超スローカーブ

更新が遅れても仕方ないと予防線を張ったつもりの、私ことブリダイが世相や身近な出来事について斜め切りしたごった煮

蔵の窓扉

2015-03-29 03:32:01 | 古きもの
 写真は五箇荘町を訪れ、通りを歩いていて見かけた
何処のお屋敷の蔵の窓です。

   

 多くの蔵造り建物の窓は写真のような重厚な観音開扉
(かいひ)になっています。
 蔵造りの外観で最も目を引くところのひとつです。
 窓の扉をよく見ていただくと、扉本体と建物側の枠は
階段状に細工が施されいます。
 これは閉じたときの密閉性を確保するための工夫です。
なので、この部分は左官職人の鏝(こて)さばき、腕の見せ
どころでもあります。
 乾燥すると収縮する土や漆喰を狂い無くうまく合せる
高い技術がないと出来ない技なのです。
 今の技術で、耐火とか密封をするのなら、何か別の
物を使って行うのでしょうが、当時の左官職人さんが
いかに自分の技術を生かして、耐火や密封それに防犯に
まで挑戦されたかがわかるようですね。
 蔵には、家財や家宝だけでなく、この蔵を造られた
職人さんの知恵とワザまでが詰まっている感じですね。
 当然ながら、蔵の入口の扉にも同じ様に階段状の細工が
施されています。
 このようにして、蔵は密封して内部の温度と湿度を一定
に保ち、中の家財や家宝を大切に守っているのです。
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なぜ渡月橋はあの濁流に耐えられたのか

2015-03-13 16:20:54 | 古きもの
   11日は、「東日本大震災」からすでに丸4年目でした。
月日の経つのは早いもので、こちらもすでに1年半になります。

 2013年9月の台風18号で京都・嵐山の河川があふれ、名勝の渡月橋が今にも流されそうになったテレビ映像はご記憶の方も多いことでしょう。
 もし、渡月橋が流されていたら、渡月橋がないと嵐山は絵にならないでしょう。こうなると嵐山は1~2年は立ち直れなかったのではないかと思います。
 写真は1ヶ月後の10月に訪れたときの、渡月橋です。
 檜でできた橋桁隠しが無残な姿になっていましたが、渡月橋は無事だった。

   

 嵐山のシンボル、生命線とも云える渡月橋は台風のあの洪水に流されなかった。
 逆に云うと、なぜ渡月橋はあの濁流に耐えられたのか。

 渡月橋を写真のように遠くから眺めると、木製の橋のように見えます。

   

 ヒノキでできた欄干や橋桁隠しの飾りがあることや、昔の木橋のイメージが出るように橋脚もほっそりと造られ、その間隔も約10㍍と短く配置されていて木橋の風情を損なわない工夫が施されているからだと思います。

   

   

 しかし実際は、橋脚や路面は鉄骨鉄筋コンクリートでできています。
 「渡月橋」と云う景観や観光目的で付けられたような優雅な名前の橋ではありますが、橋長は 155㍍  幅は 11.2㍍の大きさで、 観光客だけでなく、市バスや大型観光バス、自動車がジャンジャン通る立派な京都府道29号線の一部であります。
 このため頑丈に造られていて当然といえば当然のことなのです。
 だが、コンクリート製の橋だから濁流に耐えたという単純な答えではありません。コンクリ橋でも濁流にのまれて崩れたと云う話しは台風のニュースなどでみることがあります。

 それでは、渡月橋はなぜ生き残ったのだろうか。
 地元の新聞に記事がありました。「流木止め」と呼ぶ、橋の上流側に立つ7本のコンクリート製くいが、濁流で続々と流れてくる大木や岩をせき止めて脚橋への衝撃を和らげていたとのことです。
 この殊勲甲の「流木止め」写してきました。

   

 この流木止めが「身代わり地蔵」の役目をした、実際何本かは損傷したようなので、立派にその役目を果たしたと云えます。
 昭和30~40年代にこの桂川はたびたび洪水を起こしていたようで、国や自治体が堤防や川床を改修するときに、橋の上流の川底にコンクリート製、橋脚様の「流木止め」と云う杭7本が打ち込まれた。
 これにより、上流より流れてくる流木が脚橋間を塞ぎ、橋がダムとなって橋自体を破壊し、流出することを防いだとみられています。
 とは云え、渡月橋自体も頑丈な造りであったことは、云うまでもありません。実際、鉄筋コンクリートの脚橋には鋼板を巻いて補強もされています。
 私の勝手な推測ですが、4本1組の脚橋だけでなく、その両側に斜めに立てられている支柱なんかも十分頑張って支えていたのではないかと思っています。
 
 何はともあれ、建造から約80年もたった一見華奢(きゃしゃ)に見えるが、しなやかさを備えた渡月橋は残り、台風が通り過ぎた翌日の 午後には、はや人も通れるようになった。
 この裏には、先人たちの知恵がいっぱい詰まっていたからだろうと思います。
 
