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金閣寺のことあれこれ雑考

2018-12-05 22:47:27 | 歴史探訪

 金閣寺は京都で最も有名な観光スポットの一つで、世界文化遺産にも登録されていることもあって海外からのお客様にもたいへん人気があります。
 金閣寺は室町時代の1397年に三代将軍足利義満の住まいとして建立されました。  
 正式には鹿苑寺(ろくおんじ)という名称ですが金閣寺の名前で親しまれています。  
 それは境内の「金閣 (舎利殿)」と云うのですがこの建物が金ぴかの黄金の建物なので自然とそう呼ばれる様になったのでしょう。  
この「金閣」を「金閣寺」と思われる方も多いようですが、金閣寺と云うお寺はありません。金閣を含めた寺院の総称が「金閣寺」なのです。
 なお、この北山の金閣寺も東山の銀閣寺も、臨済宗相国寺派大本山・相国寺(しょうこくじ)の山外塔頭(さんがいたっちゅう)の一つなのです。

   位置関係が ?   
 余談ながら、この金閣寺と銀閣寺は大本山の相国寺を真ん中にしてほぼ同じ距離でしかも直線上に並んでいるのです。  
 地図上で確認していただければわかりますが、相国寺を中心に直線上にほぼ等距離の位置に金閣寺と銀閣寺は建てられています。
   
 
 
 これは、あまり知られていませんが、偶然になったとはとても考え難く、後から銀閣寺を建てた足利義政に何等かの意図があったと考えるのがスジでしょうね。  
 その意図を知りたいものです。
   
   金閣の深い意味は ?  
 金閣の外装は実際に見学された方でも、すべてが金色であったとの印象が強いと思いますが、写真の様に実は一層は公家や皇族の住居であるとして神殿造りで金箔は貼られていません。  
 その上に武家造りの層を重ね、さらにその上が極楽浄土を表す仏殿造りになっています。  
 この二層、三層に金箔が貼られて黄金色に仕上げられています。
   
 
 
 これは一層の公家より二層の武家が上であることを暗に意味し、さらにその上の三層に出家した義満本人が公武の上に立つ事を暗示して造られたのではないかと云われています。  
 それに、金閣の頂上には、正面(南方)を向く、高さ 108cm の黄金の鳳凰 (ほうおう) が据えられています。
 中国では、鳳凰は天子の出現を予兆する想像上の瑞鳥 (ずいちょう) と云われています。
 このことも義満が天皇の座を狙っていたのではないかとする説を補強しています。
 黄金に輝く金閣にこの様な深い意味が込められているとするなら、まさに義満のすごい自己顕示欲がうかがわれますね。


 
 
 金閣寺は建立されて以降、応仁の乱も含めさまざまな災難に巻き込まれています。
 ところが、幸いなことに金閣だけは消失をまぬがれています、よって鳳凰も無事でした。
 それなのに、このスローネットの方ならご存知の方もおられると思いますが、昭和 25年に見習い僧侶の放火で金閣は全焼しました。   
 
    参考のため 当時の新聞写真です (ネットより)
 これで鳳凰も消失かと思われたのですが、何と鳳凰はその時は修理中だったのです。この時は二代目鳳凰と交換されていて初代鳳凰は運よく難を免れました。
 今は本山である相国寺境内の承天閣美術館に大切に保管されているそうです。
 この鳳凰は尾が折れているようなのですが金閣寺創建当時から残っている唯一の遺物になっています。
  
   
    参考のため 初代鳳凰の写真です (ネットより)
 黒くなっていますが、創建当時は金箔が貼られていて黄金に輝いていたと云われます。
 現在の金閣頂上の鳳凰は 4代目で 昭和62年の昭和の大修理のときから新しく取り付けられています。

   鳳凰は避雷針もかねてる ?

