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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-10-02 08:36:16 | Weblog

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「マルタ」・「アジアの犠牲者」の叫び!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって多くの死者を出した。
 また、戦後昭和天皇は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、国体(天皇制)を維持することに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。それ故、敗戦直前、ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く証拠隠滅をはかり、731部隊を日本へ戻した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに731で得た研究成果をアメリカに売り渡した。その結果、東京裁判では取り上げられず、国民も長いこと731のことを知らなかった。
 密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていないという。(1995年現在)現在の政府の見解は私には分からない。(ただ今問い合わせ中)

 これも天皇制を守るために。(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
生体解剖はあったか(赤沢証言)
 最初のうちは解剖はつらく、飯もよくのどを通らなかったが、これも仕事だ、運命だ、任務だと割り切れるようになっていた。そのうちに、「今日も解剖か」というくらいな気持ちになり、平気でせっせと刀を研いだりするようになった。
 解剖の中で、もっとも気持ちの悪かったのは、どんな理由かわからないが、墓場から腐乱死体を取り出して、解剖させられたことである。メスを入れると、どっと肉がはじけるようで、臭いがまた大変なもので、1週間くらい食事がまともにできなかったものである。
 その夜私は、1棟の宿直であった。たまたま3棟の宿直であった五味という技手と一緒になり話をしたことがあった。その時五味技手が、「今日は実験に失敗しちゃった」と暗いまなざしでつぶやいた。翌朝、五味技手は急きょ隔離され、昼には死んでしまった。彼は、ペスト菌製造の班で、仕事をしていたのである。それは肺ペストの感染であった。
 そのことを聞いて、私はそれこそぞっとし、2,3日気が気ではなかった。五味技手を看護した看護婦も相ついで死亡した。
 また、昭和12年のことであったと思う。北支で任務についている時、便衣隊(スパイ)をとらえたことがあった。大村大尉という直属の上官が、私に首をはねろと命じた。私は、南信濃の家に伝わる古刀を軍刀にしこんでいたが、その「筒井越中守輝政入道法充」で首を切り落とした。鮮血が2メートルも噴き上げ、前に落ちた首が10日程度呼吸するように口をがくがくさせた。
 私は吐き気をもようし、膝が震えて、座り込みたくなった。練士という肩書きを持つ大尉は「そういう切り方はまずい。首を落としてはいかん。のどの皮を残すのだ。みておれ」と言うと、やにわに腰の刀を一閃させて、別の便意隊へ向かった。大尉のいう通り、のどもとの皮1つ残して首がガクンとたれた。私は冷静、沈着にしてみごとな大尉の手練に敬服し、臆してはいかん、俺はまだ真の軍人になり切っていないと強く反省したものであった。(明日に続く)

※赤沢さんは、生体解剖については積極的には語っていないが、ほとんど毎日のように解剖をやり、標本をつくったのだろう。慣れてくると、あまり気にならなくなってしまったようだ。
 腐乱死体の解剖までやるとは驚きだ!!何か解剖でミスがあってやり直したのか?
 また、ここでも日本人がペストにかかって死んでいる。731では実験のミスでこのようなことが多発したと聞いている。
 最後の証言は、どうも731に入隊する前のことのようだ!!
 私のブログに時々投稿があるが、中でも「日本刀ではそんなに人は斬れない」という質問が多い。  ここの証言は昭和12年(1937年)のことを言っている。ちょうど南京大虐殺が行われた年である。中国に積極的に侵略した時期である。
 北支での出来事か?便衣隊(スパイ)を日本刀で斬ったとある。日本軍はあやしい者をスパイにしたて十分な証拠も無いの処刑したりしていた。
 これも、中国の一般市民であると思われる。座らせて、首を斬ったのだろう。このようなやり方で多くの中国の方が死んでしまった。
 大尉の斬った者も、同じようにスパイの嫌疑がかけられ捕らえられていたのだろう。ここでは詳しく書かれていないが、便衣隊と日本刀で戦ったのではない!
 捕らえられているスパイを座らせて、斬ったようだ。首の皮一枚残して。
 このような光景は日本軍が侵略していった中国各地で行われていた。あまりにもむごいことである。 日本刀では100人は斬れっこ無いという人があるが、ほとんどは無抵抗な捕虜や一般市民を座らせて斬ったすえもの斬りであったのが事実であり、たくさんの人を斬って、地方紙に英雄として紹介されたりもしていた。詳しく知りたい方は、『「百人斬り競争」と南京事件』(笠原十九司著:大月書店)をぜひ読んでください!!(ノブ)


日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

馬明福(男、54歳)の証言
 日本の軍隊が南京を占領した時、私はやっと7歳でしたが、家は中華門の近くで、父が塩漬け家鴨の店を経営していました。あの時家は6人で、父が38歳、母が30歳、姉が9歳、妹が4歳、弟がやっと1歳、それに私でした。避難しに、家中で沙洲圩の母方の祖母の家まで逃げて行きました。
 明くる日の午後日本兵が来たので、村の人7,80人が家から1里余り離れたくぼ地まで逃げていって隠れました。日本兵は村に入るなり、火を放って家を焼きました。暗くなってからも、みんな家に帰れなく、その夜の内にくぼ地の真ん中に穴を1つ掘り、木の枝で上をおおいました。3日目の午前10時頃、日本兵がくぼ地に人が隠れているのを見つけ、くぼ地を包囲して、射撃し始めました。その時くぼ地にはまだ50人余り隠れていたのですが、祖母と叔父2人とがもう1つ別のあばら屋に隠れていたために、銃声が響くや、祖父が祖母の安全を心配し、危険を冒して小屋の方へ走って行ったら、日本軍に見られ、一撃をくらって地に打ち倒されました。(明日に続く)

 ※日本軍は、くぼ地に隠れているのが村人であって、兵士ではないことが分かっていて発砲した。日本軍による一般市民の殺害も多かった。(ノブ)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

9条がゆきわたった世界を。


Imagine,

A world filled 

with Article 9.


憲法9条は、日本という「国」のものではありません。日本に住んでいる「人びと」、つまりみなさん自身のものです。そしてそれは、日本国民にとってだけではなく、すべての人類にとって重要なのです。(アメリカ/男性)





第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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