【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

タタールが夢見た大洋_26_

2015-09-29 17:23:08 | 歴史小説・躬行之譜

○◎ 更なる西へ、バルト海へ、アドリア海へ ◎○

★= カラコルムから伝令飛来 ② =★

 口から流れる血は後方に飛び、 食べることは叶わず 昼夜の区別を厭う余裕などはなく、 ただひたすら、 鬼神のように・・・・・・10日間で馬198頭を乗り潰し その任務を果たさんがために、カラコルムからドナウ河西岸の城砦・エステムゴを包囲中のバトぅ本陣に飛来した伝令。 彼はバトゥ総司令にカラコルムからの伝書を手渡すと 息絶えた。 1242年3月の事である。 バトゥは彼を一瞥もせず、伝書を開き、読んだ。 オゴディ皇帝死去の訃報であった。 ヨーロッパ遠征軍の帰還命令でもあった。  ≪ それにしても、蒙古帝国の伝令の通信組織の完備さには驚かされる ≫

 氷結したドナウ河を渡る前、“モヒの戦い”に勝利した時点(1241年4月11日)から、バトゥはカダアンにベーラ4世の追撃を命じていた。 ベーラ4世はハンガリー大国属領オーストリアのザフレフからアドリア海に逃れ、ダルマチアの海岸部に避難した。 アドリア海東岸・ダルマチア海岸の都市にはハンガリーからの亡命者が多く押し寄せ、ベーラ4世は貴族と聖職者を伴って小さな半島スプリトに逃走、更に南に移動してトラオに、トラオからアドリア海に面する沖の島にと渡って避難していた。 一方カダアンはクリッサ城にベーラが立て籠もっていると考えて包囲を行うが失敗し、ベーラがクリッサにいないことを聞き知ると包囲を解いている。 その後 直ちに諜報による情報に基づき、トラオとスプリトに軍を分けて進軍させ、トラオに到着したカダアンはベーラが籠る島の向かいに陣を敷いていた。

 オゴディ・ハーンの訃報が届けられると、バトゥは直ちに、アドリア海東岸に布陣するカダアンにひそかに軍を引き、東方に帰還する密命を発した。 オゴディ・ハーンの崩御は極秘事項とする伝令を発したのである。 他方、破壊するには惜しい城砦であったが、目前で包囲するエステムゴ城を強行手段で陥落させる命令を発した。 この時点で、ヨーロッパ遠征軍の先遣隊はウィーンに迫っていた。 タタール(モンゴル軍)の一部は欧州の華“ウィーン”近郊のノイシュタットまで迫っていた。  バトゥは【地尽き、海果てる地点】まで遠征軍を推し進め、馬蹄で眼前に広がる大地を征服する気概をなくすことはなかったのだが、オゴディ・ハーンの死が全ての歯車の回転を狂わせたのである。

 ウィーン近郊のノイシュタットまで迫っている。 ノイシュタットは“テューリンゲンの森”の南東部に位置し、この森を抜ければウィーンである。 帰還せねばならない総司令官バトゥには、この城塞都市を落とし 地歩を固めて オーストラリアを征服するには時間が足りなかった。 次期皇帝を決めるクリルタイがカラコルムで開かれる。 ジンギス・カーンの長男家の家長としてカラコルムに向かわなければならない。 この遠征途上で、喧嘩別れしたオゴディ・ハーンの後嗣・グユクやチャガタイ家の諸子らと犬猿の仲になったことがオゴディ皇帝との約束【地尽き、海果てる地点】までの遠征に暗雲を垂らした。 ヨーロッパ遠征軍は、この地域の征服は諦め、ドナウ流域を経由して キプチャク草原への撤退を開始せねばならない。

 バトゥ指揮下のモンゴル帝国西方遠征軍は、オーストラリア侵攻を諦めざるをえなくなった。 蒙古軍団としての遠征任務を命じたクリルタイ首謀者が居なくなったのである。 蒙古軍団をさらなる西方へ推し進める《御旗》が消失したのである。 更には、ベーラ4世の生死を確認できない状況下では、ハンガリー王国の支配を放棄して帰国することを余儀なくされた。 しかし、カルパチア山脈以東のルース(ロシア)諸国を中核とする東欧の領土は、カラコルムの意向がどのような展開になろうとも、大祖父ジンギス・カーンと父・ジュチとの約束《アルタイ山脈以西のちは、おのれの力で奪い取れ。 他の兄弟に遠慮することのない新天地》をクリルタルで認めさせねば成らない・・・・・・・・。 

 バトゥはヨーロッパ遠征軍の撤退を命じた。


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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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