CAFE PACIS

ユルゲンが「カフェで政治が行なわれているんだ」って言う。じゃあ、カフェで平和やるか。

ブッシュ政権のイジメで辞めていった人たち:その2

2005-10-28 14:55:12 | ニュース@海外

スーザン・ウッド/フランク・ダヴィドフ:ウッド氏は、食品医薬品局(FDA)の女性医療委員会の委員ならびに女性医療局の局長。ダヴィドフ氏は、Annals of Internal Medicine誌(米国医薬品年報) の名誉編集者およびFDAの市販薬(非処方箋)諮問委員会の国内薬品問題の専門家。ウッド氏は、ブッシュ政権の圧力により、「事後経口避妊薬(morning-after pill)」を入手し易くすべきかどうかをめぐる最終決定を再度延期するというFDAの決定に抗議して辞任。「プランB」と呼ばれるこの避妊薬の市販勧告は、すでに2003年12月、超党派の専門委員会により23対4で可決されていたのであった。同僚へのEメールで女性医療問題のFDAトップ幹部であったウッド氏は、「ここの専門家職員が、承認にむけ徹底して査定し推薦する、科学的・臨床的証拠が却下されるなか、これ以上職員として働くことはできません。」数日後、ダヴィドフ氏も同じ問題で辞任。辞表では「科学的、臨床的証拠ではなく、政治的影響のために、ここまで目に余る形でこんなに重要な決定を下しうる組織と関係しつづけることはこれ以上できません」と書いた。ウッズ氏2005年8月31日辞任、ダヴィドフ氏2005年9月辞任。

トーマス・E・ノヴォトニー:保健社会福祉省次官補および喫煙削減のための国際条約締結のトップ担当者。同氏は、ブッシュ政権幹部によれば、「協議と無関係の個人的理由から」、「降りた」とのこと。しかし、ワシントン・ポスト紙によると、「ノヴォトニー氏と話をした3人の人物は…彼が非公式に、ブッシュ政権が、間接喫煙やタバコの広告・マーケティングといった主要な問題でアメリカの立場を後退させる決定をしていたことに失望していた、と言っていた」。2001年8月1日、辞任。

ジョアン・ウィルソン:教育省リハビリ局(RSA)委員。ワシントン・ポストによれば、「同氏によるところ、同局の資金とスタッフを骨抜きにするというほとんど気づかれていない政権のやり方」ならびに盲人、聾者などの障害者の就職を促進する上で決定的な「プログラムを解体する試みに抗議して」辞任。2005年2月7日、ブッシュ政権は、すべてのRSA地域事務局の閉鎖と、スタッフ半減を発表。2005年2月8日、退職。

ジェイムズ・ザーン:ロバート・F・ケネディ2世がNation誌に寄せた記事によれば、ザーン氏は「全国的に認められた農務省研究部の微生物学者」である。ザーン氏は、「農務省の上司が、養豚産業の圧力に負けて、研究を発表しないよう命令した」と述べている。この研究は、「産業化された養豚場付近の空気中に疾病の原因となりえ、抗生物質への耐性をもつ細菌があることを確認したもの」で、「彼は、大規模養豚場が健康に及ぼす影響について情報を欲している地方の計画局や保健委員会に対しするはずであったかなりの講演を取りやめるよう圧力をかけられた」。結果、「ザーン氏は、政府に愛想をつかして辞めた。」2002年5月、辞任。

トニー・オペグラッド/ジャック・スパダーロ:2人は、「連邦測地線工学チーム」のメンバーであった。同チームは、「山頂の露天掘りで生じている有害汚水を含んだケンタッキー州の石炭懸濁池を押さえている防壁の崩壊可能性を調査するために組まれた」。環境保護局(EPA)によれば、これは、「米国東部の歴史で最大の環境問題」であった。チームの部長であったオペグラッド氏は「ブッシュ就任の日に首にされた…スパダーロ氏を除くチームのメンバー8人全員が、ごまかしの調査報告に同意の署名をした。スパダーロ氏は、他のメンバー同様、嫌がらせを受けたが署名をきっぱり拒否。2001年4月、チームを辞め、労働省の査察官に申し立てをおこなった…同氏は、休職とされたが、これは首切り前の処分である」。連邦職員として在職28年の記念日を迎える2ヶ月前、意見の内容で何年もいやがらせを受けてきた結果、スパダーロ氏は辞職。「闘いにつかれてしまった」と同氏。「この政権とは2001年の初めからたたかってきた。少し休みたいよ。」オペグラッド氏2001年1月20日解雇。スパダーロ氏2003年10月1日辞職。

