超スローカーブ

更新が遅れても仕方ないと予防線を張ったつもりの、私ことブリダイが世相や身近な出来事について斜め切りしたごった煮

あれから8年目

2013-04-25 22:49:24 | Weblog

 今日のテレビは尼崎JR脱線事故からまる8年がたち追悼慰霊式の模様やその関連のニュースが多かった。事故の記憶を風化させないためにも、マスコミがこのようなことを取り上げるのは意義があると思う。
 事故そのものは制限速度を大きく超えてカーブに進入したことが原因だったので脱線した電車の運転手ひとりの責任とされたが、現場は大きなカーブの入口なのにATSが設けられていなかったとしてJR西日本の歴代社長3人が強制起訴されていて判決はこの夏ごろらしい。

私はこの福知山線の猪名寺駅近くに関係会社があり、当時はよく乗っていた。1996年に新しくできた東西線が福知山線とつながることになり、その工事でさらにカーブが大きくなったことも知っていたが、まさかこれがこれ程の大きな事故につながるとは思っていなかった、と云うよりJRの行う工事に不安などいだいたことはなかった。

事故当日も猪名寺の会社で立会い検査があり、出張するところであった。出かける直前にその会社より、福知山線で事故があり電車がストップしているがどうされるかとの電話があった。
 私は車の運転ができないので営業の方に送ってもらうことにした。 その会社に向う道中、カーラジオからは事故の模様を繰り返し放送していたことを覚えている。
 仕事を終えて家に帰り、テレビで事故の映像をみてびっくりした。カーラジオからはとても映像のような状況は想像できなかった。

 この事故では107人の方が亡くなられ、562人の方が負傷された。この事故でJR西日本は再発防止に向けて組織の見直しをはじめさらに安全運転に力をいれているとのことであったが、昨日のニュースでびっくりした。

 JR阪和線で昨年度、信号が赤のまま変らなくなるというトラブルが11件相次ぎ、一部は何者かが故意に機器を操作した可能性があるとのこと。さらに信号を制御する機器は、施錠された室内で部外者が立ち入れない場所に設置されていて、捜査1課はJR西日本の関係者が関与した可能性もあるとみているらしい。

 信号が赤でよかった。安全側だ。だがそのことで上層部や本社に不満をもつ現場の社員の嫌がらせが動機の内部犯行も考えられるとのこと。
 実に恐い話しである。信号が赤でも運転ダイヤに大きな影響があるが、青ならそれこそ大惨事になりかねない。

 まだ未解決事件なので軽々しくは判断できないが、この種のうわさが漏れること自体まだまだ組織として大きな問題をかかえていると云わざるを得ない。

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第3回 「おやじサロン」

2013-04-21 00:13:47 | Weblog

 淡路島を震源とする地震のあった日の夕方、第3回の「おやじサロン」があった。

 何時ものように、私はスーパードライのロングとさきスルメを持参して自治会館へ。
 今回の講師役は、京都室町の呉服問屋さんに勤めておられたTさん。
 Tさんの会社も私の元会社と同じ 1999年に自己破産したとのこと。そう云えは当時そのような事を聞いたことがあったような。
 倒産後、Tさんも私と同じように元会社の絡みがある仕事を自営業の形で続けられていてよく似た歩み方をされていたのだ。
 ただ私と違い今もその仕事を継続されている。

 Tさんは年齢が私よりふたつ若い65歳なのだが、高校を出て京都の室町のその会社に就職された時の初任給が17000円とか、そしてすぐの夏のボーナスで6万円も頂いたとか、その当時30代の先輩はボーナスで家が買えたらしい。やはり当時の京都室町がいかに繁盛していたかがうかがえる報酬である。

 でも、その頃から数年がピークで、その後は若い女性の着物離れも相まって商売はずっと下り坂であったとか…。

 驚いたことに、我が自治会に室町関係の仕事に就いておられた方が9人もおられたようだ。その内何人かの方が同様に倒産の憂き目に遭っておられるとのこと。

 なぜこのような事になったのか、Tさんの私見では、京友禅は各工程が細かく分業されていて、その職人さんのこだわり、頑固さが相当強くて、時代の要請について行けなかったのが最大の原因ではないかと。

 嘗て京都の職人さんが頼まれて教えに行った、「十日町友禅」は今も負けずに健闘しているとのこと。十日町友禅は時代の要請にうまく対応する柔軟さがあって工程の合理化などうまく反応できたようだとのこと。

 私は着物のことはさっぱりで、今だ健闘していると云う「十日町友禅」の名前も今日が初耳であった(苦笑)
 なので、友禅の細かな工程についての話しなども「大変なてまひまがかかっているのだなぁ」のレベルであった(笑)

 呉服問屋業界の話しから京友禅の話し、室町の景気がいい頃の武勇伝などを織り交ぜての楽しい話しであった。

 今回二人の方が清酒「越の寒梅」と、焼酎『赤魔王」を持参されたので、ビールのあとはちょっともったいないような飲み方であったが「紙コップ」で何杯かいただきながら聞いていた。

 終わりに次回の講師役をなんと私が指名されてしまった(苦笑)

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あの地震から…

2013-04-19 01:12:57 | Weblog

 17日に三宅島、福島と相次いで大きな地震が発生している。
 こちらでも13日早朝に大きな地震があった。一瞬、東海、東南海地震かとヒャとしたが、ユレもすぐおさまりホッとした。すぐ携帯電話を見た。「播磨灘で地震発生。強い揺れに備えて下さい」と緊急地震速報メールが入っていた。全然気付かず(笑)
 朝になり、テレビのニュースによると震源地は淡路島であった。
 この地震で東日本大震災と津波で大きな被害を被った石巻の会社のことを思い出した。
 そのころにその会社へ装置のオーバーホールで出張する予定になっていたのだ。
 だが装置も何もかも完全にダメになり出張仕事そのものが消えてしまった。
 後日その会社のホームページで被害の写真を見て、もしその時に出張作業をしていたらと思うとゾッとしたものの、社員さんは全員無事だったと書かれていたのでホッとした気持ちになった。

 今日の地震で気になって、その会社のホームページを見たところ、復興しましたとの文字とともに工場内の写真がいくつか掲載されていた。
 その写真のなかに私がオーバーホールする筈だった機器と同じものが2台並んで設置されているのが写っていた。
 新しく買替えて頂いていたのだ。
 もう私がメンテナンス出張することもないのだが、なぜかこの写真を見てうれしくなってきた。

   復興おめでとう、○○会社 がんばれ!

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新しい生活

2013-04-17 01:13:49 | Weblog

 4月になり孫たちもそれぞれ高一、中一として新しい学校に通うようになった。
 我が家で冬眠中であった "ゼニ"と"ポコ" のカメもゴソゴソと音を立てだして「起きたゾ」と合図するようになった。
 カメや水槽のガラスや砂もキレイに洗い水もキレイにして水槽を玄関先に移した。
 2匹一緒にするとケンカするのでカメも別々の水槽で今年の生活が始まる。
こう書くと私ひとりがやっているようだか本当はカミさんが主で私はヘルプの立場でお手伝い(笑)

 ウチのカミさん等が計画した自治会のシニアの女性陣のお花見は5日快晴のもと満開の桜の下で行われたが、7日の我々シニアクラブの琵琶湖疏水とインクラインを巡る桜ハイキングは春の嵐で敢無く中止となった(残念)

 我が家のインターネット回線を無線LANに切替えた。
無線ルータなど機器は昨年に買っていたのだが、ゲーム好きの孫が Wi-Fi が使えるとこれに熱中して受験勉強がおろそかにならないかと心配する声に負けて試験が終わるまではと切替え作業を延期していた。
無線LANは初めてであったがすんなりうまく切替えできた。
 これまで孫二人は私の部屋で旧型の方のパソコしか使用できなかったが、これからは自分の部屋でノートパソコンを使用出来る環境になり喜んでいることだろう。
 ただネット関連ではいろいろ問題も発生しているので、時々は注意して見守るようにしないと恐いこともあるので気をつけたい。

 このところ二人の新しい制服姿にもやっと見慣れてきたようだ。それから嫁いだ娘の長男も今年から小学校に入学する。

 孫3人がそれぞれ新しい生活に入ることになったが、いい友達をつくり、しっかり勉強して楽しい学校生活を送ってくれることを願っている。

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