細菌戦の系譜!!

2020-09-24 08:19:12 | Weblog

 

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中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

 

 



隠された毒ガス兵器

 
小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

 

 

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

 

  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するのか?" rel="noopener" target="_blank">関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの style="font-size: x-large;">  

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)

 

           被服支廠キャンペナーズと喋ろう
 
                 【日航機墜落事故の真相】

 

 

 

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)



 
 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-09-24 08:17:50 | Weblog

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

 

NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日

 

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

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検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

 

 

 

 

 

第4章  伝染病研究所と「実験医学雑誌」の雑報


狂気の医学

 

式辞が出てこなところをみると、式辞の内容はだれが見ても決して公にはできないものと判断できる。この式辞では、 「満州国衛生技術廠、七三一部隊、 同仁会中国支部」の現状と、今後の展望について話したのかも知れない。

 1940年に、伝研に大事件が起きた。それは1031日、助教授選考のための臨時主任会議において、作業に関係している部を軽視している傾向がないか、今まで放任してきたのは無責任である、私事や情実は不可などという 意見出された。

 翌11月1日も同じ会議が連続して開かれた。協議に入ったところ、突発事件が起こって議事が混乱し、3日後所長から辞任の申し出があった。  

 この突発事件の内容は不明。福島伴次が「宮川の娘婿、岡西順二郎追い出しの一幕で、あまりにも悲しく語るに忍ない。」と書いているが、真相はわからない。

 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

埋もれた細菌戦調査書

 

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●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

中国の記者が見た判決公判見聞録 

會海波(湖南経済テレビニュースセンター記者)

 

原告団と弁護団の記者会見

   もう1つの判決理由は「国家無答責」という理由であった。即ち国家作用によってもたらされた損害については、民法は適用されないというものである。土屋先生の話によると、「国家無答責」は明治時代の四方解釈だが、法律上では具体的には規定されていないということである。このように日本の裁判所の判決は、時代遅れの条理に適わない結論で、到底適法な判決であるとは言えない。一方弁護団の主張は時代の流れに適った、法律的にも充分根拠があるものであり、控訴審で一審判決を覆すことが出来ると思う。

 その後原告代表の王選さん、弁護団団長の土屋先生、常徳原告徐万智さん、常徳支援団団長蒯定勛さん、東京女子大学教授聶莉莉先生らは、外国特派員記者クラブの招きに応じて記者会見を行った。この記者会見は世界の有名なマスコミ各社の東京駐在記者のために特別に行った記者会見であった。記者会見は1時間ほど行われた。

 

 


 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

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細菌戦の系譜!!

2020-09-24 08:16:34 | Weblog

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 

 



 

二月十一日

朝 風なし 晴 暖か 零下十四度 紀元節 市街戦あり 重機編成 気合をかける

今日は日記に示す通り紀元節だ 普通ならば日夕点呼至外出できる日だ 悲しいかな大隊命令 外出禁止なら是非もなし 最も僕は当番だから同じことだが 今日の午前中はこの佳日を記念する為に ある情況(上図の如く)の元に市街戦が二ヶ中隊で実施せられ 勤務中ながら臨時交代して古き戦友と共に一個分隊の重機関銃を編成し 此の演習に加わった。市街戦は本当に辛がしい 然し気合は十分入る

 

●パネル展「戦争の加害」感想(2020年7月27日~31日)

 6.どうしたら子どもたちに平和を大切にする気持ちを育てられるか。―戦争の悲惨さだけでなく、(被害の歴史、加害の歴史)を伝えたいと思っています。そのためには、まず自分が学ばないと。私自身ここにあったパネルの事実をほとんど知りませんでした。貴重な資料とスタッフの方の説明が大変ありがたかったです。継続してほしい取り組みです。ありがとうございました。

(女性、50代、千葉県、チラシ、友人)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 


 
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

1  広島への最初の旅

 

 

 

 

 

 すべての理事たちが次第に疲労感に満ちた沈黙に再び陥る。僕は懇談会を後にして階段を下りてゆく。1階ロビーは混雑し始めている。地方からの参加者たちが、代表として登録し分担金を払い込むためにそこにやってくるのだが、担当常任理事会が行き詰まっていては受入体制が動き始めることもできないからだ。参加者たちは輪になってしゃがみこんだり、かたまってゆっくり歩いたり、歌の練習をしたりしている。確かに横須賀の理事の言う通り、彼らは陽気で屈託ない。彼らと安井理事長、秘密会議の人々、つんぼ桟敷で待つ理事たち、それらの間に幾通りもの断絶があるように感じられる。やがて大会が開会式にこぎつけるにしてもこの断絶はどのように埋められるのか?平和公園は陽の光のさなかで空虚だ。2万名の参加者たちによってあふれかえるはずのその場所の空虚を眺めながら僕は茫然とする。

 

 

 

 

 

 

 
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細菌戦の系譜!!

