【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

ツタンカーメン・系図の真実 追考-③

2013-04-30 10:39:32 | 冒険記譜・挑戦者達

Tutankhamen King_TUT  /  Amazement_Genealogy

~ ツタンカーメン! その父親と母親は誰なのか? 驚愕の真実とは ~

父親は判明、母親は……

 ミイラからDNAを分離できれば、あとはアメンへテプ3世、KV55号墓のミイラ、ツタンカーメンのY染色体の遺伝子を比べ、血縁関係の有無を確かめるのはさほど難しくはない(Y染色体は父親から息子に直接受け継がれるので、血縁関係のある男性同士ではY染色体上のDNAパターンが一致する)。

 しかし、関係を正確に知るには、より高度な「DNA指紋法」による解析が必要になる。 染色体上にはA、T、G、Cの4種類の塩基が並び、遺伝情報を伝える暗号のような役割をしている。

 人間のDNAには、数個の塩基から成る配列パターンが何度も繰り返されている領域があり、その反復の回数は人によって異なる。 10回繰り返されている人もいれば、15回あるいは20回という人もいる。

 FBI(米連邦捜査局)のDNA鑑定の基準では、こうした領域を10カ所調べて、すべての反復回数が一致すれば、犯人特定の重要な決め手とされる。

 3300年前のミイラから採取したDNAで家族関係を調べる際には、犯罪捜査ほど厳しい基準を設けなくてもいい。 今回の調査では8カ所の反復回数を比べ、99.99%の確率で、KV55号墓のミイラがアメンへテプ3世の息子であり、ツタンカーメンの父親だという結果を得た。

 これで父親の遺体を特定できたわけだが、この遺体が誰なのかは依然として謎だった。 おそらくアクエンアテンかスメンクカーラーだろうと、私たちは目星をつけていた。 KV55号墓のミイラを収めた棺(ひつぎ)には、アクエンアテンだけに関連のある言葉が刻まれている。

 とはいえ、アクエンアテンでないことを示唆する証拠もあった。 それまでの調査では、KV55号墓のミイラは25歳より前に死んだと推定されていたのだ。

 アクエンアテンは王位に就く前にすでに二人の娘をもうけ、17年間統治を行っている。 その遺体にしては若すぎるため、“影”のファラオ、スメンクカーラーの遺体ではないかと、大半の学者が考えた。

 この謎を解くため、新たな“証人”として、「年配の女性」と呼ばれるミイラ(KV35EL)に目を向けた。 赤みを帯びた長い髪を肩まで垂らし、死してなお美しい。

 このミイラの頭髪と、ツタンカーメンの墓で見つかった入れ子式の小さな棺に入っていた髪の毛の束が、その形態から同一人物のものであることがわかっていた。

 この小さな棺には、アクエンアテンの母であるティイ王妃の名が刻まれている。 ティイの両親であるイウヤトゥヤのミイラとDNAを比べた結果、「年配の女性」がティイであると確認できた。 あとは、KV55号墓の男性が、彼女の息子かどうかを調べればいい。

 

 KV55号墓の男性と「年配の女性」のDNAを比べたところ、血縁関係があることが確認できた。

 KV55号墓のミイラを改めてCTスキャンで調べると、背骨に老化による衰えが見られ、膝と脚の骨関節炎を患っていたことがわかった。 これで死亡時の年齢は25歳ではなく、40歳前後だったという線が濃厚になり、年齢の問題は解決した。

 アメンへテプ3世とティイの息子で、ツタンカーメンの父親であるKV55号墓のミイラは、ほぼ確実にアクエンアテンだと結論づけられる(ただし、スメンクカーラーである可能性が完全になくなったわけではない)。

 これまで、この一族はマルファン症候群(骨が長くなるなどの症状が出る遺伝性疾患)のような先天性の病気を抱えており、アクエンアテンが顔の長い女性的な姿に描かれているのも病気のせいだと言われてきた。

 だが、今回のCTスキャンではそうした病気の痕跡は全く認められなかった。 アクエンアテンの像が両性具有のような印象を与えるのは、男性でも女性でもあり、全生命の源とされるアテン神とファラオを同一視した当時の美術様式によるものだろう。

  では、母親は誰だろうか。驚いたことに、KV35号墓で見つかった「年下の女性」(KV 35YL)とツタンカーメンのDNAが一致した。 それ以上に驚いたのは、この女性がアクエンアテンと同様、アメンへテプ3世とティイの娘だとわかったことだ。

 つまり、ツタンカーメンの両親は実のきょうだいだったことになる。

 これまでに知られているアクエンアテンの妃たち、つまりネフェルトイティと第2王妃のキヤは、ツタンカーメンの母親ではない。 歴史的な記録から、この二人はアクエンアテンの実の姉妹ではないことが知られているからだ。

 アメンへテプ3世とティイの間に生まれた5人の娘の名前はわかっている。 しかし、そのうちの誰がツタンカーメンの母親かは、おそらく永久にわからないだろう。

 古代エジプトの王家では、近親婚は珍しくなかった。 だが、アクエンアテンと「年下の女性」の近親婚は、息子であるツタンカーメンの早すぎる死を招くことになったと、私は確信している。

