ふっ――鋭く呼気を吐き出しながら、その場で時計回りに転身する。
「Iyyyyyyyyyraaaaaaaaaaa !」 アルカードはそのまま回転の勢いを乗せて塵灰滅の剣 を振るい、鎧の中身の鼻から上を削り取る様な軌道で一撃を叩き込んだ。
まともに入れば重装甲冑ごと頭蓋を削り取っていただろうが、鎧は斬撃の軌道に右手の長剣を差し込む様にしてその一撃を受け止めた――強烈な火花とともに、塵灰滅の剣 と鎧の長剣ががっきりと噛み合う。
今度は十分に重心を沈めていたからだろう、鎧は小揺るぎもしなかった――こちらの体勢を崩すために力任せに剣を振るう鎧の動きに逆らわずに、そのまま後退する。
鋒を躱して距離をとり、アルカードは小さく舌打ちを漏らして塵灰滅の剣 を構え直した。今の一撃で仕留められなかったこと自体は、気にするほどのことではない――どのみち仕留めることではなく、鎧の剣や楯の強度、鎧の膂力を推し量るのが目的だったからだ。
とはいえ、真祖 の斬撃で剣を斬り飛ばせないとはな――
「さて、と――」 唇をゆがめて、アルカードは床を蹴った。
正面の鎧に向かって飛び込み――踏み出しながら鎧が剣を水平に振るう。アルカードの斬撃に対する迎撃のつもりだったのだろうが――アルカードが一瞬振り出しを止めて速度を落としたために、その斬撃はアルカードのそれよりも速くなった。
アルカードの踏み込みが浅かったために、鎧の迎撃はアルカードの剣を捉えることは無かった。また、アルカードが斬撃動作を一瞬止めたためにその一撃はアルカードの斬撃より速くなり――結果、アルカードが一拍遅れて繰り出した塵灰滅の剣 の斬撃は空振りして空を薙ぐだけの結果に終わった片刃の長剣の峰側を撃ち、その斬撃を鎧が制御不可能なほどに加速させることになった。
振るった剣を制御しきれずに――加速された刃が手近な本棚に深々と喰い込む。
「Aaaaa――lalalalalalalie !」 その激突の際の衝撃音が消えるよりも早く、アルカードは衝突の衝撃で跳ね返った塵灰滅の剣 を保持した手首を返し、鎧の首を刈る軌道で剣を振るった――そしてその一撃が鎧の首を刈るより早く、背後から殺到した二体の鎧の繰り出した斬撃が肉薄する。
だがそのふた振りの斬撃は、目標を失ってむなしく宙を薙いだだけだった。空中で一回転したアルカードがその場に再び降り立つと、二体の鎧はこちらを振り向き――続いてアルカードが撃ち込んだ縦拳を冑の面頬にまともに喰らった左側の鎧が、戦鎚 でぶん殴った様な鈍い音とともに身を仰け反らせる。
アルカードが開発した魔力戦の技法の中に、『楯』と『矛』というのがある。
『楯』は瞬間的に高密度の魔力の障壁を形成して楯の様に翳して防御する技法で、高強度ではあるが持続時間に限界があるために、正面から受け止めるよりも威力を受け流す様にして攻撃をそらす使い方に適している。
対して『矛』は入力された衝撃を瞬間的に増幅して対象に叩き返すもので、『矛』の発生の瞬間まで対象がこちらに接触し続けていれば絶大な威力を発揮する。
『矛』はただ単に形成した力場に対して入力された衝撃に対して作用するため、敵から受けた攻撃の衝撃だけでなく自分自身の繰り出した打撃によって入力される反作用の衝撃に対しても作用する。
『矛』は入力された衝撃を増幅反転して叩き返すものであるために、使用者はほぼ衝撃を受けない――それはつまり、技が成功すれば使用者は反作用による自分の肉体の破損を一切気にせずに全力の打撃を撃ち込めるということだ。たとえ相手が、素手で殴れば拳が砕けるであろう金属の塊であっても。
一撃で岩塊を粉砕する吸血鬼の、手加減無しの膂力で撃ち込まれた拳の一撃をさらに数倍に増幅した衝撃を撃ち込まれて、鎧の面頬がひとたまりもなくひしゃげて潰れた。