テレサ・チャンバーズ:国立公園警察署長を辞任。公園警察の予算問題を報道と議会スタッフに話したことで、休職とされた。その後、CNNによると、「同氏の弁護士が(連邦職員を管理職の職権乱用から守るための独立機関である)メリット制保護委員会を通して即時復職願いを出した2時間半後」解雇された。「国民は、どの分野であれプロフェッショナルに対するこの種の口封じを心配すべきでしょう」とチャンバーズ氏は述べている。「国民として、その分野の専門家が声をあげたり、いまの公園職員が経験しているように、声を上げないことを相当心配すべきです。」2004年7月、解雇。

マーサ・ハーン:土地管理局の州局長。7年にわたりアイダホ州のほぼ4分の1に当たる1200万エーカーの管理に責任を持っていた。ブッシュ政権となって自分の権限が劇的に縮小されたことを知る。同政権が、採掘計画に対する公共の場での発言を阻止したり、従来の保護地区を環境破壊につながる事業が許される地域として開放してきたのを目撃。放牧権をめぐる意見の衝突があった後、ハーン氏は、愛するロッキー山脈西部から、「以前は存在しなかった、ニューヨーク市での仕事に」転属されるとの通知を受けた。「ショックです」。「いま精神的に参っています。まさに働き盛りだと思っていたところなんですよ。」ハーン氏は、非自発的転属か辞職のどちらかだと言われ、2002年3月6日に辞職。

アンドルー・エラー:トゥーサン・ウィークリー紙によるとエラー氏は、「魚類野生動物庁に勤めた17年の多くにおいて(フロリダの)豹保護を担当。しかし、豹たちの生息地に巨大空港をつくる計画がエラーの研究と一致せず、エラー氏は同調することも拒否したため、お払い箱となった」。「ブッシュ大統領再選の3日後に首になりました」とエラー氏。「豹が危険にさらされているかいないかについて、(魚類野生動物庁)幹部と意見が違っていたこと、彼らが自分たちの見解を裏付けるために間違った科学を利用していると指摘したことに対する明らかな報復でした。」2004年11月、解雇。

マイク・ドンベック: 23年勤めた林野部を退職。辞表のなかで、環境保護派のドンベック氏は「(ブッシュ)政権が林野部を別の方向に持っていきたいことが、はっきりと分かった」と書いた。2001年3月27日、辞職。

ジェイムズ・ファーニッシュ:保守派で、福音主義キリスト教徒で、2000年にはジョージ・W・ブッシュに投票した共和党員で、林野部の元副局長を務めた人(8つの政権にわたり30年間、林野部に勤務)。2002年、ブッシュ政権との政策上の意見の違いから辞職。「要するに(政権の)やり方が後退的だと理解した」と述べている。良心に従い、同氏は、後1年勤めれば退職金が最大になるのに辞職。そのため失った、余生ずっともらえるはずだった年間の年金は約1万ドル。2002年、辞職。

マイク・パーカー:2002年はじめ、陸軍工兵隊局長であったパーカー氏は、議会に対し、ブッシュによる予算削減は工兵隊に「悪影響」を及ぼすと証言。また、ブッシュ政権に対して「心温まる」感情は持っていないとも述べた。その直後、クリスチャン・サイエンス・モニター紙は、「同氏は、30分やるから辞めろ。でなければ首だ」と告げられた、と報道。ハリケーン・カトリーナとリタがもたらした惨事をみるなら、パーカー氏が行政管理予算局の元局長のミッチ・ダニエルズ氏と衝突していたことは、予言的である。パーカー氏は、あるとき、ブッシュ政権の予算権威者ダニエルズ氏に、「予算不足のため完全に腐食し崩れている」ミシシッピ運河の水門の鉄片を見せ、「ミッチ。水門がテロリストに爆破されるか腐食して崩れるか、そんなことはどっちでもいい。どっちでも結果は同じで、崩れさせるようなことをすれば、俺たちの責任だ」と言った、と回想している。「彼はまったく何も感じなかったよ。」2002年3月6日、辞職。

