介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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第3472号 テレビと現実

2010-01-18 04:45:28 | 大隅半島→別ブログ
写真は、奄美の朝陽。光の中で 2010.01.17からお借りしました。


昨日は、テレビで女子駅伝を放映していたそうだ。
(「そうだ」とは、私は見ていないから。そういえば、「鹿児島散歩」の記事にありましたね。)

テレビのパネル操作ができないので、ふだんはテレビを見ていない母(義母91歳)の話。
娘(私の妻。67歳)にスイッチをつけてもらい、親子でテレビを見る。

二人で、走る様子を見る。そこには平和な親子の姿が。

母 「あんたは走らんのかね?」

娘 「えぇ?」・・・「お母さん、私はもう走ったんよ」

母 「じゃ、次は私の番じゃね」


この91歳の母は、若い頃はスポーツ万能だった。青春は竹やりの訓練ですごした世代だが・・
きっと、青春に大隅路を疾走した時期があったのでしょう。

こうして、テレビの世界と自分の過去の映像とが混線することが始まっている。
少しずつ、こういうことがおきている。
適当に話をあわせることができるようになった老いたる娘(私の妻)。
月曜から金曜は、ディサービスに参加して日が過ぎていく。

母にとっては昨日はともかくも馴染みの顔と一緒に食事をし話し合えた時間。
よそ様に迷惑がかかったわけではない。
食事に介助は要らない。完食。食欲旺盛というべきか。
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2 コメント

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母娘の話にじんときました (ガヤマス)
2010-01-20 14:44:04
私は数年以上前に母をがんで亡くしました。
当時、非常に忙しい職場で管理職にあったため、早朝夜が明けるぐらいに出勤し深夜1、2時に帰宅する毎日が続いていました。母の手術の日は休みをもらえましたが、看病もろくろくできず、病院に見舞いに行っても妻子連れで親子でゆっくり語ることもありませんでした。一度退院し再び入院。その時点で母の死を覚悟したものの、その後も仕事にかこつけ、車で15分ほどの病院に母がいるのに顔を見せるのは2週に1度ぐらい。看病は父と妹にまかせっきりでした。そしてモルヒネ。口を開け寝ているだけの母でした。もっと話したかった。話すことはさほどなくとも、一緒にテレビを観ながらとりとめのない話もしたかった、とこの年になって思います。
現実には認知症の親を看るのは大変なご苦労と思います。大隅までほぼ週の半分を往来される奥様、そしてbonnさん。
でも生きている母ともう一度テレビでも観ながら話をしたかったと思ってしまいました。ご苦労も知らず勝手なコメントで失礼しました。
我、事において後悔せず (bonn1979)
2010-01-20 22:57:08
ガヤマスさん

コメント
貴重なお話をありがとうございました。

いまの91歳の人たちの青春の苦労を思えば
老後は平安に過ごして欲しいですね。

今日は
Gayaを素通りして
「えん」にいってぜんざいを食べて帰りました。

お昼は、奮発して500円の弁当を図書館店でいただきましたよ。他の特注があったようでずいぶんと豪華な弁当でした。

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