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国の公式見解?変わるか!!

2009-10-28 16:51:03 | Weblog

「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!


日本政府の姿勢
これまで、越さんが証言し、また多くの731部隊員が公衆の面前で証言しているにもかかわらず、今のところ、日本政府の姿勢は以下の通り。何でこんな明らかな問題に事実を認める返事が無いのか?不思議でならない!!過去を隠したい?
 もはや昭和天皇に戦争責任がかかるのを恐れているとしか考えられない。

 メールを各機関に送っても何の返事も無く、口をつぐんでしまう。

今は政権交代したばかりで民主党は大変忙しいのか?
今後どのような返事が返ってくるか楽しみだ!!
 過去の問題にどう向き合うのか?今日本は借金を抱えて大変なことは分かる。
でも、歴史の闇に葬り去っていいのか!!今後の対応に期待したいところだ!!

 かつて小泉首相は、やたら、「未来志向」を強調し、過去を無視し続けた!!そして、公然と靖国に参拝し、アジアの国々から、猛然と批判を受けた。

 731部隊の被害者は3000人ではない。これは1941年~1945年までの川島清少将の証言だ。1941年より前に殺された人々は考慮されていない。思い出さねばならないのは、石井は人体実験を1932年に始めているということである。何百、おそらく何千と言う人々が、背陰河(ハイインガ)の冒険的事業で殺された。ほかにも、平房で1938年から1941年に川島が来るまでの間に殺されている。あと、731部隊の支部や石井の指揮下にはない(奉天・南京・長春など)の施設で殺されている。また、細菌戦の被害者・撤退後の疫病の発生での被害者を含めるとゆうに万の単位になるのではないか?

 これだけの犯罪行為をしたにもかかわらず、その隊員たちは裁かれること無く、戦後医学界で何人も出世を果たした!!
 その結果、医学界の体質は戦後も変わらず、ミドリ十字の「薬害エイズ事件」に代表されるいろいろな医療事件・事故が起きている。

国の公式見解 

731部隊について国会で取り上げられたことがある。
1982(昭和57)年4月6日、国会議員が「生体実験を行った731部隊の規模・配置状況」について質問したのに対し、厚生省(当時)は内部資料をもとに、部隊員総数(3599人)などを回答した。日本政府が公式に731部隊の存在を認めたのは、この時が初めてである。しかし731部隊の人体実験と細菌戦の実行については認めず、今もその態度を変えていない。さらにアメリカからの関係資料の取り寄せと、調査が要求されたが、外務省は拒否している。

東京地裁判決では細菌戦の事実認定をしている!!
 東京地方裁判所(民事18部 岩田好ニ裁判長)は、2002年8月27日、731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟(原告・中国人被害者180名)において、731部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部が、生物兵器に関する開発のための研究及び同兵器の製造を行い、中国各地で細菌兵器の実戦使用(細菌戦)を実行した事実を認定した。
 すなわち、判決は、「731部隊は陸軍中央の指令に基づき、1940年の浙江省の衢州、寧波、1941年の湖南省の常徳に、ペスト菌を感染させたノミを空中散布し、1942年に浙江省江山でコレラ菌を井戸や食物に混入させる等して細菌戦を実施した。ペスト菌の伝播(でんぱ)で被害地は8カ所に増え、細菌戦での死者数も約1万人いる」と認定した。
 さらに判決は、細菌戦が第2次世界大戦前に結ばれたハーグ条約などで禁止されていたと認定した。
 しかしながら、原告の請求(謝罪と賠償)に関しては全面的に棄却した。
 一方判決は、法的な枠組みに従えば違法性はないとしながらも、「本件細菌戦被害者に対し我が国が何らかの補償等を検討するとなれば、我が国の国内法ないしは国内的措置によって対処することになると考えられるところ、何らかの対処をするかどうか、仮に何らかの対処をする場合にどのような内容の対処をするのかは、国会において、以上に説示したような事情等の様々な事情を前提に、高次の裁量により決すべき性格のものと解される。」と指摘し、政府の対応を求めている。