シルビア・K・ローレンス:環境保護局(EPA)に20年勤めたトップ幹部。同局では、ブッシュ政権のもと18ヶ月間、施行・順守保証局(OECA)の副局長も務めた。ローレンス氏は退職の際、「この政権が環境法の執行怠慢を続けるなか、もっと辞職が続くでしょう」、「この政権は、諸問題を膠着させ、調査を中止している。職員は引っ込んでろ、というあらん限りのシグナルを発していた」と述べた。2002年8月、退職。

ブルース・ボーラー:EPAの科学者。同氏によれば、辞職の理由は、「湿地は自然の腎臓にたとえられます。問題に真剣に取り組む科学者ならそう言います。が、(民間の)開発業者と(陸軍工兵隊)幹部は、湿地は、文字通り、汚染源だ、という彼らの意見を支持しろと要求した」から。2003年10月23日、辞職。

エリック・シェイファー:EPAの規制施行局局長を5年間務めたのを最後に、20年にわたり勤務したEPAを辞任。シェイファー氏は、ブッシュ政権がクリーン・エア法(大気汚染防止法)を施行していない問題を指摘する辞表を提出。「わずか数週間のあいだで、ブッシュ政権は、我々が長年かけて築き上げてきた環境保護対策をゼロにすることに成功しました。結果、これら原発は毎年、何百万トンもの不必要な汚染物質を撒き散らし続けます。傷に塩をすりこむつもりか、ホワイトハウスは、EPAの施行予算の削減もねらいました。自動車メーカー、製油産業、大手養豚場、製紙業といった、環境法に抵触する行為を行っていたそのほかの汚染源に対する処置としてすでに始動させていた対策の継続を困難にするものでした。ブッシュが環境などどうでもいいと思っていることがはっきりしました。環境保護法の執行にたいす敬意などそれ以下です。よって、昨年春、12年勤務したEPAを辞職しました。辞職理由は、大々的に公開した(クリスティン・トッド)ウィトマン長官あての手紙に書きました。」2002年2月27日、辞任。

ブルース・バッケイト:政府職員として30年の経歴をもつバッケイト氏は、ブッシュ政権の環境規制弱体化に失望し退職。NBCのストーン・フィリップ記者の「大気汚染に対する法を施行する上で最大の障害は何ですか?」との質問に、バッケイト氏はずばり「ブッシュ政権」と応えた。司法省環境法施行部の上級顧問を務め、EPAの大気汚染防止法施行部の部長を務めた人物がである。同氏は続けて「この政権は、大気汚染を減らすという国民の利害より、石炭燃料発電所の経済的利益を優先すると決めています」と述べた。2003年11月、辞任。

リック・ビオンディ:EPAに32年勤めたビオンディ氏は、同庁の大気汚染防止法施行部の副部長のポストを辞職。「以前のような自由裁量権はなくなり、ブッシュ政権は成果を挙げる上での仕事にどんどん介入してきました。問題がこれまでと比べかなり慎重に検討されるようになることを示唆することがありましたし、裁判を起こすには、正当性を裏付ける事由がずっと多く必要になっていました」と同氏は述べている。2004年12月、辞任。

マーティン・E・サリバン/リチャード・S・ラニアー/ゲイリー・ヴァイカン:ホワイトハウスの文化財諮問委員会メンバー。バグダッドのイラク遺跡博物館の略奪に抗議して辞任。委員会委員長のサリバン氏は辞表で、「悲劇が阻止されなかったのは、アメリカが行動を起こさなかったためである」と書き、ラニアー氏は「イラク侵略ならびに文化遺産に関する、政権の完全なる気配りと事前の考慮の欠如」を厳しく非難。2003年4月14日、辞任。

