【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

探検家群像=角幡唯介= 03

2014-12-27 14:23:08 | 冒険記譜・挑戦者達

== ナショナルジオグラフィック日本版より転載、イラスト構成は筆者 ==

== ランカスター海峡 ―神話となった北西航路探検― == 

 ランカスター海峡からバロウ海峡へと続く海氷は、まったくひどいことになっていた。 

 北極海から流れてきた氷が、海流の力で押し合い、乱雑に積み重なり、無残な光景を作り出していたのだ。倒壊したビルディングの残骸のような巨大な氷が、不自然なかたちで他の氷の上に乗っかっているのを見て、私はうんざりした。ひとつひとつの重さが何十トン、何百トンに達するのか想像もつかないが、そうした氷が山のように積みあがって左右の光景の中にいくつも突き出しているのだ。 

 これが観光旅行なら、感嘆のひとつでも漏らし写真を撮った後、車に乗って国道を南にホテルまで戻ればいいのだろうが、残念ながら、私たちはこれからこの冗談みたいな乱氷帯を突破しなければならなかった。

  私と北極冒険家の荻田泰永の二人が、カナダ北極圏にある北緯74度40分の村レゾリュートベイを出発したのは、2011年3月16日のことだった。

 今から160年ほど前の19世紀中頃、イギリスのジョン・フランクリンを隊長とする探検隊が、この氷だけが支配する極北カナダの広大な多島海のどこかで忽然と行方を絶った。129人全員の消息が分からなくなったのだ。彼らが目指していたのはヨーロッパとアジアを結ぶ幻の北西航路だった。 

 私はこの旅で、その凍てつく北西航路を自分の足でたどり、その生の風景を体験し記述することによって、フランクリン隊の男たちが生き延びようとした神話じみた舞台を蘇らせようと考えていた。

  最初の目的地はレゾリュートベイから直線距離でほぼ700キロ南に位置するキングウイリアム島だった。フランクリン隊が全滅し、その後、彼らの遺体が白骨となり何十体と見つかった、忌まわしい歴史を持つ島である。出発した時点で60日分の食料と燃料を詰めこんだソリの重さは100キロ前後に達していた。  

 出発から18日、バロウ海峡の乱氷帯に突入してからも、すでに一週間が経っていた。乱氷の激しさは予想を大きく上回っていた。私たちは近くにある比較的背の高い氷の丘に登って、乱氷の中に進めるルートがないか偵察した。  

 無限の氷がでたらめに静寂を突き破り、海はどこまでもひどく混乱していた。丘の上に登ってすぐ、戦艦みたいに大きなテーブル状の氷山が少なくても二つ、はるか向こうの氷上に浮かんでいるのが見えた。その直線的なフォルムはコンクリート建造物のように無機質で、それが周囲に広がるずたずたの氷の様相と相まって、風景は空襲で焼け野原となった都市の廃墟みたいに凄惨を極めていた。  

 荒涼とした風景が西日で激しく照らされ赤く色づいた。気温は氷点下27度。右足の甲から先は感覚が失われ、鉛の塊が足にくっついているみたいだった。どうやったらこの激しい乱氷の中を、ひとりでは持ち上げることができないほど重いソリを引きずって進むことができるのか。そう考えると思わず途方に暮れた。明日からのことを思うと不安になった。テントに入り、私は日記をつけた。 

「ラッセル島は見えたが、この光景を見ると自分たちが本当にあそこまでたどり着けるのか、疑問に思わざるを得ない」  

 レゾリュートベイの南側を東西に横断するこの海峡は、東からランカスター海峡、バロウ海峡、メルヴィル海峡、マクルーア海峡と次々と名前を変えて、北極海まで続いている。私たちの前に現れた始末に負えない乱氷帯は、北極海にある強力な渦巻きの力により浮氷が海峡に流れ込んできて形成されたものだ。  

 浮氷は風や潮流、海底の地形などの影響を受けて、ある一定の場所に集まる。それが冬になって海表面ごと固まり、さらに潮の圧力を受けて、いたるところで変形したり、氷丘や氷脈が形成されたりして、乱れに乱れるのだ。

 19世紀に本格化した北西航路の探検史において、ランカスター海峡にみられるような氷の強い圧力は、探検家たちの行く手を阻む最大の障害のひとつとして、このドラマにおける隠れた主役とでもいうべき重要な役割を演じてきた。 

初めてランカスター海峡を望んだ探検家は、イギリス海軍の軍人ジョン・ロスだった。ロスの探検はグリーンランドの東側の海氷が開き、水面が現れたという報告が、捕鯨業者たちからもたらされたことが間接的なきっかけとなった。 

 北緯75度より北の海域では、それまで4世紀にわたり氷が緩んだことはなく、グリーンランド東部に上陸したという報告すらなかったのに、その不動の氷が今年は緩んでいるというのだ。その情報はイギリスの学者や海軍関係者の間で広まり、ついにヨーロッパからアジアへと続く幻の北西航路が見つかるのではないかという期待がにわかに高まったのだ。 

 イギリス海軍は4隻の軍艦を北極探検に送り出し、そのうちの2隻がロスの指揮する北西航路探検の船だった。1818年にロンドンを出発したロスの探検隊は、1616年のウィリアム・バフィン以来、約200年ぶりにカナダのバフィン湾に船を進め、そして北上した。北極海へと続くスミス海峡が氷に閉ざされているのを確認した後、ロスはそこから南下しランカスター海峡の入り口に達した。

 ロスの探検の後に判明した事実であるが、彼が到達したランカスター海峡こそ実は幻の北西航路の入り口だった。 長い歴史をもつ世界史的なスケールの謎を解決する鍵と、それがもたらす名声をほとんど手中にしていながら、ロスはそこでとんでもないヘマをしでかした。

 ランカスター海峡の入り口から約80マイルほど先に船を進めたところで、霧が晴れたわずかな間に、ありもしない陸地の影を見たというのだ。 

「10分間だけ完全に霧が晴れた」とロスは報告した。

「ちょうど海峡の一番奥のあたりに私ははっきりと陸地の存在を確認した。それはひと続きの山並みを形成しており、北側と南側に連なっていた」 

 ロスはこの山脈をクロッカー山と呼び、ランカスター海峡が行き止まりで北西航路にはつながらない証拠だと考えた。この海峡をいくら進んでも北米大陸を回り込むことはできないと報告したのである。 

 だがロス以外の隊員の中で、クロッカー山の存在を確認した人間はいなかった。ロスがなぜこんな誤認を犯したのかは今もって不明である。彼には何か意図があったのかもしれないし、あるいは私たちが乱氷帯のはるか先で見渡したのと同じような巨大な氷山が、海流にのって延々と東に流され、ランカスター海峡の入り口にまで達した可能性もある。

 いずれにしても、そこにはロスにしか見えないクロッカー山があり、彼はそれを見たせいで、それまで築き上げてきた名声を失い、二度と海軍が主催する探検に参加できなくなった。

===== 続く

※;下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます=ウィキペディア=に移行。

We are the WORLD

https://www.youtube.com/tv?vq=medium#/watch?v=OoDY8ce_3zk&mode=transport

【 Sting Eenglishman in New_ York 】

http://www.youtube.com/watch?v=d27gTrPPAyk

【 DEATH VALLEY DREAMLAPSE 2 】

http://vimeo.com/65008584

上記をクリック賜れば動画・ミュージックが楽しめます

----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------

 
================================================

   

 

・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

                          森のなかえ

================================================

 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 探検家群像=角幡唯介= 02 | トップ | 探検家群像=角幡唯介= 04 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

冒険記譜・挑戦者達」カテゴリの最新記事