【アクセスが多い】
秀村選三(日本社会経済史・九州大学名誉教授)『幕末期薩摩藩の農業と社会』(2004、創文社。2007年度学士院賞恩賜賞受賞作品)を読んでいます。
*前回はこのブログの整理番号第1530号でした。(9月8日)
アクセスが多く(2日間で108件)驚きました。
685ページの大著です。
第2章 薩摩藩領国における郷士制と地主の類型 pp.47-62
は、
1 薩摩藩領国の社会経済史的特質
2 郷士制と地主の類型
の2節にわかれています。
今日は、最初の方を読みます。14項目で整理しています。以下は、私の独断的な要約です。
【薩摩藩の社会経済的な特質】
① 江戸幕府は、薩摩藩について、(江戸から)遠隔・辺境のため、独自の体制を容認さざるを得なかった。
② 石高は72万8000石。(後に77万国)
*単位や対象に差がある。
③ 支藩は、日向国佐土原藩のみ。
④ 郷士・家来は、各郷の「麓」(武士集住地)に屋敷を持ち、小城下町をなした。
明治4年の平民・士卒の比: 73.6 vs 26.3 → 全国比率の6倍
⑤ 外城102(後に113)といわれる各郷に郷士が多数居住した。
⑥ 郷士の下層は小高、無高も多く、職人、小作、日雇いをして生活した。
⑦ 郷=麓+在(村)+野町+浦
⑧ 農民の自生的力は弱かった。百姓一揆はほとんど起こらず、たとえあっても「下級郷士らの主導するもの+農民」 という構図
⑨ 土地の開発は武士が特権的に行う。
⑩ 野町・・日常雑貨の売買にとどまる。浦町は発展。
⑪ 特産物多い。ことに砂糖。専売制度。領外通商への積極的進出。
⑫ 琉球の対中国貿易を内分に管理支援
⑬ 領国の北には「二重鎖国」。南方には開かれた海洋国家。
イギリスへの留学生派遣。パリ万国博覧会には幕府とは別に出品。
⑭ 藩主導の「上からの近代化」 軍事的近代化が顕著で倒幕の主力になりえた。
【隅の首石】
○ 領主権力の強大 農民の自立度の低さ
○ 農民支配の先端としての郷士の存在形態を明らかにしたい
○ 農民側史料が少ないので、郷士の側面から村落の解明をしたい
○ 大隅国・高山郷士・守屋家 のモノグラフを克明に描く
○ その視角から薩摩藩郷村の一局面を少しでも具体的に把握できれば・・
「・・確実な定点を据えておけば、今後南九州・西南日本の研究が広く展開する時に「隅の首石」の一つとのなればという願いを秘めている。」 p.50
*写真は(大隅半島のものがなく・・)奄美の加計呂麻島です。
奄美・加計呂麻島なんでもありBLOGの9月7日の記事からお借りしました。
秀村選三(日本社会経済史・九州大学名誉教授)『幕末期薩摩藩の農業と社会』(2004、創文社。2007年度学士院賞恩賜賞受賞作品)を読んでいます。
*前回はこのブログの整理番号第1530号でした。(9月8日)
アクセスが多く(2日間で108件)驚きました。
685ページの大著です。
第2章 薩摩藩領国における郷士制と地主の類型 pp.47-62
は、
1 薩摩藩領国の社会経済史的特質
2 郷士制と地主の類型
の2節にわかれています。
今日は、最初の方を読みます。14項目で整理しています。以下は、私の独断的な要約です。
【薩摩藩の社会経済的な特質】
① 江戸幕府は、薩摩藩について、(江戸から)遠隔・辺境のため、独自の体制を容認さざるを得なかった。
② 石高は72万8000石。(後に77万国)
*単位や対象に差がある。
③ 支藩は、日向国佐土原藩のみ。
④ 郷士・家来は、各郷の「麓」(武士集住地)に屋敷を持ち、小城下町をなした。
明治4年の平民・士卒の比: 73.6 vs 26.3 → 全国比率の6倍
⑤ 外城102(後に113)といわれる各郷に郷士が多数居住した。
⑥ 郷士の下層は小高、無高も多く、職人、小作、日雇いをして生活した。
⑦ 郷=麓+在(村)+野町+浦
⑧ 農民の自生的力は弱かった。百姓一揆はほとんど起こらず、たとえあっても「下級郷士らの主導するもの+農民」 という構図
⑨ 土地の開発は武士が特権的に行う。
⑩ 野町・・日常雑貨の売買にとどまる。浦町は発展。
⑪ 特産物多い。ことに砂糖。専売制度。領外通商への積極的進出。
⑫ 琉球の対中国貿易を内分に管理支援
⑬ 領国の北には「二重鎖国」。南方には開かれた海洋国家。
イギリスへの留学生派遣。パリ万国博覧会には幕府とは別に出品。
⑭ 藩主導の「上からの近代化」 軍事的近代化が顕著で倒幕の主力になりえた。
【隅の首石】
○ 領主権力の強大 農民の自立度の低さ
○ 農民支配の先端としての郷士の存在形態を明らかにしたい
○ 農民側史料が少ないので、郷士の側面から村落の解明をしたい
○ 大隅国・高山郷士・守屋家 のモノグラフを克明に描く
○ その視角から薩摩藩郷村の一局面を少しでも具体的に把握できれば・・
「・・確実な定点を据えておけば、今後南九州・西南日本の研究が広く展開する時に「隅の首石」の一つとのなればという願いを秘めている。」 p.50
*写真は(大隅半島のものがなく・・)奄美の加計呂麻島です。
奄美・加計呂麻島なんでもありBLOGの9月7日の記事からお借りしました。
「薩摩」を学ぶことができてありがたく思っております。いずれちゃんと読みたいと思います。
いつもお写真をお借りしています。
この秀村先生の研究は
島津藩は大隅半島をどのように統治したかを
藩と農民の中間的な存在である
郷士の記録から探る
というものです。
私の連れ合いの実家がでてきたりするので
縁あっての大隅半島だと
読み始めた次第です。
奄美も薩摩の侵攻1609年から来年は400年というので改めて島津藩の支配について議論があるのでは?
現在唄われている島唄にも薩摩批判がこめられているとか聞きました。