トトラの馬

元々はエコロジーやスローライフについて書いていましたが、とりとめなくなってきた。

ルイス・セプルベダ 「ラブ・ストーリーを読む老人」

2005-03-04 21:29:20 | 読書
図書館の本には帯もなければ説明書きもないので、この本を手に取ったのは、以前読んだこの著者の別の物語、「カモメに飛ぶことを教えた猫」が面白かったことを思い出したからでした。

先日のブログ飲み会のとき、ちょうど、アマゾンの開発と環境運動家の暗殺の話などをしていたので、借りて帰った本の献辞に、アマゾンを守るための環境活動家で暗殺された「シーコ・メンデスへ捧ぐ」とあるのを見たときは、その偶然に驚きました。

思うに本というものは、こうした悪戯をよく行うようです。
何かの話をしていると、後から関係した本がぽっと手に入る。
何かの本を読むと、それに関係した話題が転がり込んでくる。
巡り会わせとでもいうのでしょうか。

さて、物語はアマゾンの奥地に入植し、厳しく豊かな自然との共存の仕方を先住民から学んだ老人が、オセロット(山猫)と戦う話です。
市長によって山猫退治を余儀なくされた老人ですが、彼は山猫と戦いながらも、その意識は常に山猫の側、自然と暮らすものの側にあるように思えます。
山猫は、外国からやってきた白人に、小さな毛皮のために子どもたちを殺され、つがいの雄を傷つけられて怒り狂って人を襲っているのでした。

一番古い入植者である老人が村にたどり着いたとき、そこは密林の真っ只中でした。
人々は自然の力に負けて死んでいき、老人は先住民に教えられることで生き抜いてきたのです。
しかし、この村にも開発の波が押し寄せ、外国からも人がやってきて、自然の掟に反した振る舞いをするようになったことが、自然を遠ざけ動物達をおかしくさせた原因だと、老人には分かっているのです。


途上国の開発という問題を考えると、わたしはいつもなもやもやっとした割り切れない思いを抱えます。
わたしたちは、彼らより一足先に燃料を使い、大量消費を謳歌し、二酸化炭素を大量に放出して、いま、電気やガスが通って必要なものは一切が揃った暮らしをしています。
その快適な部屋から、単純に「反対」と叫ぶことは難しいと思うのです。
わたしの前には、ペルーに留学中に見た貧しい人々が目に浮かびます。
暮らしのために山岳地帯やアマゾンを捨て、町に出てくる人もたくさんいます。
手付かずの自然を前にした人々が、今よりもう少し良い暮らしをしたいと望み、そのために開発に夢を託すことを単純に非難することはできません。

一方で、こうした人々が密林や山を切り開き、新しい開発を進めたところで、受け取るものはほんのわずか。彼らの暮らしを劇的に裕福にするわけではありません。
利益はもっと大きいところに吸い取られていくのですから。
一部の人たちが、多くの人の幻想を利用して開発を進めている。
この現状に対して、反対運動だけではきっと解決にならないだろうと感じます。
大きな幻想にとって代わることのできる別の夢、実現可能な夢が必要なんだと思います。
フェアトレードを知ったとき、これこそが新しい夢となりえるものかもしれないと思いました。
そう言い切るには、もっとトレードする双方の側で普及が必要なのでしょうけれど。

少し話は変わりますが、観光地の外国人料金というものへの認識も、ペルーに行ったときに新たにしたのでした。
ペルーでは、ナスカをはじめとして、外国人料金が一般よりかなり高く設定されている観光地があります。
同じものを同じように見るのに、なぜ料金がこれほど違うのかと納得できない思いをしたこともあったのですが、こうした料金の徴収の仕方は実は理にかなったものだと思うようになりました。
自国のことを学ぶために訪れた人々にはできる限り安い値段で、そして海外から観光で訪れる余裕のあるものには外国人料金として高いお金を取ることで、観光地を維持しているのです。

いよいよ本格的にタイトルから話がずれてきましたが、この本にはわたしが書いたような環境問題云々が声高に描かれているわけではありません。
濃い密林に飲み込まれているかのような気持ちにさせる生き生きとした描写で、アマゾンの村の生活と一人の老人の生き方が描かれています。
章が進むにつれ老人と気持ちが寄り添っていき、そしておかしなことに山猫にも感情移入していきます。読み終わった後、長い夢から覚めたような気持ちになりました。
旦敬介氏の訳も素晴らしく、久しぶりに美しい文章を読んだと感じました。
読んでいない方にはおすすめです。