一瞬だけ鎧の体が浮き上がり――呼吸のための口元のスリットや視界確保のための眼の部分のスリットから赤黒い液体を噴出させながら、鎧がドスンという音を立てて床の上に仰向けに倒れ込む。
それで鎧が斃れたか否かを確認するいとまも無く、アルカードは別な鎧の繰り出してきた斬撃を躱して転身した――接近を牽制するために転身動作に合わせて塵灰滅の剣 を振り回しながら、跳躍して距離をとる。
数が多すぎる――別に十体が百体になろうがさしたる脅威でもないが、包囲されれば厄介な状況になる。数に差がある場合に一番恐ろしいのは、手数の差と包囲による袋叩きだ。
なら――数を減らすことだな。
気楽につぶやいて、アルカードは塵灰滅の剣 を消した。同時にそれまで黒光りする手甲の上から装甲板を薄く覆っていた銀色の膜が、潮が引く様に装甲板の隙間から手甲の内側へと引き込まれてゆく。
一対多数戦で考えなければならないことはふたつ――ひとつは常に包囲の外に出ること。もうひとつは、一度に複数を相手にしない。
わざわざ打撃を加えたことには、きちんと意味がある――『矛』は増幅率と持続時間が反比例するために十分な破壊力を引き出すためには賭けの要素があるのだが、彼の左手で直接接触出来るからだ。
左腕で打撃を加えたときに限っての話だが、アルカードは左腕の魔術兵装 ・憤怒の火星 を管理運用する基本プログラムの機能によって、左腕で接触した物体の構成物質や物理構造を走査 することが出来る――流動する液体金属、製作者に言わせると模擬複合合金と呼ばれる材質で出来ているのだが、左手が露出した素手 の状態であればそのまま、手甲や手袋で腕の表面が被覆されている場合は模擬複合合金をその下から滲み出させて手甲や手袋の表面を完全に包み込み、対象と模擬複合合金を直接接触させることで、相手の素材や接触部位近くのだいたいの構造と強度がわかるのだ。
相手が鉄であれば鉄鋼組織の構造もわかるので、だいたいの強度も推し量ることが出来る。
冑の構成素材はおそらく隕鉄か、それに近い成分に調整した金属素材をベースにしたもの。かなり硬いが、アルカードの技量で斬れないほどではない。
それが確認出来れば十分だ。
唇をゆがめて笑い、アルカードは太腿に固定していた鞘からふた振りの短剣を引き抜いた。
ひと振りは複数の曲線を組み合わせた兇悪な形状の短剣で、もうひと振りは槍の様に先端までまっすぐに尖っており、鋒は柄の中心線の延長上にある。前者は手元付近に百合の刻印がなされており、真っ白な素材で出来ている――後者は手元に薔薇の刻印が施され、真っ赤な素材で出来ていた。
白百合 と赤薔薇 。
いささか刀剣類には似つかわしくない優美な名称ではあるが、つけたのが自分ではないので仕方が無い。英語圏の人間なのにフランス語で名称をつけたのが変わっているとは思うが。
いずれも刃渡りは十五インチ程度、いずれもほかの短剣類同様受肉した霊体の屍から手に入れた硬質部位を加工して作ったものだ。ファイヤースパウン最年少の見習い魔術師が威力開発のためにアルカードの指摘を受けながら魔術で加工して製作した品で、彼女が知らない間にそれぞれ百合と薔薇の刻印を施していた。
白百合 と赤薔薇 という名称自体は、単純に素材の色と刻印を組み合わせたものだ。素材の色が白と赤だったから、少しはウィットを効かせようとでも思ったのだろう。刃物につける名前にウィットなど必要無い気もするが。
まあ名前は気に入らないが、それで性能が落ちるわけでもない――白百合 の鋭く磨き込まれた純白の刃が、壁際の燭台の弱々しい光を照り返して橙に染まっている。
「おまえらの中身にも興味はあるが――」 即死――という表現が正しいのかはまだわからないが――はしていなかったのか、殴った鎧がその場でふらつきながら立ち上がる。だが結局立ち続けることは出来なかったのか、酔っ払いの様によろめいてから踏鞴を踏んで背中から本棚に衝突した。