 さて、ハリケーン・カトリーナの後、連邦緊急事態管理局(EFMA)と同局を仕切っていた任命者に注目が集まり始めた。かつてFEMAに勤めていたプロの職員たちはどこにいるのであろう?2004年、FEMAに17年勤め、同局で国家公務員労組委員長であるプレザント・マン氏は、インディウィークにこう語っている。

 「去年から、基本的な計画を立ててきた人たちが本当にたくさん辞めています。機関の知識の多くが失われました。退職できる人は去ったし、その上、多くが他の省庁に転属しています。」

 この大量人材流出の主要原因は、FEMAの現状にたいする幻滅感だと言われていた。実際、米国公務員連合が2004年2月におこなった調査では、アンケートに答えた80%の現役職員が、ブッシュが作った国土安全保障省の管轄になって以来、FEMAは「以前と比べ貧弱になった」と応えていた。多かれ少なかれ、他の省庁もFEMA同様の目にあっている。アマンダ・グリスコム氏がグリスト・マガジンに寄せた記事によれば、環境的責任を求める公務員の会(Public Employees for Environmental Responsibility)のジェフ・ルーシュ事務局長は、ブッシュ政権になってから、省庁で働く科学者の転属が「異常に高い」割合で起こっていることに触れている。「不都合な答えを出せば、科学者としての自殺行為になる」と同氏は述べている。

 ここに挙げた人たちは、ブッシュ政権犠牲者の一部に過ぎない。この政権の戦争、予算、政策、計画の結果、キャリアを破壊され、中断され、マイナスの影響を受け、混乱に巻き込まれた政府職員の数を確定することは不可能である。どの政権であれ犠牲者はつきものである。しかし、待遇や政策に対する辞職理由、不満、怒りがここまで公開されるという点で、ブッシュ政権の成果は近年例を見ない。ここに挙げた犠牲者リストには、圧力を受け辞任したり退職した人たちの中でも最もよく知られている人たちが入っている(必ずしも、最大の被害を受けたという意味ではない)。おそらく、ブッシュ政権の下、すべてのレベルにおいてどれだけの政府職員が犠牲になっているか把握している人はいないであろう。ここに名が挙がった人たちは、数えられていない部隊の中でも私たちが知っているほんの一部に過ぎない。

〔この記事の構想をくれ、「任務を託して」くれたレベッカ・ソルニットに特にお礼を申し上げます。〕

ニック・タース:コロンビア大学の疫学部勤務。TomDispatch.com.の副編集長かつ調査担当。ロサンゼルス・タイムス、サンフランシスコ・クロニクル、ヴィレッジ・ボイスなどに寄稿。TomDispatchでは軍産複合体、国土安全保障問題などの記事を書いている。


ブッシュ政権のイジメで辞めていった人たち:その1

2005-10-28 14:53:43 | ニュース@海外
 ブッシュ政権のイジメで公務を辞めていった人たちのリストです。

私は、息子(3歳)の給食に牛肉メニューがあるときはお弁当を持たせていっています。これを読むと(米産)豚肉もやばいかも・・・。

***********

失われた大部隊
ブッシュ政権の犠牲者
ニック・タース
http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?pid=28817

 2005年8月、軍調達部で20年のキャリアをもち、イラク復興事業で政府契約の割り振りに責任をもつ陸軍工兵部隊の最高幹部バナティン(通称「バニー」)・グリーンハウスは降格された。グリーンハウスに対する上司の評価は何年ものあいだ高いものであった。しかし、それも、公表もされず、入札もされない事業がケロッグ・ブラウン&ルート社(KBR)に発注されたことに異議を述べる前までのことである。KBRは、あのディック・チェイニー副大統領が以前社長を務めていた巨大企業ハリバートンの子会社である。ハリバートンへの発注が「プロとして仕事をしてきた中で、最も露骨で不適切な不正契約」だったと議会で証言した後、彼女は、「エリート上級管理職から…同部隊の民間事業部のもっと低い職務へ」配置されたのである。

 こうしてグリーンハウスは、ブッシュ政権の犠牲者リストに名を連ねることになったのであるが、この犠牲者たちとは、数え切れない(というよりは数えられていない)イラク人でも、ブッシュ政権の便宜戦争の結果殺され、障害を負う、膨れ上がる一方の米兵犠牲者のことでもない。彼らは、窮地に立たされた行政官、管理職、キャリア官僚たちである。彼らは、抗議の辞職をしたり、ブッシュ政権の強引なやり方により誹謗され、脅迫され、首にされ、追い出され、降格され、退職を余儀なくされた人たちで、どうやらこっちの犠牲者リストも果てしなく膨れ上がっているようなのである。彼らが職を去るほとんどの理由が、ブッシュの政策にたいする強い嫌悪感にある。彼らにとって、イラク侵略、北朝鮮との協議、FEMAの無力化、環境基準の引き下げといったやり方は常軌を逸している。

 その就任直後から、ブッシュの行く先々で人のキャリアがめちゃくちゃにされてきた。以下、こうして失われていった中でも名を知られている人たちの一部をリストアップしてみた。

リチャード・クラーク:おそらくブッシュ政権犠牲者で一番有名な人。クラーク氏は、レーガン政権以来、政府職員として30年の経歴をもつ。レーガン政権、父ブッシュ政権の国務省で諜報部ナンバー2を務め、クリントンおよび現ブッシュ政権では、国家安全保障会議(NSC)テロ部門で大統領最高顧問という閣僚級の職にあった人。同氏は、現ブッシュ大統領のテロ対策の「ひどさ」に幻滅。その「ひどさ」を具体的に言うと、差し迫るアルカイダ攻撃の証拠を無視したこと、ありもしないアルカイダとフセインとの関係を証明しろと圧力をかけたこと(同氏によれば、関係なし、と結論したクラーク氏のメモは「『おまえの答えは間違い。やり直し』と言われ、つき返された。」)9・11の後、同氏は、NSCのサイバー・テロ部門への配属を希望。(ブッシュ政権は後、これは降格と言っている。)2003年1月、辞任。

ポール・オニール:ニクソン、フォード両大統領の下で、行政管理予算局(OMB)の最高幹部(後、アルミニウム最大手アルコア社の議長)を務めた人。オニール氏は、現ブッシュ政権の財務長官を2年近く務めたが、大統領の減税政策に反対を表明すると辞任を要求された。クラーク氏同様、オニール氏は、ブッシュのイラクへの病的な執着を想起している。NSCの常任メンバーであった同氏は、「サダム・フセインは悪人で、固片付ける必要がある、という確信がはじめから存在していた」と述べている。「問題は、それをどうやってやるかという方法を見つけることだった。それが全体の空気だった。大統領は『方法を見つけてこい』と言っていた。2002年12月6日、解雇。

フリント・レヴェレット/ベン・ミラー/ヒラリー・マン:左から、ブッシュ政権NSC中東問題の上級幹部、NSC付きのCIA職員でイラク問題専門家、イラン・ペルシャ湾問題責任者としてNSCに説明を行う外務職員。報道によれば、三人は全員、対イスラエル政策に異議を唱えたところ、NSC中東問題顧問のエリオット・エイブラムズに首を切られた。レヴェレット氏によると、「米国が欧州・アラブの相手国におこなってきたさまざまな約束を、要するに、破る…という決定が下されていた。個人的にその決定に反対でした。」同氏はまた、「(リチャード・)クラークが、政権の意思決定のあり方や、彼らがイラクでやりたいことが、待ったなしのアルカイダ対策と釣り合っていないと批判していたが、まさに的を得ている…(2002年、イラク戦争を準備するためにアフガニスタンから)人を撤退させたが、こうした人たちは」オサマ・ビン・ラディンやアイマン・ザワヒリといったアルカイダ指導陣を「捕まえることができた人たちだった」。議会のテロ・不正規戦問題特別委員会のジョセフ・ボダンスキー委員長によると、エイブラムズは「ミラーを窓まで連れて行き、ここから飛び降りろと言った。」同委員長は、マン氏とレヴェレット氏も辞めるように告げられた、と述べている。2003年、辞任/解雇。