資料は返されている?
・1986年、アメリカ下院の公聴会でアメリカ軍の記録管理部長が「731部隊の資料は1950年代後半に日本に返還されている」と語った。そして「資料は日本の外務省に返却され、その後、防衛庁の戦史室に移された」(日本の国会図書館の調査)。日本の戦争責任を明らかにし、過去の精算をするカギはまさに日本政府の手にあるといえよう。

以上「731部隊展  1993.7-1994.12」より
       発行日     1995年2月11日

(追記)
【もう1つ私自身に関する経験を具体例として示そう。1988年8月10日、アメリカのサンディエゴにおいて「科学、技術そして責任―日本の細菌および化学戦」というシンポジウムが行なわれ、筆者も講演者の1人として話をした。筆者は本書にも書いているように、石井部隊が中国で細菌戦を行なったこと、そして部隊では本当に人体実験が行なわれており、人体実験は日本の医学会では「公然の秘密」であったことを講演した。
 幸いこのシンポジウムは翌8月11日の「ロスアンジェルス・タイムス」にかなり大きく取り上げられた。アメリカではこの種の記事の場合、反対側のあるいは何かを言われた側の意見も聞くのが通例のようで、記者のリンダ・モンローはワシントンの日本大使館の広報担当のイマイ・オサムに取材している。イマイは次のように述べている。「日本政府は細菌戦の実験が行なわれたことを確認することも否定することもできない。日本政府はいわれている中国での実験についてなんの記録も持っていない。戦時中の記録はすべて廃棄されており、したがって私どもとしては知らないとしかいいようがない」。
 戦時中の記録はすべて廃棄されているわけではない。アメリカ軍は石井部隊に関しては膨大な資料を持ち帰ったが、1950年代の末あるいは60年代の初めに日本に返還したと言っている。これは1988年9月17日に下院で行なわれた公聴会において陸軍の責任者、ジョン・ハッチャー博士が明らかにしていることである。この公聴会は戦争中、奉天の捕虜収容所で、石井部隊員によって人体実験された、としている元アメリカ軍人の主張についての公聴会である。
 ハッチャーの証言は確認されている。公聴会後、日本の国会図書館が調査した結果、証言の資料は1958年に返還され、現在日本の官庁のどこかが保管していることが確認された。この他にも慶応大学その他に石井部隊関連の資料が保管されている。こうした状況での先のイマイのコメントは、意識的かどうかは別にして、嘘をついたことになる。外務官僚ですら見え透いた嘘、あるいは歴史の真実から目をそらそうとする態度の積み重ねが、戦争責任の問題についての国際的不信感を醸成しているのがまだ分からないのだろうか。】
(常石敬一著:「消えた細菌戦部隊」ちくま文庫:1994年版)

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731 部隊についての回答!

2009-10-28 10:31:26 | Weblog
現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解を10月に各機関にメールで問い合わせていたがその結果を公表しよう!!
 残念ながらというか、初めから予想できたというか、具体的な回答らしきものは全く無かった!!

メールでの問い合わせの内容は以下の通り。(10月8日送信)

件名: 731部隊について

内容:

1、○○は731部隊の存在についてどういう見解をお持ちでしょうか?

2、そこで行われた人体実験についての○○の見解はいかがなものでしょうか?

3、中国で行われた日本軍による細菌戦に対する○○の見解はいかがなものでしょうか?

 以上3点ご回答願います!!


(○○は問い合わせ機関名)

各機関の回答
1、内閣府(総務省)・・・回答なし(以下のメールがきた。回答のたらい回し)
こちらは、電子メールでご相談を頂いた総務省東京行政評価事務所です。
 △△がご質問されている事項について、当所では詳細を把握しておらず、政府見解を示す立場にはありませんので、お手数ですが、首相官邸のホームページにある「ご意見募集、FAQ」(http://www.kantei.go.jp/jp/iken.html)のフォームからお問い合わせいただくのがよろしいかと思います。
          総務省東京行政評価事務所行政相談課
              〒169―0073 東京都新宿区百人町3―28―8
                           新宿地方合同庁舎
          担 当:岡村一彦
T E L:03-3363-1100
  F A X:03-5331-1761
        (平日8:30~17:00以外は留守番電話対応となります。)
(こんなメールが来て早速首相官邸ホームページに送ったが、政権交代で忙しいのか、いまだ返事はもらえず!! 予想:今後も無視されるでしょう!)