本棚は倒れはしなかったものの、本棚が傾いた拍子に収められていた本がずり落ちたのだろう、本が床に落下する音が聞こえてくる。
厚さ五インチもある様な分厚い本が床に落下していくのを視界の端に捉えながら――胸の前で両腕を縦横に交叉させる様にして身構え、アルカードは続けた。
「――ま、それは鱠切りにしたあとでも調べられるしな」
そんな言葉を最後に、床を蹴る――最初の目標は一番手近にいた鎧だ。
「Wooaaaa――raaaaaaaaaaa !」 咆哮とともに手前にいた鎧へと殺到し――壁楯 を翳して防御すると同時に翳した楯を突き出してきた鎧の反撃 を、撃ち合うことはせずに左側に廻り込んで回避する。単純な膂力 ならアルカードを凌駕しかねないほど、だが対応の柔軟性 にはいささか欠けるきらいがある。
鎧の楯は輪状の部品に腕を突っ込み、そのうえで鎹状の取っ手を掴むことで保持する構造になっている。左手に剣を持ち替えて対応することは出来ないだろう――楯を突き出すために踏み込んで上体をひねり込んだままの体勢では、右手の剣を振り回すことも出来ない。その状態で出来る対処といえば――
鎧が肩越しに突き出してきた剣の鋒が、眼前に肉薄する――今の体勢で鎧が出来る対処といったらこれくらいだろう。肩越しに剣を突き出すか、あるいは背中側から剣を突き出すか。
そのいずれであったにせよ、予想の範囲内だ――上体をひねり込みながらその動きで突き出されてきた剣の横腹を手の甲で払いのけ、逆手に握った右手の白百合 で後頭部から首を刈る。
甲冑の冑ごと頭部の上半分を削り取られて、鎧の体が崩れ落ち――るより早く、アルカードは鎧の背中側から右手に廻り込んでその体を引きずり起こし、楯にする様にして突き出した。
正面――つまり、先ほどまでは背後から接近してきていた鎧が胴を薙ぐ軌道で繰り出した一撃が、眼前に蹴り出された鎧の体を横殴りに薙ぎ倒す。
剣を振り抜いた鎧の脇を駆け抜けざまに左手の赤薔薇 で胴を薙ぎ、その背後にいた鎧が縦に振り下ろした一撃を躱して――別の鎧が攻撃を繰り出しかけていたので、アルカードは仕留めにいくのはあきらめて包囲網を駆け抜けた。
一対多数戦で考えなければならないことはふたつ――ひとつは常に包囲の外に出ること。攻撃のために包囲網に飛び込んだときは可及的速やかに包囲網を抜け、必要以上の深追いをしない。包囲網の中に飛び込んだときは、外に出るまで一ヶ所にとどまらないこと。
もうひとつは、一度に複数の敵を相手にしないことだ――どんなに戦い方が巧くなって腕力がついたところで、手足の数が増えるわけではないのだ。どんなに力量を高めたところで、所詮単独で一度に相手出来る敵の数には限界がある。
重要なのは乱戦であっても、一対一 の状況を作り続けることだ。
胴を薙いだ鎧は致命傷には至っていなかったのか、甲冑の装甲板同士がこすれあう耳障りな金属音とともにその場でこちらに向き直っている。
別にそのことは気にしない――短剣で胴を薙いだくらいでは死なないことはわかったのだから、それで十分だ。
むしろ重要なのは、彼らが霊的な影響を受けていないことだった。白百合 と赤薔薇 、いずれも魔力強化 を這わせていたのだ。
にもかかわらず、彼らは普通に刃物で斬られた以上のダメージを受けている様には見えない――アルカードの魔力強化 の威力で、しかも表面積の小さな短剣による攻撃であれば、一撃で完全消滅してもおかしくない。少なくとも戦闘を継続することは不可能だろう。
魔力強化 で霊体に対する殺傷能力を附加しても行動に支障が出ていないところを見ると、あれは吸血鬼、あるいは天使や悪魔といった受肉した霊体のたぐいではない。ただの生き物 だ。
