松沢顕治の家まち探しメモ

「よい日本の家」はどこにあるのだろうか。その姿をはやく現してくれ。

鮎よろし・・・・・嵯峨鳥居本

2014年06月22日 21時26分46秒 | 日記
大阪での仕事が終わり夜遅くまで飲んだ。翌朝早くにビジネスホテルを発つて、京都・嵯峨嵐山に向かった。駅を出てめざすのは鳥居本地区。緩やかな坂をのぼった。時間が許すかぎり歩く。そのほうが新たな発見もある。それになんといっても空腹になるから、あれこれ食えるし、うまい。一石二鳥だ。

新しい住宅がならぶが、景観に嫌味がない。ブロック塀などない。生垣や板塀・土塀。自然素材を使っている。色も周囲に配慮してある。そうかといって豪邸というわけではない。不動産業者が分譲し、そこに2000~3000万円台の住宅を建てているケースがほとんどのようだ。中間層の住宅街がこれほどしっとりした町並みをつくっているのは、やはり行政が建築規制をしているからだろうか。さすがは京都だ。

噴き出す汗をぬぐいぬぐい歩いていると、鳥居本集落に到着。さらに少しのぼるとひんやりした山道になる。突然赤い鳥居が登場した。その両隣に茅葺民家風がふたつ。「鮎司平野屋」と「鮎の宿つたや」。平野屋は江戸初期より茶店を営んできたという。なぜこのような山奥で経営が成り立ったのか。


平野屋HPより

その答は鳥居の奥にある愛宕神社だ。全国400社の総本山・愛宕神社が火防の神として多くの参詣客を集めたのだ。愛宕神社の一の鳥居のもとに茶店ができたのは自然のなりゆきであった。平野屋もつたやも集客は他人任せにして商品開発と接客に専念でき、繁盛してきたにちがいない。


つたやHPより

平野屋の歴史をみると、鮎問屋を営んできたようだ。しかしと思う。鳥居本を流れる川は細く、とても鮎を大量に供給できるような川ではない。往時の鮎の流通を考えてみなければいけない。資料はとぼしいが推測してみよう。