 因みに、この「流木止め」は「渡月橋」だけでなく、宇治市の宇治橋、時代劇の撮影によく使われる通称 "流れ橋" の「上津屋橋(こうづやばし)」、伊勢神宮の内宮の参道口にある宇治橋など、いずれも昔の由緒ある美しい木製の橋に設けられていさるそうです。
 一般には渡月橋の架かるこの川は桂川と云われていますが、地元では渡月橋が架かる川は、「大堰川(おおいがわ)」と呼び、その上流が保津川下りで知られる「保津川」、そして渡月橋より下流を「桂川」と呼んでいます。
 一本の川ですが呼び名が変わります。さらに桂川はその後、鴨川、木津川、宇治川と合流して淀川となり大阪湾に流れます。

 大堰川に橋を架けられたのは、平安時代で法輪寺を中興した僧、道昌(どうしょう)で、法輪寺の門前橋であったことから「法輪寺橋」と呼ばれていました。
 鎌倉時代には貴族の憩いの場となり、亀山上皇が満月の晩に舟遊びをされ、月が橋を照らす様をめでて、月が橋の上を渡るように見えることから渡月橋と名付けたとされています。
 たび重なる水害や応仁の乱での焼失などを経て、江戸時代に京都嵯峨の豪商、角倉了以(すみのくらりょうい)の保津川開削にともない100mほど下流となる現在の位置に橋を架けかえられた。

 昭和初期まで木製の橋だったが、1932年の洪水で橋の半分が流失したため、1934年(昭和9年)に今ある鉄骨鉄筋コンクリート製の橋として完成しました。

 余談ながら、京都には“渡月橋を渡り終えるまで、後ろを振り返ってはいけない”という謂れがあります。
 法輪寺は渡月橋の西にあり、京都だけでなく関西では十三詣り(じゅうさんまいり)のお寺として知られています。

   

 十三まいりとは数え歳で13歳になった子どもの、大人の仲間入りを祝い心身ともに健康であるようにと祈り願う行事です。
 全国的には七五三ほどは一般的でないようですね。
 法輪寺に参拝し知恵を授ける祈祷をしてもらった帰りに後ろを振り向けば、「せっかく授かった知恵が舞い戻ってしまう」という京都では有名な言い伝えです。
 現在も十三詣りした子どもたちが真剣な表情で渡月橋を渡っているようです。
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ねずみ返し

2015-03-08 03:02:06 | 古きもの
 

 「啓蟄」もすぎ、一雨ごとに春は近づいているようですね。
ほぼ1ヶ月前の寒いころに「忍び返し」を投稿しましたが、今回は「ねずみ返し」です。
 
 前回、アップしたところと同じ、近江商人発祥の地、五個荘金堂町ですが、箱階段の「外村繁邸」ではなく、となりの「外村宇兵衛邸」の蔵に置いてありました。

   

 写真では、ねずみ返しの板が見学者の通行の邪魔になるので、隅に押しやられていますが、実際は蔵の入り口に置かれます。
 これだけの事で、ネズミが入りにくいとのことでした。
ねずみは直進して障害物に当たれば向きを変えるそうです。
 
 この「ねずみ返し」という仕掛けは、形は違いますが、大昔の弥生時代からあったのです。
 それは「登呂遺跡」の復元された高床式倉庫を見ると、床を支える柱の部分に平たい皿のようなモノがあります。

   

 これが「ねずみ返し」で、この皿の大きさは50センチ程もありけっこう大きなものが付いています。 
 クマネズミのような木登りが上手なねずみが登ってきてもこの
「ねずみ返し」を設ける事でねずみはこれ以上登れないのです。

 日本の先人たちは、ネズミの習性を知り、その対策についてまでも弥生時代から行っていたのには驚きです。
 この「ねずみ返し」から、はるか大昔の弥生時代から人間とねずみの熱い戦いがすでにあったことが窺えますね。

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箱階段の魅力

2015-03-03 21:23:54 | 古きもの
 昨年秋に訪れた、近江商人発祥の地とされている、五箇荘金堂町の「外村繁邸」にありました。
 江戸時代の初め、狭い町屋に登場した「箱階段」ですが、こちらは明治の中ごろに建てられた立派な豪邸の居間ですが、周囲に溶け込み、なおかつ存在感あふれていました。





 どこかの旧い建物を見学された折にご覧になられたことがあるかと思いますが、箱階段は写真の様に階段が「箱」、つまり階段の下の空間を有効利用する目的で、抽斗 (ひきだし) や戸棚を取り付けた箪笥です。そして収納部分が段々に作られていて階段の役割も兼ねています。

 箱階段を現代に利用するのは難しいかと思っていたのですが、近年のテレビ番組「大改造!!劇的ビフォーアフター」で匠が、 少しのスペースでも有効に利用したいと、この箱階段を現代風にうまく取り入れているのを見ることがあります。
 細々(こまごま)とした収納を暮らしに生かしたアイデァとして、いつも感心して見ています(笑)
 特に居間に階段があると、階段下の部分は、日々の暮らしに密着した便利な収納処となり、このスペースをうまく箱階段として有効に活用してきた先人たちの知恵がしのばれますね。

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