頭部装甲を殴り潰した鎧は行動不能に陥っているし、頭部を半分削り取った鎧は床の上で動く気配が無い。つまり、頭部を破壊すれば間違い無く仕留められる。
ならば――
胸中でつぶやいて白百合 と赤薔薇 の柄を握り直し、アルカードは床を蹴った。
こちらに向き直った鎧数体が、床を蹴る――どうやら一度に全員が襲ってくることはしないらしい。まあ頭頂高七フィート、全高九フィートの重装甲冑十体以上が一ヶ所に群がっても、互いに邪魔になるだけだろう。
まあそれはアルカードにとっても好都合だ。一体多数戦において恐れるべきは、数にものを言わせた袋叩きだけなのだから。
先頭の一体が横薙ぎの軌道で繰り出してきた出縁槌鉾 の一撃を、大きく踏み込み体勢を沈めて躱す――片手で振るう武器の軌道は単純だ。左手の赤薔薇 を振るって鎧の太腿を薙ぐと、火花とともに引き裂かれた脚部装甲の切れ目から赤黒い液体が噴き出した。
ぐらりと体勢を崩す鎧の脇を駆け抜けて、別な鎧に殺到する。
踏み込みながら突撃槍 を突き出してくる鎧に目を細め、アルカードは右手で保持した白百合 の柄を握り直した。左手の赤薔薇 を右肩に巻き込み、右手の白百合 は下膊を右脇に引きつける様にして引き戻して、右手の短剣で突撃槍 の刺突を迎え撃つ。
これが人間だったら驚愕の声をあげていただろう――右手で保持した白百合 の刃を押しつける様にして突撃槍 の刺突を迎撃した瞬間、穂先の尖端に火花とともに衝突した白百合 の刃がまるで水に浸すかの様に滑らかに円錐形の穂先に喰い込み、そのまま穂先を二枚に引き裂き始めたのだ。純白の短剣の刃はそのまま鎧の手元まで到達し、鎧の手の甲の一部と指先を装甲ごと切断した。
咄嗟に次の行動をとれずにいる鎧の頭部装甲を、左手の赤薔薇 で半ばまで引き裂く。
繰り出した一撃はねじくれた角の先端を斬り落としながら鎧の右目のスリットあたりを滑らかに切り裂いて、そのまま後頭部まで綺麗に抜けた――穂先の尖端から柄頭まで二枚におろされた突撃槍 がそのときになってようやく床に落下し、柄と穂先の接合金具がはずれてバラバラになった部品が床の上で互いにぶつかって音を立てる。
その場で膝を折って崩れ落ちそうになる鎧の鳩尾のあたりを狙って、アルカードは側面から右廻し蹴りを叩き込んだ。
吹き飛ばされた鎧が背後にいた別の鎧に背中から激突し、体勢を崩す。そのまま仕留めに行きたかったがほかの鎧が横から殺到してきていたので断念し、その場で転身――横手から突っ込んできた鎧が叩きつける様にして繰り出してきた直径五フィート近い大型の円楯 による楯殴り をバックステップして躱し、ついで振り下ろされてきた長剣の斬撃を右手の白百合 を翳して受け止める。
逆手に握った白百合 の刃と長剣の物撃ちが激突し、激しい衝突音とともに火花が散った――同時に胴甲冑と草摺の隙間から右手の赤薔薇 の鋒を捩じ込まれて、鎧が電撃に撃たれた様に大きく痙攣する。
とはいえ胴を薙いだ鎧が斃せなかったのだから、この鎧もそれだけでは死なないだろう――首を刈ってとどめを刺しにいくには周りに余裕が無かったので、アルカードは標的を変えた。
別の鎧の繰り出した刺突を上方にいなして躱しながら低い姿勢で懐に踏み込み、そのまま左肘を鎧の鳩尾に埋め込む――衝突の瞬間に発動した『矛』が、肘を撃ち込まれた鎧の胴甲冑が馬で蹴られたかの様に陥没させた。
続く一動作で足を刈り払われ、鎧がけたたましい音とともに転倒する――口元のスリットから赤黒い液体が噴出し、そのまま起き上がれずに痙攣している。
胴体を薙がれても死ななかったのだからそれで死んだとも思えないが、おそらく甲冑の変形が原因で行動に支障が出たのだろう。