 この鳳凰については私見ですが、避雷針のアース線ははっきり分かるのですが、写真を拡大しでみても避雷針の先端にあたる突針がどこにも見当たりません。
 アース線は鳳凰の足に繋がれている様に見えるので、ひょっとすると銅製の鳳凰自身が避雷針の突針を兼ねているのではないかと考えます。
 (この件 ご存知の方 お知らせください)  

  
    
 



 金閣寺を見学していたら、三層目の屋根から張り出している金色の棒を指さしてあれはなに! の声が聞こえてきました。   
   あれはなに ?  

 

 これは雨樋(あまどい)なのです。

 金閣(舎利殿)の屋根は二層、三層とも柿 (こけら) 葺きで、二層は和風に造られていますが、三層は中国風に造られています。
 普通は柿葺きや檜皮葺き屋根には雨樋は設けられないことが多いのですが、金閣の三層は四隅が跳ね上がった中国風のため、強い雨が降ると雨水が屋根の中央に集りそこから滝の様に流れ落ちるため、このままでは二層の屋根を痛めてしまいます。
 これを防ぐため、雨樋を設けて、それも写真のような長い雨樋にして三層の雨水を直接鏡湖池 (きょうこち) に落ちるようにしているのです。
 この2本の突き出た黄金の雨樋は金閣の正面側からはほぼ見えないように考慮されています。
 雨樋に集まった水を後ろ側に長く伸ばすことにより2層の屋根を外して鏡湖池に直接落としています。

   

 この突き出た雨樋をさらに拡大すると、雨樋の端「止まり」の部分にまでも、足利尊氏が後醍醐天皇から頂いて、足利家の家紋であり、寺紋でもある「五七の桐 (ごしちのきり)」の紋が入っていました。  義満さすがに凝るなぁと思ったのですが、この雨樋は大正時代に設けられたらしい (苦笑)
 なお、この「五七の桐」紋は庫裏の丸瓦などにも刻まれていました。
 
 
  
   


 写真を拡大してこんなところまでして取り上げると、もっともっと目立つこちらの鎖についても触れないわけにはいけませんね。
 
 この鎖は ?

 

 鳳凰の載る露盤、その下の露盤台から柿 (こけら) 葺きの屋根上に垂れ下がっている鎖が気になりますね。   
 
   
 この鎖は何のためにあるのでしょうか。
 この鎖について書かれているものは見当たらなかった。  
 なので他の寺院にあった鎖の説明書きからなのですが、これは防火やメンテナンスのときに必要なモノらしい。
 その気になれば、この種の屋根の鎖は他の寺院でもけっこう多く見かけますね。
 これは近くで火事があったとき延焼を防ぐために、鎖の垂れ下がった場所の屋根に梯子を掛けて登り、鎖を手繰って屋根のてっぺんまで登って上かに屋根に水を撒きます。
 何しろ、柿葺きは小さな木片の集まりなので火の粉に弱い、火の粉がが飛んでくると燃えやすいものです。  当然ながらまだ消火栓も消防車もない時代です。 
 上から水を撒いて湿らせて類焼しないよう食い止めるのが精いっぱいの対応だったと思います。  
また、メンテナンス時の足がかりとしての役目もあります。
 寺院の屋根は勾配がきついため、鎖を手繰って命綱代わりにして屋根に上がり補修を行うのですね。


 以上。  金閣寺に行かれても、まずあまり気にかけられない、ある意味どうでもイイ様な事にあれこれこだわってみました (笑)  


   おまけ
 金閣の正面は、どの面かとの声が、これは「究竟頂(くっきょうちょう)」と書かれた扁額が掲げてある側です。
 なので、先ほどの正面からは雨樋は見えない様になっているとは、この扁額が見える側から見ることです。
  
 
 
   

 因みにこの扁額の初代のものは第 100 代・後小松天皇(北朝第6代天皇・南北朝の合一による最初の天皇)の宸筆 (しんぴつ) であったと云われています。
 なお、この扁額についても、鳳凰と同様に昭和 25年の放火事件の際には修理のために取り外していて難を免れたという情報もありました。


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