☆ 大日本帝国陸軍の記念日をお祝いして、美軍機が帝都・下町の紙と木と土で出来た軍需工場群を綺麗に消毒してくれた(1945年=東京大空襲)。 ☆ “恥ずかしながら”とルバング島に残留していた陸軍少尉の小野田寛郎が救出される(1974年)。ああああああああ!大日本帝国陸軍/中野学校の教育は・・・・・・・。 ☆ 1985年の阪神タイガース日本一の際に道頓堀川に投げ込まれ、その後もタイガーズを呪縛し続けていたカーネル・サンダース像が、24年の時を経て引き揚げられる(2009年)。
本日記載附録(ブログ)
車線上の無残な動物の轢死体_瞬時に目をそむけ、遭遇した不運を呪う
しかし、彼は「かわいそうに」を飛び越えて_噴き出す感情は「もったいない」
誰もが知り謎に満ちたモグラ_身近な存在である哺乳類を研究する「モグラ博士」
自称「標本バカ」というほど標本にも魅せられた国立科学博物館動物研究部研究主幹
「モグラ博士」として知られると同時に、「標本バカ」の哺乳類分類学者_川田伸一郎(11/14)
【この企画はWebナショジオ(文=川端裕人、写真=的野弘路)】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)
第4回 夢は世界のモグラをコンプリート! =2/3=
さて川田さんは、日本国内のモグラの標本を自ら入手し、形態や染色体を見るようになってから、次第に海外にも目が向くようになった。日本国内のモグラはモグラ亜科の6種にヒミズ亜科の2種を加えて8種。世界では40種そこそこ。川田さんは、その中の25種を捕獲し、研究してきた実績を持つ。
「もちろん、すべてのモグラを捕獲して、研究して、標本を作りたいんです。分類を見ていきたいですよ。でも、研究の仕方については、海外でのフィールドワークを繰り返すうちに、いろいろ考えるようになりました」と川田さんは言う。
「やっぱり現地の研究者にやってもらうのが一番いいんです。でも、ベトナムですとか東南アジアでは日本のようにモグラの存在があまり知られていなくて、まず知ってもらうところから始めなければなりません。だから、僕はとりあえず1匹とらせてもらって、興味を持ってもらえたら、捕獲技術を伝えたり、研究の流れを伝えたり、できるだけサポートしていこうと思っています」
ヨーロッパやアメリカの博物館は、歴史的に、各国から大量の標本を持ちかえっている。例えば、絶滅したニホンオオカミの標本は数少なく、種を決める論文で証拠として使われた模式標本はオランダのライデンの自然史博物館にある。シーボルト事件で日本を退去する際、シーボルトが持ち帰ったものだ。これによってニホンオオカミが科学の世界に紹介され、分類名も与えられた。当時、日本には標本を残すのに適切な場所がなかったし、持ち去られていなければ、おそらくは無くなってしまった標本だから、やむを得ない。しかし、基準となる標本が、いつまでも海外にあるのは、どこか釈然としない気もする。
川田さんが、染色体を見て、分類を確定するためにもやはり標本は必要だ。川田さんは、現地で捕まえたものを仮剥製にして、骨格標本にすると、きちんとその場で観察・計測して、皮と骨の標本は現地に置いてくる。東南アジアでは染色体を見る設備がないところが多いので、染色体のサンプルだけは持ち帰らせてもらうけれど、その国に標本を保管するのに適した場所があるなら、「本体」は残してくる。現地の研究者にできるだけ任せる、というのが21世紀のフィールド研究の心得のようだ。
そして、川田さんのモグラをめぐる冒険は、形を変えながらもまだまだ続く。
名古屋大学で博士号を得て、国立科学博物館に就職した川田さんだが、その伏線は博士時代からあった。もちろんモグラをめぐってのことだ。
「博士課程の時に、ロシアのノボシビルスクに1年ほど留学しました。ロシア科学アカデミーのシベリア支部で、動物細胞学・遺伝学研究所というところです。その地域は、最北のモグラともいわれるアルタイモグラがいて、あたたかいうちは、捕獲できていたんですが、冬になって地面が凍ると、それができなくなってしまいました。それでなにをしたかというと、ノボシビルスクの博物館に通い詰めたんです」
・・・・・・・・明日に続く・・・・・
【参考資料】 : 川田伸一郎と世界のモグラたち(4/5)
Ω 国立科学博物館動物研究部/2014年度大会公開シンポジウム記録 Ω
ベトナムではより地域レベルの調査を行っており,北部から南部まで 10 地点ほどで調査を行っている.かつてはベトナムには 2 種のモグラが分布するとされていたが,捕獲個体を詳細に種同定したところ,ベトナム南部にドウナガモグラ E. parvidens が,北部にハシナガモグラ E. longirostrisとフーチェンモグラ M. latouchei が分布することが判明した.ベトナムにも Mogera 属のモグラが分布することが分かったのはこれが初めてである.
Euroscaptor 属と Mogera属は下顎切歯の数を調べることにより容易に同定可能で,実は 20 世紀前半にベトナム北部で行われた調査でもこれらの 2 種が捕獲されていることが,英国の自然史博物館での標本調査によって明らかになった.
当時これらの標本を調べたウィルフレッド・オスグッドは歯数の違いに気付かなかったのであろうか.ハシナガモグラとフーチェンモグラは同地域の高地と低地で接所的な分布様式を持つこともわかり,日本のミズラモグラと Mogera 属に似た関係なのである.
さらに調査地を増やして捕獲を行うと,北部の低地でも小型の Euroscaptor 属が分布していることが判明した.しかも同地域の高地には同属のハシナガモグラが分布している場所がある.外部形態はハシナガモグラよりもむしろドウナガモグラに似ているようである.
すでにベトナム産モグラの標本は 50 点を超えるコレクションになっていたので,詳しく調べてみたところ,ベトナム第四の種のモグラが存在することが明らかになった.この種の顕著な特徴は,尾が極めて短く,外見的にはほとんど毛下に埋もれて見えないことである.
この種にヒメドウナガモグラ E. subanura と命名することとなった.もう一つの重要な特徴は核型なのである.分類学者となった筆者はここで改めて染色体の興味深い特徴に立ち返ることとなる.
驚くことにベトナムの 4 種,すなわち Mogera 属のフーチェンモグラ,Euroscaptor 属のハシナガモグラ,ドウナガモグラ,ヒメドウナガモグラの染色体数はそれぞれ 30,34,36,38 であることが明らかになった.
なおフーチェンモグラはかつて台湾のタカサゴモグラの亜種と考えられてきたが,形態的な差異が著しいことから独立種と考えることができ,またタカサゴモグラの染色体数は 32 であることによって形態的な差異を補強している.このように,形態的に識別可能なすべての種が独特の染色体数によって特徴づけられているのである.
特にヒメドウナガモグラの 38 はアジア地域のモグラとしては初めて出てきた数字である.核型はやはり種の特徴を反映しているに違いない.
続く・・・・・
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