つまり首から下を狙う場合は、斬るより潰すほうが効果的であるらしい――とりあえず先ほど腹を刺した鎧にとどめを刺しにいきたかったが、ほかの鎧が接近してきていたのでそれはあきらめて床を蹴る。
一ヶ所にとどまりすぎた――包囲網が密集してきている。そろそろ一度仕切り直したほうがいい。
アルカードは手近にいた鎧の斬撃を躱して別な鎧の楯殴り を避け、数体の鎧の殺到を無視して包囲網を駆け抜けた。
がちゃがちゃと足音を立てて、鎧たちがこちらに向き直る――それを見遣って唇をゆがめ、短剣の柄を握り直して、アルカードは床を蹴った。
「
まともに入れば重装甲冑ごと頭蓋を削り取っていただろうが、鎧は斬撃の軌道に右手の長剣を差し込む様にしてその一撃を受け止めた――強烈な火花とともに、
今度は十分に重心を沈めていたからだろう、鎧は小揺るぎもしなかった――こちらの体勢を崩すために力任せに剣を振るう鎧の動きに逆らわずに、そのまま後退する。
鋒を躱して距離をとり、アルカードは小さく舌打ちを漏らして
とはいえ、
「さて、と――」 唇をゆがめて、アルカードは床を蹴った。
正面の鎧に向かって飛び込み――踏み出しながら鎧が剣を水平に振るう。アルカードの斬撃に対する迎撃のつもりだったのだろうが――アルカードが一瞬振り出しを止めて速度を落としたために、その斬撃はアルカードのそれよりも速くなった。
アルカードの踏み込みが浅かったために、鎧の迎撃はアルカードの剣を捉えることは無かった。また、アルカードが斬撃動作を一瞬止めたためにその一撃はアルカードの斬撃より速くなり――結果、アルカードが一拍遅れて繰り出した
振るった剣を制御しきれずに――加速された刃が手近な本棚に深々と喰い込む。
「
だがそのふた振りの斬撃は、目標を失ってむなしく宙を薙いだだけだった。空中で一回転したアルカードがその場に再び降り立つと、二体の鎧はこちらを振り向き――続いてアルカードが撃ち込んだ縦拳を冑の面頬にまともに喰らった左側の鎧が、
アルカードが開発した魔力戦の技法の中に、『楯』と『矛』というのがある。
『楯』は瞬間的に高密度の魔力の障壁を形成して楯の様に翳して防御する技法で、高強度ではあるが持続時間に限界があるために、正面から受け止めるよりも威力を受け流す様にして攻撃をそらす使い方に適している。
対して『矛』は入力された衝撃を瞬間的に増幅して対象に叩き返すもので、『矛』の発生の瞬間まで対象がこちらに接触し続けていれば絶大な威力を発揮する。
『矛』はただ単に形成した力場に対して入力された衝撃に対して作用するため、敵から受けた攻撃の衝撃だけでなく自分自身の繰り出した打撃によって入力される反作用の衝撃に対しても作用する。
『矛』は入力された衝撃を増幅反転して叩き返すものであるために、使用者はほぼ衝撃を受けない――それはつまり、技が成功すれば使用者は反作用による自分の肉体の破損を一切気にせずに全力の打撃を撃ち込めるということだ。たとえ相手が、素手で殴れば拳が砕けるであろう金属の塊であっても。
一撃で岩塊を粉砕する吸血鬼の、手加減無しの膂力で撃ち込まれた拳の一撃をさらに数倍に増幅した衝撃を撃ち込まれて、鎧の面頬がひとたまりもなくひしゃげて潰れた。
一瞬だけ鎧の体が浮き上がり――呼吸のための口元のスリットや視界確保のための眼の部分のスリットから赤黒い液体を噴出させながら、鎧がドスンという音を立てて床の上に仰向けに倒れ込む。
それで鎧が斃れたか否かを確認するいとまも無く、アルカードは別な鎧の繰り出してきた斬撃を躱して転身した――接近を牽制するために転身動作に合わせて
数が多すぎる――別に十体が百体になろうがさしたる脅威でもないが、包囲されれば厄介な状況になる。数に差がある場合に一番恐ろしいのは、手数の差と包囲による袋叩きだ。
なら――数を減らすことだな。
気楽につぶやいて、アルカードは