ラリー・リンジー:ブッシュの「経済顧問トップ」。新聞に、イラクとの戦争には2000億ドルかかると明らかにした後、追放された。2002年12月、解雇。

アン・ライト:国務省のキャリア外交官かつ陸軍予備軍大佐。アメリカがイラク戦争を開始した日に辞任。ライト氏は、辞表でコリン・パウエル国務長官に対しこう述べている。「この政権の政策で世界はますます危険になっているのであって、安全になっているとは思いません。道徳的にも職業上も、私は、こうした政策に感じている深く強い懸念を表明し、これら政策を擁護したり実行することが出来ないことから政府の職を辞任する義務があると感じています。」2003年3月19日、辞任。

ジョン・ブレーディー・キースリング:20年に渡り4つの政権に仕えたキャリア外交官。イラク侵略の前夜、在ギリシャ米大使館で政治参事官をしていたが、辞表を提出。「この政権になるまでは、自分が仕える大統領の政策を支持する事で、米国民と世界の利益も支持しているのだと信じることができた。もうそれはできない。いま我々が実行を要求されている政策は、アメリカの価値のみならず、アメリカ人の利害にも一致しない。イラクとの戦争を熱狂的に追求することで、我々は、ウィドロー・ウィルソン以来、攻撃・防衛の両方においてアメリカの最大の潜在的武器であった国際的な正当性を浪費せざるを得ないところに追い込まれている。我々は、これまで知られてきた最大かつ最も効果的な国際関係のネットワークを壊し始めているのである。今のやり方を続ければ、安全ではなく、混乱と危険がもたらされるであろう。」2003年2月27日、辞任。

ジョン・ブラウン:ロンドン、プラハ、クラクフ、キエフ、ベオグラードで25年近く外務を歴任してきたベテラン。辞表では、「良心に恥じずして、ブッシュ大統領のイラク戦争を支持することはできません。大統領は次のことを怠っています。なぜ勇敢な米兵たちがこの時期にイラク戦争で命を犠牲にする準備をすべきなのか明確な説明。罪のない民間人犠牲者を含む、この戦争の全面的影響の説明。一般国民に対するこの戦争の経済的出費の具体的説明。この戦争がどのように世界からテロを無くす助けになるのか明確な説明。国際的な戦争反対世論を真剣に考慮すること。」2003年3月10日、辞任。

ランド・ビアーズ:NSCの対テロ問題上級幹部。辞任理由の説明は拒否したが、もと諜報幹部はビアーズの辞任について、「まったく驚かないね。自分たちは、対テロ戦争をイラク戦争で犠牲にしてきた。ランディを責める気はまったくないよ。これは、テロ戦争がイラク戦争のために脇に負いやられていると広範な人たちが思っていることを反映したもの。米軍と諜報と同盟国との関係を犠牲にしてね。」と述べている。ビアーズはのち、「この政権は、対テロ戦争の言動が一致していなかった。これで安全になったどころか、ますます危険になっている…内部の人間として、対応が成されていない様も見てきたし、留まり続け、見続けるほど、懸念が増し、ついに立ち去らざるをえなかった。」2003年3月、辞任。

アンソニー・ジニ:40年、兵士と外交官を務めた。1997年から2000年には、米国中東中東司令部の最高司令官。海兵隊将軍を退役後、ブッシュ政権からトップの外交任務につくようオファーを受け、(2002年11月から2003年3月まで)中東特使を務めた。しかし、ブッシュの戦争開始計画に異議を唱え、このような戦争は長期にわたり戦後問題を抱えることになると事前に公の場で意見を述べたことで追放された。同氏は、「イラク戦争への下準備とその後の戦争遂行にあたり、よく言って、純粋な職務怠慢、職務蜂起、無責任を見てきたし、最も悪く言って、うそ、無能、腐敗を見てきた」と述べている。2003年3月、再任されず。

