トトヤンの家庭菜園

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安楽死

2024-02-16 13:43:00 | 日記

オランダの安楽死専門センターの広報担当者であるエルカス・スヴァルト氏は、同伴安楽死が珍しい理由について、英紙ガーディアンに、「治療の見込みがなくても、2人が同時に激しい苦痛を経験し、共に死を望む可能性は極めて低いから」と説明した。


アフト氏は、オランダではほぼ初めて公然とパレスチナ擁護活動を始めた人物だ。カトリックの家庭で育ったアフト氏は、キリスト教民主同盟(CDU)所属で政界入りし、司法相と首相、外相を歴任した。その後、1999年にユージェニー氏と聖地巡礼をした際、パレスチナ問題の深刻さに気づいて活動に乗り出し、2021年に離党。


同国の元首相ドリス・ファン・アフト氏(Dries van Agt93)と妻が現地時間5日、故郷のヘルダーラント州ナイメーヘンで合法的な安楽死により亡くなったことが、人権団体「ザ・ライツ・フォーラム(The Rights Forum)」によって9日に発表された。オランダは世界で初めて安楽死が合法化された国として知られている。

アフト氏は同人権団体の創設者であり、1977年から1982年までオランダの首相を務めた。しかし2019年、パレスチナ人の追悼行事の演説中に脳出血を起こし、命は取り留めたものの後遺症が残ってしまった。

また、アフト氏の妻ユージェニー・ファン・アフト=クレーケルベルグさん(Eugenie van Agt-Krekelberg93)も重い病を抱えており、夫妻の健康状態はかなり前から悪化していたようだ。そして夫妻の安楽死を決断した理由について、同人権団体の理事は「お互いなしでは生きていけなかった」と明かしている。同人権団体は声明でこのように述べた。

「アフト氏は、70年間連れ添って彼を支えていた妻ユージェニーさんと手を取り合って亡くなりました。彼は最愛の妻をいつも『マイ・ガール』と呼んでいました。」

夫妻が亡き後、葬儀は非公開で執り行われたそうだ。


アフト氏に対する人権団体からの評価は高い。平和へのアプローチにしても数々の発言が残されている。その一つがパレスチナ問題。アメリカが今以上に親イスラエルに傾斜していくなら、オランダは、ヨーロッパ全体に呼びかけてでもパレスチナに加担するように主張していく。そういう、警告などが、それだ。


もう、世界大戦を経験して、また、今回のような、ガサの危機的な情況に、憂えながらも、平和へのアプローチをし続けながら、また人生の決着をも自らが決断していく。ある意味、ショッキングでは、あるものの、意思の強靭さと同調圧力がどうだこうだといっている、主体性のないどこかの国柄とも比較してしまって、なんとも受け取り方、複雑で印象的なニュースでもあった。

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