トトヤンの家庭菜園

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林健太郎

2018-05-14 17:04:08 | 日記


全共闘の学生らに百七十時間に及び軟禁され、学生側と団交を行ったが、学生側の要求をことごとく拒否した林健太郎 。

「出たい人より、出したい人を」「参議院は知性と良識の府」が合言葉となり、当時の議員としては、ユニークな顔ぶれ。

参議院議員選挙で初めて比例代表制が導入され、今の参議院選挙の比例代表制とは異なって、各政党はあらかじめ順位をつけた候補者名簿を発表することになっていましたよね。

この新制度の導入に伴い、各政党は、候補者名簿の上位に、学者、文化人などの党外候補をおいて、新しいカラーを出そうと競い合っていたなあと。

各政党といっても、自民党と公明党。

東大総長から、参議院議員になった、林健太郎(自民党)と

理論物理学者から立候補、当選した参議院議員伏見康治などが、記憶に残るところではある。


林健太郎の書、『歴史からの警告』はちょうど、当時の今日的なテーマも含まれていて、戦後復興の歴史の解釈から、イラク派遣支持。村山政権批判などは面白かった読後感が。

青年期はマルクス主義者とも呼ばれながら、保守の論客とも目されていく。満州事変からの兵士経験を背景にした個人史も綴られた『昭和史と私』等々の著作。参議院議員になってからは、安倍70年談話にも連なる節の感じられる多くの新聞投稿。


政界では一回り若いはずの市川雄一氏も亡くなられていく。

それに付随して時代と共に政治記者の新旧交代も激しくなっていくでしょうね。

ここ最近の政治記者の質問、聞いていると、聞く側にすでに左傾的先入観があるのではと疑うような、例えば「大量破壊兵器殺力のなかったイラクをアメリカと一緒に叩いた日本は誤りがなかったとお思いですかなどと」

そんな馬鹿な質問も聞こえてきたり。もし、墓場にそれらが聞こえていたら墓場から、林健太郎のお怒りの声が飛んできそうなとも思える昨今。


かつては学生運動では学生集団に監禁されても、屈しなかったという東大総長の顔。

思い返します。

当時の全共闘の学生はさんざん教授をつるし上げ、土下座を強要したり、謝罪文を教授に書かせたりしたと言います。しかし、絶対に節を曲げないその態度は、教授を軟禁していた側の全共闘の大学生数百人に感動すら与えたという。




実際、その後東京大学に機動隊が導入された時、林教授がいた文学部長の部屋には、教授を軟禁した全共闘の学生が書いたという大きな落書きがあったそうです。




「林健太郎に、敬意!」


それからすると、昨今の学生自治と景観条例のニュースなどは幼児ぽくて

次元は全く違う事例のニュースにみれてしまうのですが。
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