2020-09-24 08:14:34 | Weblog

日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

ノミの大量生産

細菌の毒力試験の生体実験を行った

 

篠塚良雄

731部隊・少年隊

 

 

731部隊へ

 

5月12日、私たちは中国の平房に転属になりました。ハルピンに着いてまず連れていかれた所が「吉林街分室」でした。ここは731部隊の連絡場所のような役割を果たしていた出先機関です。吉林街というのは、ロシア風の建物がずらっと建ち並んでいる街でした。その中でも一段と頑丈そうな建物がこの分室で、隊員が他の人たちと接触したり物を購入したり、またある時には実験に使う人たちを監禁するための連絡などを行っていたようであります。

 

 


・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

 

 

今中俊雄供述書(1954年9月16日)

 

問:大連憲兵隊警務係で伍長の任にあった期間の犯罪行為について述べよ。

答:1943年10月、戦務課内勤曹長として、平田曹長と共に抗日地下工作員沈得龍らを逮捕する計画を起草した。逮捕の執行にあたっては、逮捕隊隊長として、部下を指揮して沈得龍の妻及び隣人8名を逮捕し、翌日にも再び部下を指揮して大連市近江町の呉宝珍の妻を逮捕した。どう処理するかを検討する際、石井部隊に送ることを提案、また憲兵隊長名義で報告書をしたため、関東憲兵司令官三浦中将の裁可を申請して、同年11月末、沈得龍、李忠善、王耀軒、他1名の共産党員を石井細菌部隊に送った。

(1)119-2、798、1、第4号

 

 ●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

 

 

6 日本海軍の毒ガス研究

 

細菌兵器の研究

 

最後に、相模海軍工廠での研究は毒ガスにとどまらなかったことを簡単に指摘しておきたい。

海軍が細菌兵器の開発に着手した経緯はつまびらかではないが、1938年4月策定の爆弾の実験研究設備方針によれば次の2種類の細菌爆弾の開発が示されている(以下、前掲『日本海軍航空史』(3)制度・技術編)。まず、「七号通常〔爆弾〕」は、重さ30ないし60㎏で、「艦船及び陸上掩蔽物内部に細菌を散布しその伝染力及び致死力をもって戦闘力を喪失せしむ」ることとし、要求性能として、「細菌は伝染力及び致死力極めて大にして潜伏期短く防疫困難なること」や細菌は急速に大量培養が容易であること、細菌を死滅することなく広範囲に撒布すること、などを提示している。また、「七号陸用爆弾」(重量未定)は、「陸上(水上)に細菌を散布しその伝染力致死力をもって戦闘力を減殺すると共に敵国民をして戦意を失わしむ」るとし、大量生産が急速かつ容易に行えるとこととしている。後者の爆弾では交戦国の国民に戦意を喪失させることも視野に入れているのが注目される。


 


 
 

 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず

 

苦しかった過去を回顧する、忘れ難い調査

 

崔先生は化学の教師だったから、私たちにマスタードガスの持つ性質や被害状態を詳しく話してくださったが、これは私が知っている被毒状態と一致する。

「その時、8人が被毒したが、あの最初に1口飲んだ人はその日の内に死んだ。私たちは病院に運ばれたが、何等有効な治療の方法もなく、火傷として治療されたが、その痛さは何とも形容できぬ程であった」と、回顧された。

 崔先生は夫人の手を借りて、上着を脱いで左手、左腕等を見せて下さった。私たちは広い範囲にわたって痛々しい傷の跡を見たが、それはミカンの表皮のように荒く、右手にもやや小さい傷跡があった。

 

 


 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

糧穀の略奪

冷酷非情な取り立て

 

引地 章(ひきじあきら)

警察署長 警正

(略歴)

学歴 高等小学校卒業

所属 旧満国 図們警察署

年齢 54歳

 

 西方の村はずれの農家から始めた。林警尉の指揮する第1班は、第4戸目の中農の家構えのの中に入って行った。林警尉は、35,6歳と思われるここの息子や老婆と問答をしていた。息子は痩せた背の高い顎骨の出た男で、眼だけが光り、つぎはぎだらけの綿服を着て庭に立っていた。老婆は、2歳くらいの男の孫を抱えていた。

息子は、眼をキラリとさして、「去年の出荷は食料が足らなくて、地主から3割5分の現物利息を付ける約束で糧穀を借り、やっと返しただ。今年は8分作でやっと7割出したが、もうこれ以上出せねえ」と、言った。老婆も、「もう正月が来るのに、情けないこっちゃ。来年の春餅に食料はなくなるし、馬は痩せて働けなくなる。どうしてくれるか」と、なじるように言う。

「俺は、そんなことは知るもんか。出すか、出さんか返事しろ。出さんなら3か月分残して、あと全部、種子迄取り上げるぞ」息子は、暗い深刻な顔をして、黙って下を向いた。

  

 

 

 

 

 

 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

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細菌戦の系譜!!

