【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

ツタンカーメン・系図の真実 追考-②

2013-04-29 15:31:10 | 冒険記譜・挑戦者達

Tutankhamen King_TUT  /  Amazement_Genealogy

~ ツタンカーメン! その父親と母親は誰なのか? 驚愕の真実とは ~

遺伝子で家系を探る

 ツタンカーメンの父と母は誰なのか。

 その答えを求めて、私たちザヒ・ハワス・ケネス・ギャレットは ツタンカーメン本人と、その直系の親族とおぼしき10体のミイラからDNAを採取し、解析を行うことにした。

 DNAの抽出過程では現代人のDNAが混入するおそれがあり、解析可能なサンプルを取り出すのは至難の業だ。 死者の眠りを乱してまでDNA鑑定を行うことに、私は懐疑的だった。

 しかし、2008年に専門家たちと話し合った結果、技術の進歩はめざましく、有用な成果が得られる可能性が十分にあると確信できた。

 私たちはDNA鑑定のために、カイロのエジプト考古学博物館の地下とカイロ大学医学部の2カ所に最新の装置を備えた研究室を設けた。併せて、カイロ大学医学部のアシュラフ・セリムとサハル・サリームが中心となり、11体のミイラをCTで詳しく調べることになった。

 11体のうち、4体の身元はわかっていた。 1体はツタンカーメン自身で、今も王家の谷に安置されている。あとの3体はアメンへテプ3世と、その妃(きさき)ティイの両親イウヤトゥヤで、エジプト考古学博物館に展示されている。

 身元不明のミイラのうち1体は男性で、王家の谷にある謎の墓KV55で発見されたものだ。 考古学的な証拠と文字の記録から、アクエンアテンかスメンクカーラーだとみられていた。

 ツタンカーメンの母親と妃を特定するために目をつけたのは、身元のわからない4体の女性のミイラだった。 そのうち2体は、1898年にアメンへテプ2世の墓(KV35)内の小部屋で見つかったもので、それぞれ「年配の女性」、「年下の女性」と呼ばれていた。

 発見時には2体とも遺体を包む布をはがされ、床に放置されていた。おそらく新王国時代が終わったあとの紀元前1000年前後、神官たちが遺体を盗掘から守るためにここに隠したのだろう。 あとの2体は、王家の谷の小さな墓(KV21)で見つかった名前のわからない女性のものだった。

 さらに、ツタンカーメンの墓で見つかった2体の胎児からもDNAの採取を試みた。 この2体は保存状態がきわめて悪く、あまり期待はもてなかった。 だが、成功すれば、ジグソーパズルの欠けていた破片が埋まり、5世代にわたる王家の家系図が完成する可能性があった。

 解析可能なサンプルを得るために、1体につき数カ所から組織を採取した。 採る場所は必ず骨の奥深くにする。 過去に遺体に触れた古代エジプトの神官や考古学者のDNAが混入しているおそれがないからだ。 研究者自身のDNAが混じらないよう、細心の注意を払った。

 採取した組織から、ミイラ化の際に防腐用に使われた軟膏(なんこう)や樹脂を取り除いて、DNAを分離する。 防腐剤はミイラによって異なるので、不純物除去の手順もそのつど違ってくる。

 調査の中心となるのはツタンカーメンだ。 分離がうまくいけば、透明なDNA溶液ができるのだが、最初にできた溶液は黒く濁ってしまった。 防腐剤の正体を突き止めて取り除く方法を編み出すのに、6カ月を要した。 こうしてようやく試料を抽出でき、DNA断片を増幅して解析する段階にこぎつけた。

 ツタンカーメンと他の3体の男性ミイラ(イウヤ、アメンヘテプ3世、KV55号墓で見つかった身元不明の男性)からDNAを抽出すると、父親を特定する作業に取りかかった。

 いくつかの碑文で、ツタンカーメンはアメンヘテプ3世を「わが父」と呼んでいる。 だが、これは「祖父」または「祖先」とも解釈できる言葉なので、これだけでは父子関係を断定できない。 しかも、これまでの研究では、アメンへテプ3世はツタンカーメンが生まれる10年ほど前に死亡したという説が有力だ。

 ツタンカーメンの父親だと多くの学者が考えているのは、アクエンアテンだ。

 アマルナの近くで見つかった石灰岩の破片に、ツタンカーテン(後のツタンカーメン)とアンケセンパーテンを「王の最愛の子供たち」と呼んだ碑文が刻まれているからだ。

 アンケセンパーテンがアクエンアテンの娘であることはわかっているので、ツタンカーテンはアクエンアテンの息子と考えるのが自然だろう。 しかし、この証拠だけでは不十分だとみる学者もいる。 父親は謎の人物スメンクカーラーだとの主張もあった。

