前回の車石のブログのなかで、鉄道ができるまでは、びわ湖の湖上輸送が主力で、これには「一番丸」が活躍したと書きました。
今回はこの「一番丸」です。
記録によると、明治2年(1869年)に写真のような外輪蒸気船
「一番丸」が海津~大津間就航しました。
まだ東海道線が全通していなかったころです、まず琵琶湖に蒸気船の時代が先に到来しました。
これは湖国の人々に江戸時代から明治時代への近代化の幕開けを実感させる大きな出来事となりました。
一番丸は当初は大聖寺藩が運営し、その後大津町人をはじめ湖国の人々の手にゆだねられるなどの変遷はありましたが大成功であったようです。
ところが、明治22年に東海道線がびわ湖東岸を全線開通したことにより、20年間のその役割を終えたと云われています。
かつて多くの人々に愛され親しまれた蒸気船「一番丸」は今、復元されて、外輪汽船「一番丸」として新たに就航しています。
現在は「リバークルーズ 一番丸」として歴史と文化あふれる石山、瀬田川畔を遊覧しています。
あの広重が描いた「近江八景」のなかの「瀬田の夕照」や「石山の秋月」の舞台を、昔懐かしい「一番丸」に乗り、その船上から眺めるその景色は、まるでタイムスリップしたかのような感動を与えてくれるものと思います。
観光でこちらにこられたら、この「一番丸」で心に残る瀬田川の船旅をお楽しみください。
今回はこの「一番丸」です。
記録によると、明治2年(1869年)に写真のような外輪蒸気船
「一番丸」が海津~大津間就航しました。
まだ東海道線が全通していなかったころです、まず琵琶湖に蒸気船の時代が先に到来しました。
これは湖国の人々に江戸時代から明治時代への近代化の幕開けを実感させる大きな出来事となりました。
一番丸は当初は大聖寺藩が運営し、その後大津町人をはじめ湖国の人々の手にゆだねられるなどの変遷はありましたが大成功であったようです。
ところが、明治22年に東海道線がびわ湖東岸を全線開通したことにより、20年間のその役割を終えたと云われています。
かつて多くの人々に愛され親しまれた蒸気船「一番丸」は今、復元されて、外輪汽船「一番丸」として新たに就航しています。
現在は「リバークルーズ 一番丸」として歴史と文化あふれる石山、瀬田川畔を遊覧しています。
あの広重が描いた「近江八景」のなかの「瀬田の夕照」や「石山の秋月」の舞台を、昔懐かしい「一番丸」に乗り、その船上から眺めるその景色は、まるでタイムスリップしたかのような感動を与えてくれるものと思います。
観光でこちらにこられたら、この「一番丸」で心に残る瀬田川の船旅をお楽しみください。