「啓蟄」もすぎ、一雨ごとに春は近づいているようですね。
ほぼ1ヶ月前の寒いころに「忍び返し」を投稿しましたが、今回は「ねずみ返し」です。
前回、アップしたところと同じ、近江商人発祥の地、五個荘金堂町ですが、箱階段の「外村繁邸」ではなく、となりの「外村宇兵衛邸」の蔵に置いてありました。
写真では、ねずみ返しの板が見学者の通行の邪魔になるので、隅に押しやられていますが、実際は蔵の入り口に置かれます。
これだけの事で、ネズミが入りにくいとのことでした。
ねずみは直進して障害物に当たれば向きを変えるそうです。
この「ねずみ返し」という仕掛けは、形は違いますが、大昔の弥生時代からあったのです。
それは「登呂遺跡」の復元された高床式倉庫を見ると、床を支える柱の部分に平たい皿のようなモノがあります。
これが「ねずみ返し」で、この皿の大きさは50センチ程もありけっこう大きなものが付いています。
クマネズミのような木登りが上手なねずみが登ってきてもこの
「ねずみ返し」を設ける事でねずみはこれ以上登れないのです。
日本の先人たちは、ネズミの習性を知り、その対策についてまでも弥生時代から行っていたのには驚きです。
この「ねずみ返し」から、はるか大昔の弥生時代から人間とねずみの熱い戦いがすでにあったことが窺えますね。
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