2、外務省・・・回答なし
(マルタの収容施設として、ハルピンの日本領事館が使用されていたが!!)

3、文部科学省・・・回答なし(今の歴史教科書に載っていると思うのだが?載っていないのかな?)

4、防衛省・・・・・回答なし

5、厚生労働省・・・厚生労働省です。 ご質問を受付いたしました。
内容によっては回答までに時間を要する場合があることをご了承ください。
(回答)
厚生労働省ホームページをご利用いただきありがとうございます。
 返信が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
 さて、お問い合わせについてですが、援護行政所管部局に確認したところ、
 ご質問の内容については厚生労働省では所管しておらず、回答は困難とのことでしたのでご了承願います。
 お力になれず遺憾ではありますが、ご理解賜りますようお願い申し上げます。
(唯一、国の機関から回答がありましたが、他省への責任転嫁!あれ?軍人恩給などで731部隊員の事務処理をしなかった?他の省へのなすりつけ!官僚の世界では当たり前のことか?)

6、民主党・・・・・回答なし(受信確認メールはきた。)
民主党へ「ご意見・ご感想」をお送りいただき、誠にありがとうございました。
いただいたメールの内容は担当者に伝え、今後の党運営や政策立案の参考にさせていただきます。
この度は衆院選への国民の皆さんの関心の高まりと共に、毎日、多くのメールをお寄せいただいております。そのため、個別に回答を差し上げられないこともありますが、何卒ご容赦ください。
今後とも民主党への一層のお力添えと、変わらぬご支援を、よろしくお願いいたします。
 (政権交代で忙しい? 予想:今後も無視されるでしょう!)

7、社民党・・・・・回答なし
 (この党も政権交代で忙しい? 予想:今後も無視されるでしょう!)

8、自民党・・・・・回答なし(受信確認メールはきた。)
自民党へ「ご意見・ご提言」をお寄せいただき、誠にありがとうございました。
いただいたご意見・ご提言は、政策立案や党運営に反映させるべく、担当の議員やスタッフに届けておりますが、毎日、たくさんの方から頂戴しているため、お返事できない場合がありますことを、あらかじめご了承下さい。
このたびの総選挙は自民党にとって大変厳しい結果となりましたが、皆さま方の審判を厳粛に受け止め、「政治は国民のもの」(立党宣言)との精神に立ち返り、新たなスタートを切って参ります。
引き続きのご支援、ご叱声をよろしくお願い申し上げます。

自由民主党
(予想:この党も、今後もこの件は無視するでしょう!!)

9、共産党・・・メールを拝見しました。
侵略戦争当時、731部隊で非人道的なことが行なわれた事実については存じておりますが、日本共産党として、歴史上の問題ひとつひとつについて見解はありません。
ご了承下さい。
(唯一回答があった党である。もちろん「赤旗」に「悪魔の飽食」が連載されたのだから事実は認めるに決まっていると思うが、見解が無いとはどういうことか?もう過去のことは、取り上げても仕方が無いということなのか?何か歯切れの悪さを感じる!!)

10、NHK
(NHKには4つ目にこんな質問を加えた。4、中国で731部隊が行ったことを取り上げる検証番組の放送予定はありますか?
 以前NHKは731部隊を番組で取り上げたようだが私は見ていない。)

日ごろNHKの番組をご視聴いただきありがとうございます。
 お寄せいただきましたご意見・ご要望・お問合せは、お問合せ番号[531540]でお受けしました。
 このメールは、お客さまのメールを受信したことを自動的にお知らせするものです。
(回答)
いつもNHKの番組やニュースをご視聴いただき、ありがとうございます。
お問い合わせの件についてご連絡いたします。

NHKは、公共放送として、憲法で保障された表現の自由のもと、正確で公平・公正な情報や豊かで良質な番組を幅広く提供し、健全な民主主義の発展と文化の向上に寄与しております。
この役割を果たすため、報道機関として不偏不党の立場を守り、番組編集の自由を確保し、何人からも干渉されません。ニュースや番組が、外からの圧力や働きかけによって左右されてはなりません。NHKは放送の自主・自律を堅持します。
 
