※多摩労務管理事務所への裁判闘争
3月29日、多摩労務管理事務所への裁判闘争が原告の主張が全て認められたかたちで、完全勝訴判決を勝ち取りました。
詳細は、追ってご報告致します。
これまで私達の裁判闘争をさまざまな形で支えて下さった皆様にまず感謝を申し上げます。
Union No.6 からのメール
「声上げたら解雇」は許せない!〜「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
講演資料25
※多摩労務管理事務所への裁判闘争
3月29日、多摩労務管理事務所への裁判闘争が原告の主張が全て認められたかたちで、完全勝訴判決を勝ち取りました。
詳細は、追ってご報告致します。
これまで私達の裁判闘争をさまざまな形で支えて下さった皆様にまず感謝を申し上げます。
Union No.6 からのメール
講演資料25
新型コロナウイルスのワクチンを接種したあとに亡くなった人の遺族でつくる団体が、厚生労働省で会見し、予防接種法に基づいた健康被害の救済制度の認定を、速やかに進めることなどを国に求めました。
新型コロナウイルスのワクチン接種をめぐっては、副反応で健康被害が出たり死亡したりした場合、予防接種法上の救済制度の対象となり、接種との因果関係が否定できないと国が認定した人には、医療費や死亡一時金などが支給されます。
9日の会見には、おととし10月に、当時36歳の夫が2回目を接種した3日後に亡くなり、先月、救済申請が認められた須田睦子さんらが出席しました。
この中で須田さんは「夫が亡くなってから、当時、おなかの中にいた娘と上の子3人を育てていけるのか、不安の中で毎日を過ごしていました。接種の中止が一番の思いですが、せめて同じ不安を抱えている多くのご遺族の迅速な救済を望みます」と訴えました。
このあと団体は、救済制度の認定を速やかに幅広く進めることや、ワクチン接種後の突然死などについて、国が研究を進めることなどを求める要望書を、厚生労働省に提出しました。
救済制度には、先月10日時点で6219件の申請があり、死亡30件を含む1622件が認定されていて、厚生労働省は「審査の回数を増やしており、できるだけ迅速に対応していきたい」とコメントしています。
鳥インフルでの殺処分は適切なのだろうか??
国連改革!!拒否権廃止を!!
あの日本の侵略戦争を反省し作られた憲法9条を、順守すれば、軍事費ゼロ!!戦争をしないように全力で取り組む姿勢を全世界に示す!!【天皇制再考、軍人恩給廃止、戦争被害者(外国も含む)への補償、外交力強化!!】
憲法9条
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
だから、本書は、731部隊全般について取り上げ3千人以上ものマルタと呼ばれ残酷な人体実験の犠牲者の非業の死という側面を情緒的に描いているわけではない。川村さんは一市民として陸軍軍医学校と「731部隊」に関心があり、知りたいと思ったことを調査し、まとめたのがこの論考であると述べているが、ドイツ留学中の石井四郎と宮本百合子の接点から石井の欧州での動向や石井部隊の初期の研究施設の調査など、一市民ではなしえない研究ではある。この綿密な解析と解明には「人骨の会」のメンバーとしても脱帽ものである
川村さんはまた「731部隊」の実態を検証して思ったことは、「731部隊」というのは細菌戦という特別な目的を持った特殊な部隊で、陸軍軍医学校から派生した「細菌戦部隊」であった。その本質は「軍陣衛生学」にあると述べている。私たちは今また戦争になった時、医学者に限らずそれぞれのスペシャリストが暴走するのをどうやって止めることができるのだろう。
1989年に発見された人骨は発見されたときは「人骨」だったが、廃棄されたときは皮膚や目や脳がある肉眼標本だった。その前は生きていた人間であった。川村さんは本書のあとがきで「私たち人骨の会はこの人骨を『遺骨』として扱い、できうる限り真相を調査解明し、身元確認を行なうことで不本意な思いで標本とされた人々を遺族の許へお返ししたいと考えている」と書いている。事実の検証から見えてくるのはその残酷性である。
放射能の影響を考えよう!!
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展
なぜ、こんな危険な原発を、全国にたくさん作ってしまったのか??それも運転期間延長で60年超も??自然環境にやさしいエネルギーの活用ができないものか!!
5、年を取って字を忘れてしまったのが、多いので「ひらがな」で勘弁して下さい。
私は、終戦6歳でした。住まいは浅草で、4歳から母の実家埼玉県杉戸町に預けれらました。3月10日の大空襲の時、夜中に母の弟に起こされ、「東京が燃えているぞ」と言われました。その2か月後ぐらいの午後その家の庭に焼夷弾が落ち激しく燃えが上がるのを見ました。父は出征し、浅草には母、姉、妹と女3人残っておりましたが、何とか逃げ延び助かりました。父も帰国し、農家の納屋を借りて過ごし、昭和23年2月に浅草に戻りましたが、東武鉄道浅草駅から見た町は見渡す限り焼け野原で、バラック建てがぽつぽつあるだけでした。
今日は、たまたま図書館へ来て、この展示会を知り、時間の合間わずかですが、拝見し、大変貴重な資料だと思いました。
私の年代が、戦争を実際に経験している最後の人間になると思います。私も何かしなければと思いながら、とうとうこの年になってしまいました。もっと大勢の人が見に来られるよう、PRをよろしくお願いします。(51歳以上、83歳、市内、図書館に来て)
★新宿戸山の陸軍軍医学校跡地から見つかった人骨についての番組を見たい方は
下記のギガファイル便をダウンロードしてください(4月26日までダウンロード可能です)。
桜の下に眠り続ける死者たち
https://81.gigafile.nu/0426-f28efe24152e71e1bbe5a9daa5171a2b4
2022/10/22 清水さん宅
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村
731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。
「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。
清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・
久保田昇さんが熱く語る元731部隊員の証言(以下のビデオ:30分辺りから)
飯田市平和祈念館資料室
飯田市平和祈念資料室
福島第1原発関連動画
放射能はこわい!!
