2018,12,28の紙面から_民音が開いた文化の地平(抜粋)
81年7月。中国、イラク、パキスタン、ルーマニアの芸術家による、第2回「遙かなる楽人たちの道」(楽器編)の公演がスタートした。
圧巻はフィナーレの合同演奏「越天楽」。小泉氏が特に思いを込めた企画である。
敦煌の壁画に描かれる楽人の合奏が、ステージ上で“再現”された。終演後、しばし喝采がやまなかった。
一方、出演者同士の“文化の違い”は想像以上に大きかった。宗教上の理由による食事制限があれば、スタッフは街を走って食べられる物を探した。公演会場の一室に絨毯を敷いて、イスラム教のお祈り用の部屋を設けたこともあった。
民音のシルクロードシリーズで、長年、出演者のツアーマネジャーを務めた遠藤建吉氏。「通常、こういった類の公演が終われば、海外からの出演者は、疲れてぐったりするのが普通です。でも民音公演は違いました。みんな、逆に元気になってバスに戻ってくるんです」
小泉氏は、出演者を迎える民音側の姿勢に深く共感していた。
かつて大阪万博に招待されて演奏した海外の音楽家たちが、受け入れ側から心ない対応を受けたことがあった。氏は自腹を切って歓待した。
一方、民音の大阪公演では、京都の史跡見学など、出演者が日本文化に触れられ
るようにと心が尽くされていた。
小泉氏は、うれしそうに語っている。「スピリチュアル・シルクロード(精神のシルクロード)なんでしょうね。民音にはハートがあります」
◇ ◆ ◇
第3回の考察団の調査結果をもとに、打ち合わせを重ねていた83年6月。小泉氏が背中の痛みを訴えた。「ちょっと失礼。少し休ませてください」 病院へ行くと、膵臓癌と診断された。すぐに入院し、面会謝絶となった。
第3回「胡旋舞の道」公演が始まる約1カ月前のことだ。
ある日、民音スタッフに、病床の小泉氏から電話があった。
病室に駆け付けると、小泉氏は言った。「何とかしたいが、舞台には立てないかもしれない」
氏は第1回以来、毎回の公演で司会に立ち、解説役を務めてきた。弟子の小柴はるみ氏が、司会の代役に立つことになった。
7月、シリーズ第3回の公演が始まると、小泉氏は妻の代筆で手紙を寄せた。“最終の東京公演は、救急車をお願いしてでも駆け付けたい”
そうした氏の情熱にも支えられ、公演は大成功。中国、インド、トルコからの出演メンバーが帰路に就いた翌日、小泉氏は息を引き取った。
◇ ◆ ◇
84年12月、中国側から突然、民音に電話が入った。「今なら交渉が可能かもしれません」
シリーズ第2回、第3回と、中ソの共演を拒んできた中国。だが、ようやく雪解けの兆しが見え始めた。
小泉氏をはじめとする関係者の悲願が、ついに実現の瞬間を迎えることになる。
激動の時代である。各国の出演者は、来日公演の合間に母国のニュースを食い入るように見つめていた。
関係者の胸に焼き付いている光景がある。
1979年8月12日。全国17都市の巡演を終えて迎えた帰国の日。ホテルのロビーでは、それぞれの出発時間ごとに、他の国の共演者が見送りに。抱擁を交わし、涙を流す。
イラン・イラク戦争の前年。中には帰国後に出征する出演者もいた。無事を祈りながら別れを惜しんだ。
第1回公演以来、関係者の悲願となっていたのが、政治的に激しく対立していた中国とソ連(当時)の合同公演である。
70年代は、日中関係が大きく動いた時代だった。72年に日中共同声明が調印され、78年、日中平和友好条約が締結された。
その間、早くも75年には、中国北京芸術団が民音の招聘で日本公演を果たしている。中国側に何度も合同公演を呼び掛けたものの、中ソの共演だけは強く拒否された。
第2回公演の開催へ、民音は再び考察団を派遣。80年7・8月、小泉団長を中心に、北京、西安、蘭州、敦煌、ウルムチ、クチャ、カシュガル、さらにパキスタンの各地に足を運んだ。
一行は、行く先々で「池田先生がつくられた民音ですね」と声を掛けられた。
国内とは正反対の評価に驚きを隠せない。
考察団は敦煌莫高窟、キジル千仏洞などの史跡の壁画を音楽的観点から調査。莫高窟では壁画に描かれた全ての楽器を写真に収め、類例を見ない実績を収めた。
中国から帰国する前日。北京にいた一行を、「敦煌の守り人」として知られる常書鴻氏が訪ねた。
「私には命の恩人が二人います」と語る常氏。さらに続けた。
