係ないけど Standing Hana)