エリック・シンセキ:陸軍参謀長であったシンセキ氏は、議会に、イラク占領には「数十万の部隊」が必要となりうると証言。それを、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官が愚弄。その後、ハドソン・クロニクル紙によると、「ドナルド・ラムズフェルド国防長官は、『エリック・シンセキ将軍は、参謀長の任期満了をもって職務を降りる』と発表する、という尋常ならぬ措置をとった」。2003年6月、退役。

カレン・キアツコフスキー:イラク侵略の一年前、国防省中近東・南アジア(NESA)局に勤務していた空軍中佐。彼女の辞表。「2002年5月から2003年2月まで、国防次官事務所で中近東・南アジアおよび特別計画局(USDP/NESA・SP)で働くなか、イラク戦争後の政策が決められていく状況を見てきました。それは、適した指令や規律から逸脱し、反する行動がはびこる状態でした。なぜ、おかしな「諜報」のかけらが大統領演説にもぐりこんだのか、なぜ、フセイン政権後の占領が、混乱や誤った対策で特徴づけられているのかを知りたければ、国防長官事務所の内部プロセスを見れば十分事足りるでしょう。」2003年7月、辞任。

チャールズ・「ジャック」・プリチャード:28年間、軍、国務省、NSCでの任務を歴任した退役陸軍大佐。国務省の北朝鮮問題上級専門員、北朝鮮との協議で特使を務めた。(ロサンゼルス・タイムスによれば)辞任の理由は、「ブッシュ政権が、北朝鮮との直接関与を拒否したことで、北朝鮮政府の核兵器の開発・実験・配備を阻止することがほとんど不可能となった」から。2003年8月、辞任。

ジョン・カー少佐(当時大尉)/ロバート・プレストン大尉:空軍検事。ブッシュ大統領が2001年に設立した軍法委員会制度への参加を拒否し、2004年に辞任。2人によればこの制度は「キューバのグアンタナモで拘束されているテロ容疑者に対し不正に用意されたもの」。2004年、要請どおり転任。

キャリー・ウォルフ大尉:空軍将校。グアンタナモにおける囚人を裁くために作られた委員会に対する懸念から、軍法員会を辞めたいと申し入れた。2004年、要請どおり転任。

ダグラス・マクレガー少佐:陸軍辞任にあたり「私は陸軍が好きだし、辞めたくない。しかし、現在または将来の戦略的環境をつくるにあたっての、軍の根本的な改革や再編は不可能だと思う。こびへつらいの文化なのだ。内部最大の問題は…国防総省のトップレベルでも、将校の間でも、議論がないことだ。議論は反対の兆候だ(と見られる)。異議は不忠と同一視される。」2004年6月、退役。

ポール・レドモンド:CIAに長く務めた後、国土安全保障省で情報分析担当の次官となった。Accuracy in Mediaのノトラ・トゥルーロック氏によれば、レドモンド氏は、2003年6月の議会公聴会でこう報告している。「(レドモンド氏には)任務をこなすに必要な分析情報が入ってこなかった…担当部署には、諜報部から機密報告を確実に受けとれるような、やり取り能力がいまだなかった。彼のこの種の率直さを上司たちはよく思わず、結果、レドモンド氏は出て行かざるをえなかったのである。」2003年6月、辞任。

ジョン・W・カーリン:ワシントン・ポストによれば、米国公文書保管人のカーリン氏は「ホワイトハウスから、理由も説明されず、辞表を提出するよう圧力をかけられた。民主党上院議員は、公聴会でブッシュ大統領が指名した後任者を検討することを明らかにした。」カーリン氏は、「(辞表提出要求の)理由を聞いたが、何の説明もなかった」と述べている。しかし、ポスト紙は、何人かが「ブッシュは、自分または自分の父親の機密に関わる記録文書を表ざたにしないでおける別の保管人が欲しかったのかもしれないと示唆している」と報道。カーリン氏は、65歳の誕生日にもあたる、2005年までの10年任期を全うしたいと申し入れたが、ブッシュ政権の圧力に屈してしまった。2003年12月19日、辞任。