MISA My Fish is your Fish - YouTube
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
大牟田の慰霊碑(裏)
(碑文)
「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」
わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)
この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。
日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業
北宏一郎(化学兵器被害解決ネットワーク)
資料4
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
資料・731部隊細菌戦裁判第1審判決全文
被告の主張 (別紙4)
第3 法令11条により準拠法となる中国民法に基づく請求について
2 法令11条2項による国家無答責の原則の適用について
(2)原告らの主張に対する反論
イ 判例の解釈に関する主張について
(イ)しかしながら、原告らが挙げる大審院判決のうち、国の損害賠償責任を認めた判例は、国の非権力的作用(この中には、①非権力的・非強制的な公行政の作用〔例えば、国・公立学校における教育活動の作用や生活保護などのいわゆる給付行政の分野における作用〕など、②公の営造物の設置・管理の作用、③工事の施工〔国の道路建設など〕や事業の経営〔鉄道・バス・水道・電気・ガスなどの事業の経営〕の作用、④純然たる私経済的作用〔例えば官庁事務用品の購入・官庁建物の賃借〕などが含まれる。)に関する事例である。大審院の判例は、非権力的作用に基づく損害についての私法の不法行為法の適用範囲を拡大し、国の責任を肯定していたが(佐藤功・憲法(上)〔新版〕274、275 頁)、権力的作用(国の統治権に基づく優越的な意思の発動としての強制的・命令的作用)に基づく損害については、一貫して国の賠償責任を否定していた。
なお 原告らの引用する大審院昭和7年8月10日判決(大民新聞 3453号)も、傍論として 不法行為責任を論じたものであり、国の権力的作用について正面から民法の不法行為責任を認めた事案ではない。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
五月二一日
晴 風なし 中隊長の風向き悪く 訓示的なお乞言あり。
今日は中隊長の訓示的なお乞言あった。中隊の勤務者を全部集めた訓示である、多分菅野の報告の為と思ふ。まず最初は分遣隊の服務についての事 その一は前期兵の満期風を吹かせる事についての事、分遣隊の服務が非常に悪くむしろ出鱈目になっている事は 非常に残念でならない。中隊長の許していない本を読むとか、行きべき所に行かないとか色々言っていた。又満期兵には今から満期風を吹かしていることは非常に間違っている。よろしく緊張してやらなければいけない。・・・へ、勝手に致すがよいや
ああ、あの朝
えたいの知れぬ閃光と高熱と爆煙の中で
焔の光りと雲のかげの渦に揉まれ
剥げた皮膚を曳きずって這い廻り
妻でさえ子でさえ
ゆきあっても判らぬからだとなった
ひろしまの人ならば
此の影も
記憶の傷に這いずって
消えぬものであろうに
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
731部隊破壊と証拠隠滅作業
ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない
篠原鶴男(しのはらつるお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたもの
部隊での生活
更にどの位の人数で入るのかと聞いたところ、「そう広い部屋ではないから、3、4名ほどだ」、という事でした。「腸チフスの菌を“マルタ”の横腹に注射する。メスを執刀する人、時間を計る人がそれぞれいて、細菌を注射してどのくらいの時間で脱水状態に陥るのか、どの位で死亡するか、そうしたことを細かく記録していくのだ」という事でした。むごたらしいことをするなあと思いましたが、これは日本陸軍という1つの組織の中で行われることで、ここに入った以上は諦めなくちゃしょうがないと、その時は思いました。
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明 (2004年発行)
Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始 1937―1938
2 武漢攻略作戦
毒ガス作戦の発動
中支那派遣軍「武漢攻略戦に於ける化学戦実施報告」(以下「実施報告」と略す)により毒ガス戦の実態を見てみよう。中支那派遣軍は、8月中旬、武漢攻略作戦での嘔吐性ガス(あか弾・あか筒)と催涙ガス(みどり筒)の使用命令を発した。これを受けて、東久邇宮第2軍司令官は、8月16日、隷下各師団長に対して「本次作戦間師団長は適時特種煙を使用すべし」と命令し、使った場合は詳しい報告書を出すよう求めた。また、岡村第11軍司令官も、8月21日、「特種煙」使用を命令した。ここでいう「特種煙」とは嘔吐性ガスと催涙ガスのことである。