 =資料・アメンホテプ4世・アンケセナーメン=

アメンホテプ4; 後に改名してEigennameをイクナートン(Echnaton)と名乗った。 父はアメンホテプ3世、母は正妃ティイといわれる。

アメンホテプ4世の像は指が異常に長い、顎が尖る、脂肪の付き方が不自然であるなどマルファン症候群の特徴的な症状を持つように受けられ、生前から奇形だったという説もあるが、王家の血筋ではない王妃ネフェルティティや家臣たちも同様の形式で描かれることから、これはアマルナ美術特有の高貴な人々の表現形態であったと見るのが妥当である。

また、遺伝子調査による王族のミイラ特定に伴い、この表現は、王家の人々の容姿の特徴をかなり誇張したものであることも分かってきている。

病弱であったとする証拠は特に無く、かつては憶測のままだったが、2010年の本人のミイラ特定により、今後の研究が待たれる状態となっている。

彼の行った改革は、アマルナ改革として有名である。 アテン(太陽)神を崇拝し、治世4年目(前1368年ごろ)にアテン神に捧げる新都アケトアテン(現アマルナ)を建設。 王朝発祥の地テーベを放棄し、遷都した。

アメン(アモン、テーベの町の守護神)を祭る神官勢力が王を抑えるほどの強い勢力になったことをアメンホテプ4世が嫌い、宗教的権力を王権と一本化することを狙った宗教的改革と考えられる。

前者の理由が一般的だが、アメンホテプ4世自身がアテンを称える詩を執筆している等、単なる政治的理由だけでは説明のつかない事も多く、後者(遷都)の理由も大きかった事がうかがえる。

多神教であった従来のエジプトの宗教を廃し、唯一神アテンのみを祭る世界初の一神教を始めた事が挙げられる。

ただし、著名な宗教学者のエリアーデは、アメンホテプ4世の宗教を評し、「実際には二神教であった」としている。  というのも彼の宗教ではアテンのみならず、伝統的なエジプト宗教と同じく王たるアメンホテプ4世自身も神であるとされたからである。

アテンは太陽円盤の形で数多くの手を持っており、通常のエジプト宗教においてこれは多くの民を救う為のものであると解釈されていたにも関わらず、アメンホテプ4世の宗教では、アテンはアメンホテプ4世だけの為の神であった。

そしてその他の一般の民に対しては、アメンホテプ4世自身を神として崇拝するよう説いたのである。

 

 アンケセナーメン(Ankhesenamen,紀元前1344年頃-不明)は、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオ・アクエンアテンと正妃ネフェルティティの三女であり、ファラオ・ツタンカーメンの妻である。

 当初の名をアンケセンパーテン(Ankhesenpaaten)といい、実父アクエンアテンの妻だった時期もあるが、アクエンアテンの死後、異母兄弟ツタンカーメンの妻となったさいにアテン神からアメン神に信仰を変えアンケセナーメンと改名した。

ツタンカーメンとは幼なじみだったといわれ、若くして亡くなったツタンカーメンの棺の上に(発掘時)置かれていた、ヤグルマギクの古く乾燥した花束は王妃アンケセナーメンの贈り物との説もテレビで流されている。

ツタンカーメンの早世後は、ファラオを継いだアイの妻となるが、アイは、祖母ティイの兄弟にあたるといわれ、実際に祖父アメンホテプ3世の時代から名を馳せていた神官であるので、年齢差が相当大きかったのではないかと思われる。

この新しい夫には前夫ツタンカーメン暗殺説もあり、それらを踏まえたうえで、アンケセナーメンは、小説や漫画では運命に翻弄される悲劇の王妃として描かれることが多い。

また、アンケセナーメンはアイとの結婚を嫌い、ヒッタイトの王、シュッピルリウマ1世にその王子を婿に迎えて国王としたいとの手紙を送った。 シュッピルリウマ1世は、王子ザンナンザをエジプトに送ったが、途中で暗殺された。

この暗殺首謀者はアイだという説がある。  一方で、アンケセナーメン自身がアイと共謀しツタンカーメンを暗殺したという説もある。

なお、王家の谷で2005年に発見された墓であるKV63は、ツタンカーメンの墓に近く、内容物も同時代のものであったことから発見当初はアンケセナーメンのものとも推測されたが、その後の調査により、墓ではなく、埋葬時に使われた道具(ミイラ作り用のベッドやナトロンを含む)を収めた場所と判明した。  尚、室内からツタンカーメンやアンケセナーメンの名が刻まれた品は発見されていない。

2010年に行われたDNA解析により、王家の谷の墓KV21で発見された2体のミイラのうちKV21Aがアンケセナーメンのものであるという説が提唱されているが、確証は得られていない。

また、遺体の損傷がひどくいかなる姿だったかすらわからない有様となっている。

  

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