介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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第1859号 次の時代は準備されつつある

2008-11-18 08:42:23 | 政治社会
写真は、安曇野。

安曇野カンポンLIFE11月17日の記事から。

秋が深まってきました。

15年ほど前だったか、アメリカのミシガン大学へ用があっていっていたとき、「日本は古い歴史がある国だから尊敬しているのだ」という趣旨のことを言われた。
確かに、独立宣言1776年から数えても230年余り。
これに対して、江戸時代だけでも260年はあった。

江戸時代といえば、テレビドラマ『篤姫』は独特の描き方ですね。ふだんテレビドラマは見ないのですが、ここのところ割と見ています。
江戸幕府の末期、政権当時者は先見の明を欠き現状維持に汲々としている。
私は江戸末期と現代を重ね合わせて見ることがある。というか、『篤姫』の脚本家は現代に生きている人だからおのずと今日の混迷が投影されているというべきか。

このブログにブックマークしている皆さんの記事やコメントを読み、時代の底流は明らかに転換期にあることを知ります。
政権の延命だけが狙いの当座のバラマキ。
年金記録や介護認定などの作業の根幹の技術部分は公費で会社に丸投げしており、
政策の筋道は見えない。

高齢者の介護現場、医療の現場、教室・・現場で苦闘している人たちが時代の病弊を見通す力は鋭いです。感情を吐き出すだけの状態から、筋道を立てた議論へ、説得するための材料。そういう努力がまったく無駄になることはない。

1945年、敗戦という代価を払って得たもの。例えば、農地解放は占領軍の強権で実現したが細部は戦前から農林官僚が研究していたものがあったから進んだ、と聞いたことがあります。

世界的な金融危機で、いよいよ従来型の経済運営が深甚な反省を強いられている。
輸出依存・公共事業(土木工事)一辺倒から、国内の医療・教育・福祉などへの人材の投資へ。子どもが高いゲーム機で遊び、若い人が自動車や携帯へ出費する。軽薄と贅沢のテレビ番組。そういったものがいつまでも続くわけがないです。

ブログの世界で得たことは、静かではあるが、多くの良識ある人が「次の時代」が到来することを予感しているのでは?ということです。
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