不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-10-14 07:52:09 | Weblog

「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!


きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 大日本帝国は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 ソ連が石井の引渡しをアメリカに要求した時、アメリカは貴重な?データがソ連に渡ってしまうことを恐れた。アメリカは、先にそのデータを独り占めし、遅れていた自国の細菌戦研究に役立てたいという方針から、はした金でそのデータを731部隊幹部から買い取り、731部隊員を戦犯免責にした。データを独り占めするのも大きな目的であったが、もう1つの大きな目的は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒に、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
その天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追求もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』
(越定男著:教育史料出版会)より
Ⅵ 勢いみせて
30本のマルタをつぶした私
 最後の1本まで車を止めることはできない。新しい雪の上にマルタの血が噴き出し、染まる。はらわたを出したマルタ、虫の息のマルタも目に入る。おそらく車でつぶしたマルタは30本余はあったと思う。
 そうして、つぶしたもの、半死半生になっているもの、うめいているもの、血を吐き続けているもの、それらを1本1本始末しなければならなかった。
 憲兵と力を合わせて、マルタの足錠の鎖と肩をつかんで、反動をつけて荷台に放り上げるのである。死にきれぬものは収容所に放り込み、あとはすべて解剖にまわす。すべてが終わったときはくたくたになり、膝元がふるえ、手腕がしびれた。バンパーやタイヤに毛髪や血のついた肉片がこびりついていて、事件のあとをとどめていた。
 現場は殺気立って、演習どころではなく、マルタの処理でその日は終りになった。
すべて片付いた時は「これでよかった」というほっとした気持ちだけであった。
 マルタを逃がして、731部隊の秘密が、中国やソ連にばれたら大変なことになる。
私はとにかく踏み潰すしかなかったのだ、と自分に言い聞かせた。万一逃したら、731全部隊の大出動で、草の根分けても1人1人探し出し、殺しただろうし、おそらく警備責任者は厳しく処分されたろうと思う。
 そんなことで「よかった」としか思えない当時の私だったのである。(明日に続く)

※なんとまあ、すごい光景か?731でやっていることはこわいことだ!!ひき殺されても解剖されるとは。これでは本当に日本政府が隠したくなる部隊だと思うが、でも、事実はきちんと後世に伝えるべきだ!!(ノブ)

  
参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

中国人戦争被害者の要求を支える会

  
南京大虐殺     
「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

史家有(男、51歳)の証言

 日本兵はずっと遠くからと父さんが見えたので、銃を構えて父さんに向かって射撃し、2,30発も撃ち続けて、どれも当たりませんでした。父さんは急いで道端の田の畦下に隠れましたが、陰険凶悪な日本軍は放そうものか、直ちに車を父さんが隠れている田の畦のそばに止め、2人車から飛び降り、口でべしゃくしゃののしりながら、銃剣を構えて父さんを猛烈に突き刺し、父さんは身をかわせずに、喉や両脇や胸に続けて4太刀刺され、鮮血がほとばしり出て、その場で死にました。
 日本兵はそれを見て、かか大笑いし、大手を振って立ち去りました。母さんはこの不幸な知らせを聞くなり、昏倒してしまい、お隣の人たちが父さんの死体を担いでくると、母さんは泣いて泣いて身も世もありませんでした。私たち兄妹3人はその時とても小さく、兄さんが6歳で私が4歳で、妹がやっと1歳ちょっとでしたが、やはりみんな母さんについてワアワア大泣きしました。その時の悲惨な有様は、みんな私たちが物事が解るようになってから母さんが何回となく話してくれたものなのです。
(伏世誠が記録)
 
※一家の大黒柱を失った悲しみは家族に大きくのしかかるでしょう。
異国の地で生きている人間に対して射撃遊びとか、銃剣で刺すとか、皇軍はいい加減なことをやっていたと思う。(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

戦争を語るブログ

「南京事件資料集」

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

基地をなくして

緑と海を取りもどしてい世界


 基地をなくして、緑や美しい海を取りもどし、きれいな空気がよみがえる。それが、人々にとっての本当の「平和」ではないでしょうか。
それは、人々が「平和に生きる権利」を確保することでもあります。

 フィリピンでは、1992年、国民的な運動の結果、米軍基地はなくなりました。韓国ではピョンテクという場所に新たな米軍基地がつくられようとしている事に対して、人々は反対運動を続けています。
 沖縄では「もう基地はいらない。美しい海を守りたい」と、辺野古での新しいヘリポート建設に反対する人たちが活動しています。自分たちの土地がイラクやアフガニスタンを攻撃する拠点として使われることに黙っていられないと、世界の人々は立ち上がっているのです。
 かつて日本やアメリカに占領されてきた歴史をもつミクロネシアの憲法は、その前文で、次のようにうたっています。
「ミクロネシアの歴史は、人々がイカダやカヌーで海を旅したときから始まった。私たちの祖先は、先住民を押しのけてここに住んだのではない。ここに住んでいる私たちは、この地以外に移ろうとは望まない。私たちは、戦争を知るがゆえに平和を願い、分断された過去があるがゆえに統一を望む」 

 
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする