超スローカーブ

更新が遅れても仕方ないと予防線を張ったつもりの、私ことブリダイが世相や身近な出来事について斜め切りしたごった煮

車石 (くるまいし)

2015-02-14 21:52:30 | 古きもの
 こちら今日は陽はさしていたものの風があり寒い日
でした。

写真は江戸時代に逢坂山の峠道に敷かれていた車石です。
花崗岩に車の轍(わだち・車輪を通すための溝)を掘り、
二列に並べた車石が、大津から京都の三条にかけての
約3里(12km)に敷き連ねられ、荷車が峠を越える手助
けとなりました。

   

 最初、この車石をみて、この轍は馬車の車輪で徐徐に
出来たものだと思っていました。説明を聞き目から鱗で
した。
 西洋のレールとはまったく逆の発想で、考えだされた
方法ですがおもしろいですね。

 鉄道が引かれるまで琵琶湖は、北海、北陸からの海
産物や米等を京都へ運ぶ重要な水運でした。
 それには外輪汽船の「一番丸」が活躍していました。
 それら多くの物資は、大津港から馬車、牛車により
逢坂山、九条山を越えて京都へ運ばれて行きました。
 しかしながら逢坂山は、大津側に逢坂峠、京都側に
日ノ岡峠があり通行の難所でした。
 そこで、1805年(文化2年)京都の心学者脇坂義堂が
一万両の工費を投じて工事にあたったもので、これに
よって牛車などによる荷物の運搬が楽になり、円滑に
進むようになりました。

   

 また、その当時描かれていた図からは、道はすでに
歩道と車道に分けられていて、歩道は車道よりも高く
してあり、通行の安全と車の通行の邪魔にならない様
に配慮してあった様でこの設計には驚きです。
 また、車石は単線のため、午前は京都行き、午後は
大津行きと、時間による一方通行になっていたとのこ
とで、このような事にもきちっと統制が執れて行われ
ていたことにも感心しました。

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