一対多数戦で考えなければならないことはふたつ――ひとつは常に包囲の外に出ること。もうひとつは、一度に複数を相手にしない。
わざわざ打撃を加えたことには、きちんと意味がある――『矛』は増幅率と持続時間が反比例するために十分な破壊力を引き出すためには賭けの要素があるのだが、彼の左手で直接接触出来るからだ。
左腕で打撃を加えたときに限っての話だが、アルカードは左腕の
相手が鉄であれば鉄鋼組織の構造もわかるので、だいたいの強度も推し量ることが出来る。
冑の構成素材はおそらく隕鉄か、それに近い成分に調整した金属素材をベースにしたもの。かなり硬いが、アルカードの技量で斬れないほどではない。
それが確認出来れば十分だ。
唇をゆがめて笑い、アルカードは太腿に固定していた鞘からふた振りの短剣を引き抜いた。
ひと振りは複数の曲線を組み合わせた兇悪な形状の短剣で、もうひと振りは槍の様に先端までまっすぐに尖っており、鋒は柄の中心線の延長上にある。前者は手元付近に百合の刻印がなされており、真っ白な素材で出来ている――後者は手元に薔薇の刻印が施され、真っ赤な素材で出来ていた。
いささか刀剣類には似つかわしくない優美な名称ではあるが、つけたのが自分ではないので仕方が無い。英語圏の人間なのにフランス語で名称をつけたのが変わっているとは思うが。
いずれも刃渡りは十五インチ程度、いずれもほかの短剣類同様受肉した霊体の屍から手に入れた硬質部位を加工して作ったものだ。ファイヤースパウン最年少の見習い魔術師が威力開発のためにアルカードの指摘を受けながら魔術で加工して製作した品で、彼女が知らない間にそれぞれ百合と薔薇の刻印を施していた。
まあ名前は気に入らないが、それで性能が落ちるわけでもない――
「おまえらの中身にも興味はあるが――」 即死――という表現が正しいのかはまだわからないが――はしていなかったのか、殴った鎧がその場でふらつきながら立ち上がる。だが結局立ち続けることは出来なかったのか、酔っ払いの様によろめいてから踏鞴を踏んで背中から本棚に衝突した。
本棚は倒れはしなかったものの、本棚が傾いた拍子に収められていた本がずり落ちたのだろう、本が床に落下する音が聞こえてくる。
厚さ五インチもある様な分厚い本が床に落下していくのを視界の端に捉えながら――胸の前で両腕を縦横に交叉させる様にして身構え、アルカードは続けた。
「――ま、それは鱠切りにしたあとでも調べられるしな」
そんな言葉を最後に、床を蹴る――最初の目標は一番手近にいた鎧だ。
「
鎧の楯は輪状の部品に腕を突っ込み、そのうえで鎹状の取っ手を掴むことで保持する構造になっている。左手に剣を持ち替えて対応することは出来ないだろう――楯を突き出すために踏み込んで上体をひねり込んだままの体勢では、右手の剣を振り回すことも出来ない。その状態で出来る対処といえば――
鎧が肩越しに突き出してきた剣の鋒が、眼前に肉薄する――今の体勢で鎧が出来る対処といったらこれくらいだろう。肩越しに剣を突き出すか、あるいは背中側から剣を突き出すか。
そのいずれであったにせよ、予想の範囲内だ――上体をひねり込みながらその動きで突き出されてきた剣の横腹を手の甲で払いのけ、逆手に握った右手の
甲冑の冑ごと頭部の上半分を削り取られて、鎧の体が崩れ落ち――るより早く、アルカードは鎧の背中側から右手に廻り込んでその体を引きずり起こし、楯にする様にして突き出した。
正面――つまり、先ほどまでは背後から接近してきていた鎧が胴を薙ぐ軌道で繰り出した一撃が、眼前に蹴り出された鎧の体を横殴りに薙ぎ倒す。
剣を振り抜いた鎧の脇を駆け抜けざまに左手の
一対多数戦で考えなければならないことはふたつ――ひとつは常に包囲の外に出ること。攻撃のために包囲網に飛び込んだときは可及的速やかに包囲網を抜け、必要以上の深追いをしない。包囲網の中に飛び込んだときは、外に出るまで一ヶ所にとどまらないこと。
