人生は
「得手に帆を上げて」
生きるのが最上だと信じている。
各人が一番得意なものに全精力を打ち込んで人に惜しみなく与え、
自分の欠陥は人に補ってもらうというのが、
道徳教育の基本になるきである。
技術よりたいせつなのは人間の思想であって、
考え方がしっかりしていれば、技術はあとからついてくる。
人間というものは、悲しさ、無念さを心底から味わいながら、
それに耐えなければならない。
耐える心に、新たな力が湧くものだ。
全てそれからである。心機一転、やり直せばよいのである。
長い人生の中で、そのための一年や二年の遅れは、モノの数ではない。
本田宗一郎
池田清彦
「正しく生きるとはどういうことか」より
人々が自分の欲望を解放する自由
(これを恣意性の権利と呼ぼう)は、
他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り、
保護されなければならない。
但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる。
善く生きるとは、
あなたの欲望を最も上手に解放することだ
自分固有の規範は自分で考える他ないのである。
自分の生き方は自分で決める他はない。
あなたが他人に対して、
どういう行動をとるかはあなたの勝手である。
しかし、あなたはどんな場合でも、
他人の行動を束縛することはできない。
だから、他人との関係において、
あなた固有の規範は、
他人に対する能動的な行動だけとなる。
「敬天愛人」南洲翁遺訓より
道は天地自然の物にして、
人はこれを行うものなれば、
天を敬するを目的とす
天は我も同一に愛し給ふゆえ、
我を愛する心を以て人を愛する也
★道はこの天地ありのままになるもの、
人も同じよう行うべきもの~まずは天を敬うべきである。
天は平等に人々を愛する~自らを愛し人を愛すること。
弗慮胡獲 弗為胡成慮
(オモンバカ)らずんばなんぞ獲ん
為さずんばなんぞ成らん
「書経」より
何事も十分に
思慮をめぐらし、
行動に移さなければ
よい結果は得られない。
★考えることと
行動すること
どちらが欠けていてもいけない
河海不択細流
河海は細流を択ばず
【訳】黄河や海は小川だからと言って選り好みせず、
併せ入れるからこのように大きくなる
【出典】『戦国策』・秦
黄河はじめから大きいのではなくて、
小さな川をあわせていってその結果大河になる。
人間は心を広くもって色々な意見を受け入れることで初めて大成できる。
時には耳に逆らうような意見も
自分のためだと思い謙虚に受け止める姿勢が大事。
1910~1997年。マケドニア(旧ユーゴスラヴィア)生まれ。18歳のときロレット修道会のスターとしてインドにわたり、布教活動のかたわら修道会付属高校で教師として働く。36歳の時に神の啓示を受けて独自の修道会組織をつくり、貧しい人や孤児、難病患者の救済活動にのりだす。スラムの人々とともに暮らし、宗教や民族の壁をこえて「愛の奉仕」を実践するマザーの姿は全世界で熱い感動を呼び、1975年にはシュバイツァー賞、1979年にはノーベル平和が贈られた。日本にも三度来日。1997年9月5日、心臓発作のため87歳で死去。
人間であるとは、
確固として明朗かつ晴れやかであることです。
人間であるとは、
必要とあれば、自分の全生命をの上に喜んで投じ、
しかも同時に明るい毎日や美しい雲の一つ一つを楽しむことです
ローザ.ルクセンブルク
力強さは、使命感を持つところから生まれる
松下幸之助
★非難を受けながら、いささかもひるむ事なく、
信じるところを説き続ける宗教家の生涯を見ると、
使命感に貫かれた強さを感じずにはいられない。
実業の世界であれ、技術の世界であれ、
使命感を持った人は、強く人をけん引する。