「一人は文化大革命の時に守ってくださった周恩来総理。もう一人は、私の研究を理解し、励ましてくださった池田先生です」
砂漠の砂に埋もれ、崩壊の危機にあった莫高窟。常氏は、私財をなげうち、敦煌芸術の保護に身をささげた。土砂崩れを防ぐために周辺に木を植え、土塀を作った。
水も電気もない。土を固めてベッドや机をこしらえた。
文化大革命では、“敦煌芸術という精神的アヘンで人民を毒する元凶”と批判され、肉体労働を課せられた。暴行などの迫害は10年に及んだ。
この筋金入りの人物が「命の恩人」と語るのが池田先生だった。
襟を正す考察団一行。シルクロードを巡る旅は、池田先生が開いた友好の道をたどる旅でもあった。
【検索】 芸術|世界中の人々のための音楽(民音)
宗教コミュニティーが幅広い支持による核兵器禁止禁止条約の採択を訴える
スタジオは党首ぞろい。
まあ、年頭はいつものように党首のあいさつから始まるのがならわしのようですから、
すべてに傾聴してみた。
まあ、安倍さんにエールを送るしかないか。
水害、震災等で損なわれたインフラ復旧。
基本インフラの復旧は待ったなし。
各野党党首のすべてにわたって聞き終えてみても響くものはなし。
政権批判はいいけれど、
民主党政権時代のコンクリートから人への公共事業削減は、
そもそも建設業の人手不足の生みの親ではないのか。
建設業界崩落を引き起こし、業種転換を余儀なくされたところもあり、
その悪影響は建設業界にはじまる職人の人手不足にもつながっているというちまたの声にも合点のいくところ。
災害復旧に向き合う自衛隊員の印象。
緊急のときこれぐらいありがたいことはない。
政治の世界、政治に取組む姿勢もそれぐらいの印象でふりかえられるぐらいに真摯にお願いします。
まあ、年頭はいつものように党首のあいさつから始まるのがならわしのようですから、
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そもそも建設業の人手不足の生みの親ではないのか。
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その悪影響は建設業界にはじまる職人の人手不足にもつながっているというちまたの声にも合点のいくところ。
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亡き親方に思いを込め、貴重な胡麻を使って担々麺を作る元力士に密着!
紹介されたのは『喜界島担々麺 香 北の浜部屋』。
白石さんが九重部屋に所属していた当時の親方は第58代横綱・千代の富士さん。
19歳の時に肩の脱臼が度重なり、相撲に見切りをつけ、1997年に引退。引退後は中華料理の世界へ。
白石さんが働くお店に顔を出してくれていたという千代の富士さん。修業している間に出会った喜界島の胡麻。
味の決め手は喜界島産の胡麻で、香りよく高級。生産量少なく希少価値なもの。
でも、喜界島担々麺のお店を独立してオープンした時にはすでに親方は亡くなられていたという。
千代の富士さんの娘さんに喜界島担々麺を振舞っている姿を画面から。
2019年1月5日放送の『LIFE~夢のカタチ~』
仕込み。仕入れの原料の胡麻。
法要の席での引き合わせてくれたかのような喜界島出身の現役力士との邂逅。その後のメニューへのこだわりをカタチに。
恩を知る生き方を
視聴できました。
家族が多いときはカラオケも
今は正月くらい。音楽番組少なくなったような気も。バラエティ番組のオンパレード
普段の好きなバラエティ番組:「プレバト」(俳句査定)。
NHKの好きな番組
音楽番組『SONGS』
72時間
こころ旅(BS)
ブラタモリ(NHK総合)
『タモリと鶴瓶』
目撃にっぽん
小さな旅
100分 de 名著 (Eテレ)
歴史秘話ヒストリア(Eテレ)
探検バクモン(NHK総合)
等々
スーパープレゼンテーション
SWITCHインタビュー達人たち
超絶凄ワザ(NHK総合)
オイコノミア(Eテレ)
1日中いても飽きないところ:それはあんまりないが、しいて言えば図書館・ホームセンターDIYコーナー・ブックOffか
聴いていたい曲
忌野清志郎:よぉーこそ!(京都版)
忌野清志郎 IMAGINE