もうひとつは、一度に複数の敵を相手にしないことだ――どんなに戦い方が巧くなって腕力がついたところで、手足の数が増えるわけではないのだ。どんなに力量を高めたところで、所詮単独で一度に相手出来る敵の数には限界がある。
重要なのは乱戦であっても、
胴を薙いだ鎧は致命傷には至っていなかったのか、甲冑の装甲板同士がこすれあう耳障りな金属音とともにその場でこちらに向き直っている。
別にそのことは気にしない――短剣で胴を薙いだくらいでは死なないことはわかったのだから、それで十分だ。
むしろ重要なのは、彼らが霊的な影響を受けていないことだった。
にもかかわらず、彼らは普通に刃物で斬られた以上のダメージを受けている様には見えない――アルカードの
頭部装甲を殴り潰した鎧は行動不能に陥っているし、頭部を半分削り取った鎧は床の上で動く気配が無い。つまり、頭部を破壊すれば間違い無く仕留められる。
ならば――
胸中でつぶやいて
こちらに向き直った鎧数体が、床を蹴る――どうやら一度に全員が襲ってくることはしないらしい。まあ頭頂高七フィート、全高九フィートの重装甲冑十体以上が一ヶ所に群がっても、互いに邪魔になるだけだろう。
まあそれはアルカードにとっても好都合だ。一体多数戦において恐れるべきは、数にものを言わせた袋叩きだけなのだから。
先頭の一体が横薙ぎの軌道で繰り出してきた
ぐらりと体勢を崩す鎧の脇を駆け抜けて、別な鎧に殺到する。
踏み込みながら
これが人間だったら驚愕の声をあげていただろう――右手で保持した
咄嗟に次の行動をとれずにいる鎧の頭部装甲を、左手の
繰り出した一撃はねじくれた角の先端を斬り落としながら鎧の右目のスリットあたりを滑らかに切り裂いて、そのまま後頭部まで綺麗に抜けた――穂先の尖端から柄頭まで二枚におろされた
その場で膝を折って崩れ落ちそうになる鎧の鳩尾のあたりを狙って、アルカードは側面から右廻し蹴りを叩き込んだ。
吹き飛ばされた鎧が背後にいた別の鎧に背中から激突し、体勢を崩す。そのまま仕留めに行きたかったがほかの鎧が横から殺到してきていたので断念し、その場で転身――横手から突っ込んできた鎧が叩きつける様にして繰り出してきた直径五フィート近い大型の
逆手に握った
とはいえ胴を薙いだ鎧が斃せなかったのだから、この鎧もそれだけでは死なないだろう――首を刈ってとどめを刺しにいくには周りに余裕が無かったので、アルカードは標的を変えた。
別の鎧の繰り出した刺突を上方にいなして躱しながら低い姿勢で懐に踏み込み、そのまま左肘を鎧の鳩尾に埋め込む――衝突の瞬間に発動した『矛』が、肘を撃ち込まれた鎧の胴甲冑が馬で蹴られたかの様に陥没させた。
続く一動作で足を刈り払われ、鎧がけたたましい音とともに転倒する――口元のスリットから赤黒い液体が噴出し、そのまま起き上がれずに痙攣している。
胴体を薙がれても死ななかったのだからそれで死んだとも思えないが、おそらく甲冑の変形が原因で行動に支障が出たのだろう。
つまり首から下を狙う場合は、斬るより潰すほうが効果的であるらしい――とりあえず先ほど腹を刺した鎧にとどめを刺しにいきたかったが、ほかの鎧が接近してきていたのでそれはあきらめて床を蹴る。
一ヶ所にとどまりすぎた――包囲網が密集してきている。そろそろ一度仕切り直したほうがいい。
アルカードは手近にいた鎧の斬撃を躱して別な鎧の
がちゃがちゃと足音を立てて、鎧たちがこちらに向き直る――それを見遣って唇をゆがめ、短剣の柄を握り直して、アルカードは床を蹴った。
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