上記の趣旨で取材や番組制作を行っており、お問い合わせいただいた内容について、NHKとしての見解は持ち合わせているものではありません。

また放送や番組でこれらに関連したものがございましたら、具体的な放送日や番組名などお知らせいただき、改めてお問い合わせください。


今後とも、NHKをご支援いただきますようお願いいたします。
お便りありがとうございました。

NHK視聴者コールセンター

(いつも国家権力に影響されていませんか?従軍慰安婦問題でも、安部・中川の力に押し切られた感がありますが!!拉致報道の問題も国家権力が介入し、中立的だとは全然思いませんが!!国営放送になっている?)

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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-10-28 07:49:46 | Weblog

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。
 そのため、731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)


●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
証拠隠滅=殺しつくし、焼きつくす
 小林寿雄さんは次のように証言している。
 「8月11日、営内の兵隊と少年隊が動員され、マルタを中庭の濠で焼くように命令された。今まで絶対の秘密にされていたロ号棟へ、少年隊を引き連れていった。私たちが見たものは、薄暗い獄内に息絶えているマルタであった。特別班が青酸ガスか何かで殺したものであろう。としても特別班だけでは手に負えず、私たちはかり出されたのであった。
 初めて獄の中をのぞき、ごろごろ死んでいるマルタを見た少年隊はショックを受け、青ざめて坐り込んでしまうものもいた。しかし、事態は急を要していた。明日にもソ連軍が入ってくるという事態の中で、感染の心配なんていってられなかった。
 軍手をしただけで、鎖を引きずって階段をごとごと引きおろす。あるいは2階の窓から、次々と放り投げたりした」
 こうして私たちは、何十本も濠にぶち込み、薪と重油をかけ、トタンを上にかぶせて火をつけた。真っ黒な煙が異臭を放ってふき上がった。
 同時に運輸班の私たちは、ハンマーとつるはしで車を壊し始めた。ラジエターやエンジン部分をむやみにぶっ叩き、タイヤに釘を打ち込んで、絶対に2度と使えぬようにした。近くの工兵隊が出張して来てダイナマイトをしかけ、コンクリートの建物をドカンドカンと壊し始めた。東郷神社の裏手の原っぱに埋めた、航空燃料のドラム缶を舎屋に投げ込んで火をつけた。たちまち、猛然たる火と煙が廊下を走り、天井から窓から、煙と火の竜巻が、ふき出した。仲間の1人が、ガソリンに火をつけようとして大やけどを負い、ついには死んでしまった。(明日に続く)

※731部隊はマルタを殺し、焼いて証拠隠滅をはかるのに必死だった。余りにも残虐なことをやったものだから、証拠が残っていては、あとあとばれた場合が恐いのだろう!!(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

張紅芳(女、59歳)の証言
 
 私は張紅芳と言い、南京向陽糖果廠で働いていて定年になった者です。1937年の冬に、中国侵略日本軍が南京を占領しましたが、あの時は12歳で、家の人について避難し沈挙人巷の金陵神学院の難民区に住まいました。父の張徳富は年を取っていたので、篾街5号の家に残って留守番をしていました。日本軍が戸別に捜索逮捕しに来て、家まで来て門を叩きましたが、父が日本軍を恐がっていて、ぐずぐずした後やっと門を開けに行きました。門を開けたところを、自分の家の門のところで銃で殴り殺されました。父と一緒にやられた人では篾街6号に住んでいた隣人で傳さんという老人が1人いました。隣人の陳お姉さんは日本軍に強姦されてからまた銃殺に遭いました。父が死んでから、1ヵ月くらいして初めて私たち分かったのですが、私たちが家に帰ってきて、父が門の門口に倒れ伏しているのを発見したのです。難民区から家へ帰る道で、日本軍による殺害に遭った屍をたくさん見ましたが、
篾街31号の裏門の河辺にも日本軍に焼き殺された屍が幾つかありました。それに被害者の屍で、頭が水かめに突っ込まれていて足が上を向いていたり、身体と首とが別のところにというのもあったりで、見るに忍びない凄まじさでした。(王天柱が記録)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

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