  アメンホテプ3世(Amenhotep III、在位:紀元前1386年 - 1349年、あるいは紀元前1388年 - 1351年)は、古代エジプト第18王朝の第9代ファラオ(王)であった。

 即位名はネブマアトラー。  「真実の主はラーなり」の意。 正妻はティイ。 子はアメンホテプ4世などで、 ツタンカーメンが生まれる10年ほど前にアメンへテプ3世は死亡したという説が有力なので謎が深まった。

 ネブマアトラー(アメンへテプ3世)は、トトメス3世、トトメス4世の時代を経て絶頂に達した王国を継承した。 在位期間も長く、40年近くに及んでいる。

 アメン神を崇敬すること篤く、テーベにカルナックのアメン神殿と直結する分神殿としてルクソール神殿を建設している。 このほか、同地に広大な自身の葬祭殿も建設している。

 葬祭殿は後に後代の王たちによって破壊されたが、メムノンの巨像と呼ばれる彼の坐像は破壊されずに残り、現在でも形をとどめているのです。  ツタンカーメンが即位し その権勢の巨大さが偲ばれるのだが・・・・・・

 =資料・スメンクカーラー= 

スメンクカーラー(SmenkhKaRa)は、古代エジプト第18王朝のファラオ(王)。名は「生あるものはラー神の出現」の意。 ツタンカーメンの実父説がある。

スメンクカーラーの謎; スメンクカーラーは新王国時代のファラオにしては珍しく、実像がほとんど明らかになっていない。  ツタンカーメンやアクエンアテン(アメンホテプ4世)と共に王名表から名が削除されたことや、ツタンカーメンよりも像やレリーフなどの遺物が残されていないためである(ツタンカーメンの場合も、墓から出土した物以外の遺物は極めて少ない)。

スメンクカーラー系譜; アメンホテプ3世の子でアクエンアテンの弟である、 アクエンアテンの息子である、など系譜上における位置が確定していないため、結論は未だに無い。 中には、王妃ネフェルティティがハトシェプストに肖って即位した際に使った偽名とする説も存在する。

 スメンクカーラーの別名「ネフェルネフェル・ウ・ラー」をネフェルティティが用いていたことに加え、スメンクカーラーがあたかも女性としての扱いを受けていたかのようなことを匂わせる遺品等も数多く発見されており、このことがよけいに研究者を混乱させている。

アクエンアテンの共同統治者とされ、メンフィスを本拠地にアメン神官団とアクエンアテンとの意見の調整を行っていたと考えられている。 王妃はアクエンアテンの王女メリトアテン。 子は確認されていない。

アクエンアテンとほぼ同時に亡くなっているが、在位期間の短さのため墓が用意されていなかったのか、それとも何らかの混乱があったためか、最初からスメンクカラーのために用意された墓は現在も確認されていない。

イギリスの歴史ミステリ作家であるグレアム・フィリップス(Graham Phillips)は王家の谷 KV55をスメンクカーラーの墓とし、アクエンアテンの妃の一人(ティイ)のものと思われる女性の棺、陵墓を再利用してスメンクカーラーの墓に充てたとしている。

棺は顔が判別できないほどに右目を残してことごとく破壊され、頭部のウアジェト女神と顎鬚は後から加えられ無理矢理男性の型に直されたことは一目瞭然である。 またその陵墓は文字の類ひとつない粗雑な未完成の墓であり、壁の加工も粗末で地下水の浸水により、発見当初棺は開いて防腐処理されたはずの遺体はすでに腐って白骨化していた。

しかし、ザヒ・ハワス等、KV55をアクエンアテンの王墓と位置づけている研究者もおり、混乱は未だに解決をみない。

KV55から発見されたミイラはエジプト考古学博物館で保管されているが、棺が破壊されていたため発見当時には既に白骨化していた。 このため、死因に関しても過労死説、殺害説などがあり不明。 発見された遺体は男性のものであるが、その腕はなぜか女性の形(片腕を胸に置き、もう片方の腕を身体に沿って下げる)で納棺されていた。

頭像とされるものが発見されており、容姿はある程度判明している。 =ただこれもまた奇妙なことに、男性なのに胸部が女性のように膨らんでいたり、と謎が多い=

また、ツタンカーメンの第二の棺とカノプス壷に収められたミニチュア棺型の臓物容器は、いずれも元来スメンクカーラーのために作成された副葬品であることが確認されている。  =X線などによる「潰された」カルトゥーシュの精査、およびハワード・カーターのツタンカーメン王墓発掘の際の手記などによる=

そのほかツタンカーメン王墓で出土した副葬品の内、かなりのものがスメンクカーラーの物であったことも判明している。 これらの証拠から、スメンクカーラーが実在した可能性は高いと見られているが・・・・・・。

 

 

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