【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 06月01日(土曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-06-01 05:10:35 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 日本全域の気象観測を開始(1875年)。9年後のこの日は朝6時に日本初の天気予報を発表=警察署・派出所に掲示=するが、全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ。これで人々が信用すると思う? ◆ イギリスでしぶとく逆らい続けているデブを抹殺しようとしたナチス・ドイツが、手違いで二枚目の映画俳優を血祭りに挙げる (1943年=英国首相チャーチル暗殺が、映画俳優R.ハワードが犠牲となる) 。 ◆ 警察捜査の攪乱・妨害を繰り返す迷探偵の排除が目的として、探偵業規制法が成立 (2007年) 。

◎ ◎ 氷菓からアイスクリームへ、4000年のあくなき探求の物語 =後節= ◎ ◎

- - -現代の冷凍技術なしに人々はどうやって冷たいスイーツを楽しんだのか - -

=National Geographic Journal Japan 〉 旅&文化 〉 2018.08.09 / 文: Alfonso López/訳:桜木敬子) =

  

  氷菓を作る「自然の魔法」

 乳製品を冷菓に取り入れるようになったのがいつなのか、はっきりとはわかっていない。一部の歴史家は、アジアで発展して、マルコポーロによって西洋に持ちこまれたと考えているが、それはまったくの作り話だとして、強固に反論する人々もいる。

 乳とクリームをしっかり混ぜて滑らかに凍らせるために、吸熱反応が利用された。コックたちはアイスクリームの材料を金属製の容器に入れ、さらにそれを氷と塩、あるいは硝石の入ったバケツに入れた。塩は氷の融点を下げるので、氷が解けやすくなる。氷は解ける際に周囲から熱エネルギーを吸収するので、アイスクリームの材料から熱を奪い、その結果、冷えて固まるのだ。

 1550年にはローマ在住のスペイン人医師ブラス・デ・ヴィラフランカが、この吸熱反応を利用した技術がヨーロッパで用いられていることを論文に著している。この技術はイタリア中に広まっていき、1558年にはナポリ人ジャンバティスタ・デラ・ポルタが『Magia naturalis(自然の魔法)』の中でこう書いている。

 「パーティーで最初にしたいことと言えば、氷のように冷えたワインを飲むことでしょう。特に夏は。なので、ただ冷やすだけでなく、すすらないと飲めないほどに凍らせる方法を教えましょう。ワインをジャーに注ぎ、凍りやすいように少し水を足す。それから木製のポットに雪を入れて、硝石を振りかける。その雪の中でジャーの中身をかき混ぜると、徐々に凍っていきます」。このフローズンワインのレシピを元に、イタリア風シャーベット「ソルベット」の作り方が知られるようになった。  

   気候と文化があいまって、ソルベットはヨーロッパのどこよりもイタリアのナポリで人気を博した。1690年には凍らせる過程で氷をなめらかにした「ソルベッティ」についての初めての本がナポリで出版された。『New and Quick Ways to Make All Kinds of Sorbets With Ease(様々なソルベを簡単に作る早くて新しい方法)』だ。レシピに記載された材料を見る限り、貴族の家庭で読まれていたと考えられる。

 その後、ナポリのスペイン総督の下で働いていたアントニオ・ラティーニによる『The Modern Steward』が1692年から1694年にかけて出版された。料理や邸宅内のマネジメントについて書かれたこの本には、氷についての章が含まれている。

 ヨーロッパでアイスクリームが生まれたのは、やはりその頃のイタリアだったと考えられている。17世紀にはフランスにレシピが伝わり、その後英国に広まって、いよいよ大流行となった。「アイスクリーム」という英単語が初めて登場したのは、1670年代のことだ。1671年5月、ウィンザー城における聖ジョージの日の晩餐で、様々な豪華な料理とともに振る舞われたとの記述がある。

 みんな大好き、アイスクリーム狂想曲

 ソルベと違い、アイスクリームを作るのには大変な労働力を要した。まず手で氷を砕き、岩塩とともに大きな桶に入れる。クリーム、乳、砂糖、風味付けのための材料を入れたポットを、その桶の中に入れ、ポットの中身が固まってアイスクリームとなるまで手で何時間もかき混ぜる必要があった。多くの場合、アイスクリームはその後、果実や花をかたどった型に入れられた。アイスクリームを作り、供するためには莫大な費用がかかったため、ほとんどのヨーロッパ人は手が届かず、主に王族が楽しむものだった。

  ソルベットは18世紀にかけてヨーロッパの大都市で人気となっていった。当時育ちつつあった中流階級の人々が、店で冷たいスイーツを購入するようになったのだ。

 凍らせる過程で氷をなめらかにした「ソルベッティ」のほか、果実と氷を混ぜてザラザラの状態にした「グラニータ」や、氷にミルクを足した「ジェラート」、アイスクリームの前身である「ソルベッティ・コン・クレーマ」などがあった。パリ近郊で王室御用達の陶磁器を製造していたセーヴルなどの工場は、一般の人々もソルベットを楽しむようになると、店舗や家庭に向けてアイスクリーム用のカップアンドソーサーを製造するようになった。

 一冊まるごとアイスクリームの作り方について書かれた最初のレシピ本は、1768年にフランスで出版された『L’Art de bien faire les glaces d’office』だ。サブタイトルには「菓子を凍らせるための真理」とある。アイスクリームの流行は間もなく北米の植民地にも広まったが、合衆国の独立後も、18世紀の間は贅沢品だった。ニューヨークの商人が残した記録によると、ジョージ・ワシントン大統領は1790年の夏、アイスクリームに200ドルもかけたそうだ。今日の金額にすると数千ドルにもなる。

 アイスクリームがついに大衆にとって手が届くものとなったのは、米国においてだ。1843年、ニューヨークのナンシー・M・ジョンソンが、大幅に時間を短縮できるアイスクリームメーカーを発明し、特許を取得した。国内の企業がこの設計に改良を加え、アイスクリームを簡単に低コストで製造できるようにした。

 1851年にはメリーランド州ボルティモアの牛乳屋、ジェイコブ・ファッセルが初のアイスクリーム工場を建設し、アイスクリームが手に入りやすくなると、南北戦争後、アイスクリームの人気は米国中で爆発した。かつては王や女王しか味わうことのできなかったこのスイーツを、米国中の人々がアイスクリームショップやソーダファウンテンで楽しめるようになったのだ。 ・

・・・・・・・おわり 

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