【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 05月31日(金曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-05-31 05:10:32 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 数学者のガロアが自分の数学的知見を説明してる最中に決闘して死亡(1832年)、あまりに端折った説明だったため後世の学者の苦悩の種となる。がしかし、恋愛を巡る決闘で死亡と史実は言う。 ◆ 第一次世界大戦で変態紳士の艦隊と技術大国の艦隊が双方で撃ち合いを始め、あまりの激しさに双方で何隻か沈んだため、参加した誰しもが今日の我が艦隊はなにかおかしいんじゃないかと呟いたという(1916年=ユトランド沖海戦が始まる)。 ◆ 33年の時を経て、リチャード・ニクソンのスキャンダル絡みでぴーしたディープ・スロートが名乗り出る(2005年)。 おオ---今日は、拝火教信者にとっては地獄の一日とも言うべき世界禁煙デーであった。

◎ ◎ 氷菓からアイスクリームへ、4000年のあくなき探求の物語 =前節= ◎ ◎

- - -現代の冷凍技術なしに人々はどうやって冷たいスイーツを楽しんだのか - -

=National Geographic Journal Japan 〉 旅&文化 〉 2018.08.09 / 文: Alfonso López/訳:桜木敬子) =

 

 冷凍スイーツを楽しむためには現代の冷凍技術が不可欠に思えるが、実は冷たい菓子は何千年も前から存在している。中国 からメソポタミアに至るまで、あらゆる古代文明の特権階級が楽しんできた。 古来より乳製品を天然の氷や雪で冷やして飲む習慣があったと見られている。

 中国大陸の殷や古代エジプトにはシャーベットのような冷菓が存在したとされ、 ユリウス・カエサルやアレクサンドロス3世(大王)が乳や密に氷や雪を加えて飲んだり、 マルコ・ポーロがイタリアに伝えたとする説もあるらしい。

 4000年前の中国にはすでに、凍ったシロップのようなものがあった。紀元前400年頃のペルシャ帝国では、サクランボやザクロ、バラ科の果実であるマルメロなどから作ったシロップを雪で冷やした「シャルバット」が人気だった。現代の「シャーベット」「ソルベ」「シロップ」という英単語は、この「シャルバット」から派生した。

 一説によると、紀元前330年にペルシャ帝国を征服したアレキサンダー大王は、風味付けした氷にハチミツをかけたものを好んでいたという。古代ギリシャ人や、その後の古代ローマ人も、飲み物を冷やすことをしていた。ローマ帝国初期の皇帝ネロは、晩餐において果汁にハチミツと雪を混ぜたものを楽しんでいた。(参考記事:「暴君ネロ 明かされる真実」)  

 さらに千年の時を経て、1290年代にはマルコポーロが中国から様々な味の氷のレシピを持ち帰った。中にはミルクを使うものもあった。

 16世紀ヨーロッパのルネサンス期錬金術最盛期に、現在知られているアイスクリーム製法が見いだされた。  硝石の溶解熱(吸熱反応)による冷温を、パドヴァ大学の教授だったマルク・アントニウス・ジマラが発見した。 さらに、氷と硝石を混合するとマイナス25℃まで温度が下がる寒剤を、ベルナルド・ブオンタレンティ(Bernardo Buontalenti, 1536年 - 1608年)が発見し、人工的な氷結が可能となった。

 そして硝石は再結晶による回収が容易なので、この操作は繰り返し行うことができた。  現在のアイスクリームの原型は16世紀中頃、フィレンツェでブオンタレンティがメディチ家のために創作したセミフレッドのズコットとされている。フランスのオルレアン侯アンリ(後のアンリ2世)に嫁いだメディチ家の カテリーナ・デ・メディチ(Caterina de' Medici, 仏名:カトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis)、1519年 - 1589年)が、菓子職人とともにフランスに持ち込んだとも言われる。

 しかし、米国ニューヨーク大学のローラ・ワイスは、この話には根拠がないと述べている。  1686年、シチリア出身のフランチェスコ・プロコピオ・ディ・コルテッリ(仏名フランソワ・プロコープ)がパリでカフェ「ル・プロコープ」を開店し、1720年、シチリアの氷菓グラニータをアレンジしたグラス・ア・ラ・シャンティ(glace à la chantilly)を売り出した。これはホイップクリームを凍らせた氷菓であり、アイスクリームの商業的成功の最初の例と見なされている。  

  イギリスには1624年、カトリーヌの孫アンリエット・マリーがチャールズ1世(1625年 - 1649年)の元に嫁いだ時にジェラート(アイスクリーム)職人を伴い伝わったと言われる。チャールズ1世の宴会でフランスの料理人ド・ミレオによって作られ、大いに賞揚されたという。チャールズ1世は、アイスクリームの製法を秘密にし、王にだけアイスクリームを提供する見返りに、アイスクリーム職人に一生年金を与えたという伝説がある。

 しかし、この逸話は19世紀以前の文献には現れず、アイスクリーム売りによる創作とされている。なお、この時代になってもアイスクリームはまだ乳製品をほとんど使用しておらず、代わりにメレンゲを使用したシャーベットに近いものであった。 調達が難しい、貴重な氷  現代のアイスクリームの元となるこうした冷たい菓子を作るには、凍った川や湖か寒冷な山間部などから雪や氷を調達し、それを保存する必要があった。集めた雪や氷は、解けないように藁や枝とともに詰めて都市部まで運んでいた。

 到着後、雪や氷は熱と光を避ける氷室で保管された。また、氷を断熱用の藁やおがくずとともに深く掘った穴に入れることで、熱から守った。  中世になると、ヨーロッパ各地で雪を山から氷室に運ぶようになったが、氷の調達には多くの人出と手間がかかるため、非常に貴重な品だった。17世紀になると、個人所有の氷室が多く建てられるようになり、18世紀の終わりまでには町の中に大きな氷室が建設され、行商人たちが家から家へ氷の塊を売り歩くようになった。

 一部の都市では、氷の取引が当局によって規制され、価格や違法売買の罰則が設けられた。1807年のナポリには、43人の「氷売り」がいたという。規制によって、氷は夏季にのみ販売が可能だった。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・  

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