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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-10-04 06:15:05 | Weblog

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「マルタ」・「アジアの犠牲者」の叫び!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって多くの死者を出した。
 また、戦後昭和天皇は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、国体(天皇制)を維持することに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。それ故、敗戦直前、ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く証拠隠滅をはかり、731部隊を日本へ戻した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに731で得た研究成果をアメリカに売り渡した。その結果、東京裁判では取り上げられず、国民も長いこと731のことを知らなかった。
 密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていないという。(1995年現在)現在の政府の見解は私には分からない。(ただ今問い合わせ中)

 これも天皇制を守るために。(ノブ)




●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
首を切っても頭は動く(田中証言)
 赤沢さんに、生体実験、生体解剖とクロロホルムの関係を聞いてから、もう少し詳しく真実を知りたかった。私は、731部隊の資材部にいた大尉の田中さん(仮名)から話を聞いた。

 クロロホルムは、全身麻酔として使用しました。ガーゼににしみ込ませてかがせると、すぐに麻酔状態になる。しかし、危険率は高く、死亡する場合がある。普通の手術は局部麻酔で、クロロホルムは使わず、脊椎の第4要椎と第5要椎の間に5寸釘ほどの注射針をさし、鼻水のような髄液が逆流してくるのを見届けて、打ち込み麻酔させ、そのまま意識があるのはお構いなしに解剖したものである。胴体にあるものを全部とってしまうのだから、麻酔からさめるもさめないもない。
 生体実験というのは、ただ事ではないが、南満州某独立守備隊でくり返し行われたものである。
 そこでは、クロロホルムなどの一切の麻酔剤を使わず、兵隊が5,6人がかりで押さえつけて、まだ中国人スパイを生きたまま解剖したことがある。しかし、これは石井中将の命令でやったものではないと思う。
 解剖学を学んだ者は、屍体ではどうにも分からぬものがある。私も医者にあとで聞いてみたが、医学を志す者にとって生体解剖というのは、ヨダレをたらすぐらいやりたいものだそうだ。ただ生体解剖は、平和な日本じゃできっこない。戦争の中で、そして敵ならやれる。軍医にとっては千載一遇のチャンスとみる。将来、大学に帰って医学を極めたい者にとって、堂々とやれる唯一の場ということだ。つまりスパイ、ゲリラはどうせ死刑で銃で撃たれてしまう。それを一体わけてくれ、というわけだ。(明日に続く)

※生体解剖や生体実験は731に限らず、中国に行った軍医などは誰もがやったようだ。何の罪の無い農民や一般庶民がスパイ容疑で捕まえられ、手術の練習台にさせられたり、生体実験などが行われた。

 「湯浅(軍医)の体験は、戦前の日本軍軍医の間では人体実験が特別なことではなかった、ということを示している。また、許されることのない人体実験を日本国内では決して行わない人が、侵略地では行ってしまうことを雄弁に語っている。そして初めは恐る恐るやっていたものが、いつしか先頭にたってやってしまう。多くの軍医が侵略地での人体実験を何とも思わないという状況の中で、731部隊の、あるいは石井のネットワークでの蛮行が異常とは思われなくなっていた。そして731部隊内部の医学者も、自分たちの行為に何の疑問も持たなくなっていったのだろう。」
『731部隊:常石敬一著:講談社現代新書』より(ノブ)


日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
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根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

劉富根(男、57歳)の証言
 1937年の冬に、日本軍の一群が家があった茶亭東街にやって来て、いたる所で人を捕まえ、人を殺し、火を放ち、人をさらい財物をかすめとって、悪事の限りを尽くしました。ある日、家に親族が2人来ました。象良明と息子の象連生とで、家のモヤシ小屋に隠れました。日本軍が人夫を捕まえに来て、象連生を捕まえました。象連生が行きたがらないので、銃床で死ぬまで殴りつけました。父の劉保栄と伯父の李保田とが状況不利と見て、逃げようとしましたが、日本軍は放たずに、2人を撃ち殺しました。同時に撃ち殺されたのにまだ大工3人と通行人2人がいました。日本軍はそれに李徳金の家3軒や、朱凱林の家4軒など、隣近所に火をつけて焼き、また李徳金の兄弟の李徳銀を捕まえていって苦役に使いましたが、三汊河の江辺で、李徳銀が逃げたところ、途中の西徳河の辺(今の鳳凰街)で撃ち殺されました。
 象良明と李徳金とのお年寄り2人はまだ健在です。象さんは今は莫愁新村に住んでいて、李さんはまだ茶亭東街に住んでいます。(楊新華と吉龍生とが記録) 
 
 ※南京に入城した日本軍は無秩序を生んだ。その結果、殺人・放火・略奪・強姦等が頻発した。
その無秩序を生んだ背景に南京への先陣争いがあった。
「先陣争いはなぜ起きたのか。
 元20連隊兵士たちは、一様に「4つの理由」をいう。
 第1に、南京陥落直前の3日間、「部隊は食べる物も飲料水もなく、飢えていた」。早く城内へ入り、糧食を補給しなければ「こっちが参ってしまう」。
 第2に、「南京さえ落とせば、この戦争は終わる。そして郷里に凱旋できる」と兵士らが信じ、しゃにむに攻略したこと。
 第3に、「友軍の中に多数の死傷者が出、兵士らが復讐、憎悪の念に燃えていた」とのこと
 第4にーこれは重要な要素であるが、各連隊ごとに、「○○部隊に負けるな」と、一番乗りレースがあおられたことによる。
 各部隊の先陣争いは、恐るべき無秩序を生んだ」【隠された連隊史(下里正樹:青木書店】より
 (ノブ)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。


中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。
軍隊の廃止によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
 ところが、2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクへの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ!」
 裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法はただ単に守ればよいものではありません。平和憲法は人々のもの。人々が使うためにあるのです」

 ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。
 スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたっています。
 こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくる事ができます。「イマジン 9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、皆さんと考えたいと思います。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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