2020-09-24 08:12:33 | Weblog

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

 

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

 現に、陸上自衛隊衛生学校の金原節三学校長は、1957年に発刊した『衛生学校記事』第1号掲載の学校長訓示の中で次のように述べていました。

 即ち、「対特殊武器衛生につきましては、これが将来戦衛生勤務における極めて重要な要素」になる旨を述べていました。

 このように自衛隊は、生物戦(細菌戦)を想定した軍事的な準備の重要性を認識し、戦前の日本軍731部隊の実績の継承を意図していたことが明確になっています。

 他方、陸上自衛隊化学学校は1959年から『化学学校記事』を刊行し、毒ガス戦部隊を設ける準備を行なっていました。

 

DEMO RESE TV「731部隊の真実part1」

 

 
・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

 

二 生物・化学兵器と階級的視点

 

生物・化学兵器の効果についての報告書(大要)

1969年7月2日

新発見により脅威増大

1、特に生物兵器の特筆すべき性質は、ある環境の下では、その効果が予測できないほどのものになるという可能性にある。環境及び気象条件、あるいは使用された細菌の種類によって、その効果は壊滅的なものにもなるし、取るに足らないものともなる。それは局地的なものとも、広範囲なものともなるだろう。生物兵器による攻撃を受けた軍隊が同種類の兵器で仕返しをしようとしまいと、攻撃をかけられた側ばかりでなく、先に使用した側にも影響を及ぼすことになろう。一般市民は軍隊以上の被害すら受けることになるだろう。生物・化学兵器の開発、入手、配置は防護問題は別としても、国によって差はあるが、経済的な負担となる。生物・化学兵器を手にしても、他の兵器の必要性をなくすことはできそうもないのである。

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 

 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

 

 陸軍は4条件を主張した。すなわち、第1が国体護持である。これについてはポツダム宣言とは別のものとして会議の参加者全員が考えていたことであった。第2武装解除と復員は大本営の責任で行う、第3が占領は行わない、第4が戦争犯罪者の処罰は日本政府に委任する、というものだった。陸軍は国体を天皇の統治権と同一視していた。戦犯の自主裁判を希望したのは、連合国は政治的な動機から日本軍部を告発するために裁判を利用するだろうと信じていたからである。そのため、陸軍の指導者は、第1次世界大戦後に占領されず、戦犯裁判も受けなかったドイツとまったく同じように、先手を打って自国で裁判を行うことで国際法廷が機能する前にこれを回避しようとしたのである。 

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 

最悪の地球加熱装置

―原子力発電所

 

 

自然破壊の実態

 

 

 現代にある問題の大半は、工業化に伴う「消費量の増大」による、ブルドーザー的な自然破壊にある。地球上の人類の人口増加は、それ自体がとてつもなく巨大な問題である。

 先進国から日々吐き出される産業廃棄物は既に行き場を失って、経済後進国の奥地と近海を狙っている。我々は膨大な有害廃棄物を投棄する海賊行為を続けながら、自国の文明を享楽している。この汚染物が、地球規模の海洋汚染を引き起こしている。  

 

 

  

 

 

 

 

 

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

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細菌戦の系譜!!

2020-09-24 08:10:36 | Weblog

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 



核実験の禁止<o:p></o:p>

大気圏内で行う核実験は、大気中に放射性物質が飛散することになるため、これを禁止する国際条約が締結されることになった。1963年に、核実験を地下に限定する大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約(通称部分的核実験禁止条約:PTBT) が締結され、同年中に発効した。この条約には100ヶ国以上が調印しており、アメリカ合衆国及びソ連も批准している。フランスや中華人民共和国は署名していないが、後には大気圏内核実験を取りやめた。PTBT自体は、実験の規模や回数を制限していない。アメリカ合衆国とソ連は1974年に地下核実験制限条約(TTBT)を締結、1976年には平和目的地下核爆発制限条約を締結し、地下核実験における核出力を150ktに制限し、相互に検証することに合意したが、これらの条約の発効は冷戦終結後の1990年までずれ込んだ。<o:p></o:p>

地下核実験も禁止対象とする包括的核実験禁止条約 (CTBT) が提案され、1996年より署名が開始された。この条約は、発効の条件とされた特定の44カ国全てにおける批准が実現されておらず、2011年時点では有効な条約にはなっていない。また、臨界前核実験も CTBT では禁止されていない。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 



水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書


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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

 














 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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